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【得意なこと×好きなこと】サッカーアナリストを志す理由

こんばんは。HARUKIです。
今回は、私がサッカーアナリストを志す理由についてです。
後半になるにつれ熱量が高まっていますので、長いですがぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです、、

今から1ヶ月前の、2024年1月7日。
私は「サッカーアナリスト」になることを決意しました。
それからの日々は、「自分の人生を生きている」と感じられ、「何か起こせそう」な気がして、とてもワクワクしています。

なぜサッカーアナリストなのか

スポーツアナリストとは

そもそも「スポーツアナリスト」が何かよく分からない方もいるのではないでしょうか。実は私も、恥ずかしながら数ヶ月前まで知りませんでした。

一般社団法人日本スポーツアナリスト協会(JSAA)のサイトで、分かりやすく説明されていますので、興味のある方はぜひご覧下さい。

スポーツアナリストは「選手及びチームを目標達成に導くために、情報戦略面で高いレベルでの専門性を持ってサポートするスペシャリスト」である。

JSAA

「選手個人やチームの意志決定者が必要とする情報」
(データの収集・分析によって得られる、客観的事実に基づく情報)
「いかに最適な形にして提供できるか」が主な仕事です。

したがって、スポーツアナリストには、「情報収集・分析力」に加えて、「伝達力」も求められます。その根底には、「選手やチームと同じ目標に向かう情熱」が必要であり、「目標達成への貢献」が大きなやりがいです。

サッカーアナリストの役割

サッカーアナリストは、主に以下の2つに分けられます。
①チームアナリスト
他チームの分析(スカウティング)や自チームの分析を行う。
②個人分析官
選手個人の分析を行う。

先日のアジアカップでも、多くの分析スタッフがチームを支えました。
森保Jアジア杯V奪還へ“26年W杯仕様”のサポート体制! 東大・筑波大院生ら25人が分析支える | ゲキサカ (gekisaka.jp)

クラブによって「分析コーチ」「テクニカルスタッフ」「アナリスト」など呼称は異なりますが、J1では16クラブ(全20クラブ)にアナリストの方が登録されています。(2024/02/08時点)

「得意なこと」×「好きなこと」だから

年末から年始にかけて、ありとあらゆるキャリアや生き方に関する書籍を読み漁った結果、やはり「得意なこと×好きなことをやるのが1番良い」、という結論に至りました。
特に、下記の本では、「才能」=”つい、やってしまうこと”。であると書かれており、私の才能に対する考え方が180度変わりました。

私の才能をまとめると、「考えること」に行き着きました。
答えのない問いをずっと考え続け、悩むことすら楽しんでしまうような人間だと思います。そして、1番「好きなこと」が「サッカー」です。サッカーの試合と他の予定がバッティングすることが、何よりも耐えがたいです。

「考えること」×「サッカー」=サッカーアナリスト
これが私の出した答えです。
アオアシの主人公のように、プレイヤーとして活かせたら良かったですが。
なぜ「考えること」がアナリストに繋がるかというと、考える材料としてデータが必要不可欠だと気づいたからです。


「考えること」が得意

主体的に学ぶ

私はこれまで塾に通ったことがなく、受験勉強も基本自分1人でやってきました。勉強が好きだったというわけではありませんが、自然と自分で考えて学習する習慣がついたと思います。
まずは自分で考え、疑問に思ったことはすぐに調べます。職場の上司・先輩からも、「理解できるまでとことん調べるところ」が強みだと評価してもらいました。

知的好奇心が旺盛で、年を追うごとに興味分野が広がっています。大学は社会学専攻でしたが、教育や芸術、建築、宇宙など、文系理系関係なく好きです。定期的に美術館や博物館、科学館に足を運び、自分の感性や知性に刺激を与えています。
元を辿れば社会学から派生して色々な学問領域が生まれた歴史があるため、社会学を学んだことは、経済的なメリットだけでない価値を考えられる点で良かったと考えています

本質を捉える

私は表面的に起こっている問題よりも、そもそもの目的や本質について考えることを好みます。
その弊害として、つい抽象的な思考に偏ってしまうことが弱みでもあったので、より一層データを用いた具体的な検討の重要性を感じています。

就職活動をしていた時、1つだけ心に決めていたことがあります。
それは、「就活のための就活をしない」ということでした。
突きつけられる問いは「どんな会社に入りたいか」や「どんな仕事がしたいか」、「どんな働き方がしたいか」でした。
しかし、それよりも「どんな人生を生きたいか」「何のために働くのか」を納得のいくまで考え抜きたいと思いました。遠回りだったかもしれませんが、せわしない就活の競争にさらされる中で、自分を見失わないために必要な過程だったと思っています。

「サッカー」が好き

小学生からの夢

私は小学4年生からサッカーを始め、スポーツやスポーツ観戦に魅了されました。5年生になると、教室の壁に手作りのスポーツ新聞を張り出すようになりました。
そして卒業文集には、「夢はスポーツ記者」と書きました。他のクラスメイトが「サッカー選手」と書いていた中で、「岡山の地域性無視して好きに表現しているかつ具体的ですごいなあ」と、我ながら感心しました。
ちなみにこの夢は高校卒業まで持ち続けることになりますが、メディアに対して、ネガティブな感情も少なからずあり断念しました。

※字が汚くて申し訳ありませんが、あえてそのまま載せることにしました。

高校時代の後悔

中学時代はセンターバックとして、レギュラーで試合に出ることができました。チームは弱かったけれど、仲間と一緒に過ごす時間がとても楽しかったです。
しかし、高校では試合に出るどころか、ベンチにも入れませんでした。
できたことといえば、「3年間辞めずに続けたことだけ」でした。
それはひとえに私の実力不足であり、モチベーションの低さが要因でした。
入部した瞬間から同級生との実力差を痛感し、成長することを諦めてしまいました。「チームに迷惑をかけないこと」を優先し、常に先生やチームメイトに怯えながらプレーしていたので、楽しいはずがありません。

これまで思い出したくない過去として閉じ込めていましたが、振り返って思うことは、下手でも下手なりに「何かチームのためにできることはあったんじゃないか」ということです。「チームの一員として真剣にサッカーと向き合う」ことができたなら、結果は変わらなかったとしても、「自分を認めることはできた」と思います。

今でも自分がプレーしている夢を見ます。
たまに上手くプレーできますが、大抵がミスばかりの嫌な夢です。
それで自分が嫌になることはあっても、サッカーを嫌いになることはありません。サッカーで勝負することは「過去の自分との戦い」でもあります。
現実世界で、「最高にワクワクする夢」を見たいです。

応援するだけじゃなくて、共に戦いたい

念願だったグランパスのファンクラブに入って、今シーズンで6年目になります。社会人になり、レギュラー会員からのグレードアップやシーズンチケットの購入を検討しました。
しかし、「お金をかけたら、かけた分だけ自分は幸せになれるのか」と疑問に思いました。また、ゴール裏で声を枯らして応援する私は、「どれほど選手の力になれているだろうか」とも思いました。

もちろん、選手と同じユニフォームを着て、スタジアムで声援を送ることで、スタジアムの雰囲気を作り、選手と共に喜びを分かち合うことができることはよく知っています。より高額なファンクラブやチケットを購入することで、収入面でチームに貢献することもできるでしょう。

しかし、「一生この距離感のままでは嫌だ」と思ってしまいました。
どれだけメディアから情報を得られたとしても、選手やチームの気持ちを本当の意味で理解することはできないからです。
だからこそ、応援するだけじゃなくて、批評するだけでもなくて、「チームと共に戦う」アナリストになりたいと思いました


やってみないと何も始まらないので、前進あるのみです。もっとサッカーを愛せるように。

最後まで、読んでいただきありがとうございました。


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