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CD④ 政雄先生と小浜節

てるみんソロアルバムに収録する 八重山の唄と沖縄の唄は 昨年から活動している「ポー❤️ポー」で録りたいと思って、
横笛を吹いてくれる あっこさんに収録予定曲をお知らせしてお願いしていた。曲は「ポー❤️ポー」で何度か演奏していて、完成度が高い曲を選んでいた。
のだけど。
2月末 沖縄に、照屋政雄先生を訪ねたときに ある出来事があって曲を変えようと決めたのが、レコーディングの3日前。すみません あっこさん。


沖縄で 政雄先生とどんな出来事があったのかというと
久しぶりの再会を喜んでくださりはるちゃんとも遊んでくださったり、おしゃべりしている時
ふと 政雄先生が沖縄戦の後に読谷で民間人収容所で暮らした時のことを話し始めた。

とてもつらかった。いつもおなかがすいていた。どうなるんだろうといつも不安だった。
ずっとそんなふうに過ごしていたある日、同じ収容所にいる人がカンカラ三線を弾いて歌を唄った。
唄を聴いていて 子どもながらにしあわせな気持ちになった。
こんなに辛いのに唄は一瞬で心を豊かに幸せな気持ちにすることができる と思った。だから 自分も唄おうと思った。あんたもそうだろう。だから唄ってるんだろう?
その時にカンカラ三線で唄ってくれた唄は「小浜節」だった。今はそれが八重山の唄だってこと 分かるさーでも 聞いた時は全く知らない唄だった。八重山の言葉だから 何を歌っているのかは わからなかったけれどしあわせ〜な気持ちになった。知らない唄なのに 感動して忘れられない。その時が唄の原点。
だから唄い続けるつもりだよ。あんたも そうだろう?
あんたも おなじだろう?



思わず「せんせー 先生と一緒に今「小浜節」が唄いたいです。」と言っていた。
政雄先生のことは大好きで 三線を作っていただいたり修理もしていただいたり沖縄に来たら遊びにくるけれどお稽古のお月謝をお支払いしているわけでは無いので一緒に歌いたい=お稽古したいと今まで 一度も言ったことが無かった。
でももう そんなこと考えてるより先に 言っていた。


「いいよいいよ。あっちから三線持ってきなさい。あんたと一緒に三線弾いて歌うのは 初めてだな」

途中から 泣きながら 一緒に小浜節を唄った。
「今日は先生にこの話を聞いて この唄を一緒に歌うために来たような気がします」私が言うと
先生もそうだな きっとそうだな と言った。


沖縄から明石に帰ってきて こずみっくでの年間シリーズライブ「三線四女子鳴り鳴りナイト」が10日後にあったので小浜節を唄いたいとあっこさんにお願いした。
あっこさんは 小浜節を知らない。耳で音をとって あっこさんにしかわからない楽譜を作って準備をしてくれた。



長年書き綴ってきたブログがあります
いろいろ考えて
今後は noteに移行していこうかなと思って試行錯誤中です。


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