2019/07/19 予め炭を溶かした水に一滴美しい水を垂らすような働き



深い青が眼球に入ってくる。今年に入って初めての色の空、夏だと思う。
いい加減にだけれど布団を干す。

通勤中に以前見てぴかぴかのゴムの表面みたいだった枇杷の葉が、カサカサとしていた。
理由のない落ち込みは、セロトニンが足りていなかっただけなのかな、と、道中なんども思う。「セロトニンを浴びる」と思って「浴びているのはセロトニンではない」と思い直す。ここ何日か、とにかく落ち込んでいた。餃子を包んだり、工夫をしたが、何にも心が嬉しくならなかった。会えて嬉しい人に会っても元気が無くてつまらなかったんじゃないかな。できるだけ眠っていたかった。



心が深く沈んでいる。
嬉しいメールをもらったことも、予め炭を溶かした水に一滴美しい水を垂らすような働きしか、ない。



職場で、椅子の背もたれにクッションを固定するために絡めるマジックテープ部分が千切れていて難儀なのを、出がけに思い出して持ってきた裁縫セットで縫い合わせながら、らんま1/2の天道あかねのことが頭に浮かんだ。自分のしている縫い合わせが不器用だったからだった。良かれと思ってしているが悪くなることもあるかもしれないと思ったら何をするのも恐ろしいような、だけれどそれでいてそれが許されてもいる現在の行動に気が楽になるようなかんじもあった。天道あかねに対するらんまのモラハラ彼氏っぷりは今見るともう正視に耐えないかもしれないな、と思った。胸が小さいだのウエストが太いだのかわいくないだの料理が不味いだの不器用だの、どうやってそんなこと言ってくる人のことを好きになったんだろう。でも全37巻か38巻の中で、らんまも変わっていったのだろうか。時代が変わって感受性が変わる、変わらない作品も、変わる。と、単にその時は裁縫をしながら思っていたけれど、今書いていて、どうだったんだっけと、らんまを読み返したくなった。



夕方屋上に上がって水をあげている時の気持ちが植物になって水を浴びているような気持ち。
ゴーヤの茎から垂直に10本くらい等間隔に伸びる蔓を観察していたら柔らかな緑色をしたカメムシがいた。
「今日は風が強かった」と夜言われて、この屋上のことを思い出して「たしかにそうだった」と言った。


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