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10歳の日に。 いのちの記憶。

娘が10歳になった。
「10年ひと昔」という言葉を知った子どもの頃、母に「ねぇ私が10歳になったら、生まれた時は昔になるの?」と聞いたことがあった。
昔話の本の中に載る自分を想像して。

毎日途切れず続いている娘との時間。
1日も休んでいない。止まっていない。
これはすごいこと。当たり前のこと。普通のこと。
有難いこと。

誕生日の2日前はライブ「冬の照照祭り」だった。
①歌っテル ソロ
②てるみん ソロ
③照照(てるみん&歌っテル)
ユニットの活動を始めて3年目の冬。たすきを繋ぐようにして一つのライブを3パートで作ったなぁという充実感と、同じ船に乗って旅をしているように一緒にいてくださるお客さん皆さんがありがたいなぁという気持ちでいっぱいになった。
私の名場面集の仲間に入るライブだった。

大人になっても変わり続けることができる。
変わる?
かえる(帰る、還る)のかもしれない。
私は私になって行く。
一枚一枚衣を脱ぐように私になっていく。
それを 娘は準備段階から当日までの全部を見ている。
洗濯機のスイッチを入れて、止まるまで三線を持って歌ったりとか。
ことこと煮物を見ながらウクレレを台所に持ち込んで歌ったりとか。
ギターの前を通りかかったら1曲ひいて また何事もなかったように暮らすところとか。

そして前日と当日
どんな私でいようかとじたばたとし続ける様子とか。

そういう私でいたら こういうライブになるんだな、と娘の目で見ているんだろう。

恥ずかしい様子も見られている。

9歳最後の日。娘が話しかけてきた。

「まま 昨日のライブでままがソロで歌った最後の歌。 感動した。」
ん?
なんだっけ

「か〜ならず〜 また〜会える〜♪ っていう歌」
うんうん
『いのちの記憶』ね。

「そういう意味だったのかって 
なんだか分からないけどわかった気がして。それでね。」
うん。

「ままも いつかはいなくなっちゃうんだなって思った。
いなくなっちゃうんだなって。
でも必ずまた会えるんだなって思って。
涙が出た。」
うんうん。

ぎゅうっと抱きしめあった。

娘が感動したと伝えてくれた歌

10歳の日に。

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