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「時代」 〜カセットテープとレコード〜

noteを始めるず〜い分前から、ブログを書いていました。先日、自分のウェブサイトに書いていたブログをメンテがてら久しぶりに覗いてみたら、我ながら案外面白いことを書いていたなあと思ったので、noteに以下転記してみますね。
(2015年12月のブログより)



タイトル 「時代」

先日ふと音楽TV番組を見ていた時に思い出したことがある。

「カセットテープとレコード」

小学生から大学生あたりまでは、ラジカセでFM放送を録ったり、貸しレコード屋(後にはCDになったけれど)から借りてきたレコードをダビングしたり。そういえば自前で購入したレコードも「傷ついて音が悪くなるのが嫌だから普段はカセットテープで聴こう、レコードは贅沢したい大切な時間に楽しもう」としてたり。そうだよ、レコードを聴くというのは、特別かつ儀式的な意味合いがあったよなぁ。


当時、LPレコードは46分(片面23分)程度しか収録出来なかったので、カセットテープもそれくらいの長さか、あるいは60分というのが主流だったと思う。90分テープに2枚のアルバムを入れたりもしてたなぁ。

で、ちょうど46分のアルバムなんてのはあるわけはなく、大抵はそれより短い。カセットテープに録るとちょっと余る(A面B面ともね)。勿体無いからその「アマリ」にもう一回好きな曲を入れる。もちろん途中で切れる。


先日見ていたその音楽TV番組では、カセットテープ時代の古い曲も演奏されていた。だから「懐かしい~」と共に、いろんな記憶が走馬灯のように蘇ってくる。青春っちゅうやつですかね?

そして曲の途中、「そう、ここで途切れるんだよ、ここで!俺のカセットテープでは(笑)」まるで、そういう斬新なアレンジだったかのように頭のなかには記憶されるんだな。


あの頃は今の便利さを知ることはなかったから、悠長なことしてたなあ。コピーに実時間以上に時間をかけるとか…なんなら好きな女の子のために「My Select カセット(もっと適当な言葉があると思うが思い出せない)」みたいなものを作って贈ってたよなあ。(いや、それはなかったかも(ノ_-。))これ、今で言う「プレイリスト」でしょ。


「レコード」というモノが持つ価値もずいぶんとあったと思う。とても大切に扱ってた。


あれだけ音楽を大事にしていた時代はもう来ないんだろうね。今や欲しい音楽をネットで探して(あるいは人工知能に探してもらって)、クリッククリックでもう手に入って。プロテクトがかかってないデータならコピーなんて1クリックで出来ちゃう。あっという間。好きな曲並べるのも、タイトル一覧を並べ替えればいい。そのリストを誰かに贈って聴いてもらうなんてこともやるんでしょ、きっと。


CDさえもう無くなっていく運命だから、音楽(録音物)の価値なんてどんどん低くなったわけだよな…。

もっとも、私自身はCDは無くなっていいと思う。(CDではジャケットの価値はやっぱり無くなったしね。)高音質を求めるなら、データのほうがいいに決まっている。これからもどんどん良くなる可能性はあるから、特定機器でしか再生できないCDはいらない。ネットワークのスピードがもっと上がって(まだ上がるのかよ)、通信料がもっとリーズナブルになれば、ストリーミングで良い訳なので。中途半端なフォーマットはもういらないでしょ。mp3程度の圧縮音源か高音質か、で。

出来れば「ジャケット」の様な概念が、新たに生まれてくれたらいいのにね。無理だろうけれど。


それにしても…、

もうデジタル、コンピュータ、いいです。やり過ぎです。

人間の生きる楽しみを奪わないで下さい。


私が欲しいのは、あのワクワクした気持ち。発売日を楽しみに待ちわび、発売日にはレコード店でジャケットを手にとって重さを感じ、ジャケットアートを愉しみ、ワクワクしながら家に帰り、そっと取り出してターンテーブルに置き、針を慎重に下ろす。そしてオーディオセットから離れて神妙な面持ちで耳を澄ます。聞こえてくるのは待ちに待ったNewアルバム!

ま、それが中森明菜であってもいいじゃないですか(笑)


当時、私は子供で多感な時期、青春時代(なんだかハズカシイ言葉)であるから、深く記憶に刻み込まれていると分析出来るけれど、それにしても今はそんな些細な楽しみが無くなってるんじゃないかと不安に思うのですよ。今の子供達は、こういう”大切な時間”という「ワクワク」はあるんだろうか?パッパッっと手に入ってしまったら、何を愉しめばいいんだろう?


旅はゴールすることが目的ですか?」

「時間を愉しむのは、人間の人生を愉しむことだと思いませんか?」

「価値ってなんだと思いますか?」


以上ブログからの転記です。世代がバレちゃいますね。。。

今になっての補足:新を受け容れて、旧を活用する

9年近く前書いたブログですから、今(2024年3月末)では当時の考え方とは少し違う部分も出てきたので補足します。

デジタル技術・コンピュータ、ボクはとことん使ってきた人間ですから否定なんてしちゃいけないんですよ、ホントは。かつてスタジオに所属していた時、ProToolsというレコーディング機器(Digital Audio Workstation)の導入を勧めたのもボクだったくらいです。
(当時はレコーダーこそデジタルテープを使っていましたが、ミキシングコンソール含めて音声シグナルの基本はアナログ。デジタル内でミキシングまでほぼ完結するデジタルメインの環境は当時、革新というより黒船襲来・あるいは地動説的な雰囲気がありました。)

でも、アナログ、好きなんですよ。音質で言っても、ハイエンドアナログ機器はデジタルに勝てないのを知っていますし。(これについてはいずれまた熱弁を振るうかも…笑)

現代はさらに進化して、デジタルというよりAIの時代が完全に到来した感がありますよね。やや遅ればせながらではあるけれど、ボクもAIの導入をちょこっとずつしていますし、なにより普段使っているWebなどのサービス関係には、当然のごとくAIが動いてたりますから、知らないうちにも恩恵を受けているわけですよ。

受け容れなくてはいけない。そう思うようになりました。

確かに、音楽を大事にできた時代は終わりました。それはAppleがiTunesやiPodを世に放った頃から約束された未来だったのです。

「変わったのだよ、時代は。この世は諸行無常。”あのとき”はもう無い、そういうことを受け容れるべきなのだ」と。

社会、もっといえば時代が変わるのなら、変わるべきなのはその中にいる我々人間じゃないかな?いつまでも「動いているのは天体の方だ!地球の周りを星が回っているのだ!」と言い張ったって、真実は違うのだから。

事実そこにあること、それこそが真実。今の社会このようにあること、それこそが真実。(是非はもちろんあるだろうが。)
ならば、その真実を受け容れたうえで、自分の中に築いてきた様々な知識と経験を、うまく活かす方法を考えて実行したほうが賢明でしょう。それは、AIの例で言えば、AIに使われるのではなくAIを活用する方法を探る、といった形で出てくるんじゃないかな?

古い捉え方をしていれば、そりゃ現実を否定したくなる。当時のボクは、まだ古い価値観に翻弄されていたのだ!そう思うようになりました。

昔からのやり方にこだわって、根本的なアップデートもせず、本当はだれも喜んでいないことに時間と労力を注ぐ人たちがいっぱいいますから、余計にそう思うのかもしれません。…ま、ちょっと話題の中心をすり替えてますが。。。

・・・でもやっぱり、アナログ、最高です!

追記:
ちなみに、なんですが、これ書いてて思い出しました(作為的ではなく)。ボクの曲でDigital Cabbage(デジタルキャベツ)という曲がありまして。そのテーマみたいなのが「デジタルがそんなにいいなら、野菜なんかもデジタルにすれば?」みたいに揶揄したものです。インストゥルメンタル曲ですが、良かったら聴いてみてください。我ながらそこそこお気に入りのアップテンポな曲です。


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