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ムラのあるの日々のほうが、おいしい

グゥオーーンー

薄暗い部屋に、堂々たる音が鳴り響く。
耳慣れない、新しいコーヒーメーカーの豆を挽く音。

今まで使っていたコーヒーメーカーが壊れてしまったので、最近、新しいものに買い替えたばかりなのだ。

今度のは、豆を入れてスイッチポンでコーヒーができるという、いわゆる全自動タイプのコーヒーメーカー。
忙しい朝、なるべく手間をかけずに淹れたてのコーヒーが飲めるのは、本当にありがたい。

そして、うん、たしかに美味しい。
これについては予想通り。
というのも、実物で確認済だったから。
実家がこのコーヒーメーカーを導入していて、うちと同じコーヒー豆なのに、あれ?明らかにうちよりおいしい!?という経緯があり、値段も手ごろな同じメーカーにすることにしたのだ。
購入するとき、ネットのレビューもたくさん見たし。フィルターレスタイプで、コーヒーフィルターも必要ないらしい。

便利になったし、おいしい。
日々使うもので、まあ間違いのない、いい買い物をしたよね、ということなのですが。

使い始めのテンションも落ち着いてきた最近、思うことがあって。

なんというか、毎日が、「均質」なのだ。
全自動タイプなので、入れる水と豆の量さえ違わなければ、毎回まったく同じ味のコーヒーができる。当たり前といえばそうなのだけれど。ムラがない。

先代のコーヒーメーカーは、一体型ではあるものの、コーヒーミルの部分とコーヒーをドリップする部分が別になっているタイプ。
ミルで豆をひいて、ドリッパーにペーパーフィルターを取りつけて、挽いた豆を移し替えるという工程が必要だった。
感覚頼りで適当に豆を挽いてるのが大きな原因だとは思うけど、人の工程が多い分、毎日の作業に誤差があって、日々でてくるコーヒーの味にも微妙に、いや、多いにムラがあった。

あれ?今日のコーヒーなんか薄いな。
今日のは濃すぎた…苦いな。
反対に、今日はなんだかおいしくできた。完璧♡
という日もあって、その日は朝からラッキーと思ったり。

そんな味の誤差がほぼなくなり、今は毎日一定品質。
おいしいコーヒーを毎日飲める方がいいに決まってるんだけれど、ただ、おいしさも毎日続くと、それが普通になってしまって、感動も薄れてくるわけですよ。ああ、味ムラのあった日々が懐かしい。
というか、味にムラがあったからこそ、微妙な味の変化と、おいしくできたときのありがたさに気付けたのね。

思えば、私は。たんたんと、毎日一定のテンションで、一定のアウトプットができる、そういう人に憧れるふしがある。
自分の、感情の起伏が大きくて、ちょっとしたことでへこんだり、気分ムラのあるところが恥ずかしいと思う(表には出さないけど)。調子のいい日とダメな日がはげしいところとか。認めたくないなあ。わけのわからないムダな気分に振り回されたりせず、毎日一定品質の自分でいたい、と激しく思う。
でも、人間だもの。感情に振り回されたり、ダメな日があったり、気分の変化があって、それが私の嬉しい楽しい悲しいを形作っている。だからこそ、日々は味わい深いんだな。ムラがあるからこそ、ちょっとしたことで幸せを感じられたり、日々は楽しいんだな。そんなことを思った。

最新型のコーヒーマシンは、便利で一定品質、おいしい。憧れる。
でも私は、自分のペースでいこう。自分のペースで豆を挽きながら、たまに失敗してへこんだり、たまにおいしくできて飛び上がって喜んだり、そんな、ムラのある日々を味わっていこうじゃないか。

そろそろ、コーヒーの匂いがしてきた。





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