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麦畑

 麦が出そろった。
 一番寒い季節に麦踏をして、今や春を待つ体制。
 あと3カ月もしたら、麦秋、収穫。

前方の黒土。長年の苦労の結晶なのだそうだ。

 歴史(郷土史)の会に参加・・・最初は消極的な参加・・・して、いろいろ教えていただいた。
 関東ローム層(富士山や浅間山の火山灰)の台地は、水がないから作物が育たなかった、と学校では簡単に教わったが、土自身も問題があったらしい。
 最初はサラサラで水を通しすぎ。風化すると粘土化する。そうしたら作物を作るのに適するのだそうだが、火山灰地でカリ分を岩石(土壌)が吸着してしまうのだそうだ。
 もちろん米は取れない(まず、水稲は水がいるし)。
 たくさんのカリ肥料を投入すれば収穫できたそうだが、化成肥料のない時代には困難。カリ肥料の少なくて済む「サツマイモ」等に出会うまでは食料の自給も難しかったとのこと。
 結局台地の大部分は、茅原として?秣場として、共有された。
 秣場では、牛馬の飼料を育てていた。刈って堆肥の原料ともした。

 大事な場所だったので、開墾しようと政府?上が着手するについて、共同所有権のある村人が抗議したらしい。
 なにもかも「へぇ」の世界。なんだか江戸時代が違って見えてきそう。

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