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アイドルグループの解散とヴァージン・スーサイズ

【注意】自分の推しが解散(予定)、脱退、活動休止されたというみなさまにとって、大変失礼で配慮の足りない記事です。読み進める際は自己責任で。

以下、記事として立ち上げるには練り足りないけどツイッターでぼんやり呟いていた「アイドルグループの解散とヴァージン・スーサイズについて」の記録と書き足しです。(ツイートは数日後に自動削除してしまうので)

多分、アイドルグループの解散って普通に為されるべきことであって、ジャニーズの90年代デビュー組が長寿すぎただけなんだろうなと思います。
アイドル、本来は寿命が短いからこそ万人の偶像であることに耐えることが出来る、みたいなトレードオフだった可能性ありません?
「ヴァージン・スーサイズの姉妹たちが自殺した理由が”僕たち”には分からない」のって、「アイドルグループが解散する本当のところはファンである我々には分からない」と同じだよね。ヴァージン・スーサイズ、それはアイドルとファンの関係についての映画。
だって大人になった”僕たち”が未だに姉妹たちに心を奪われて遺物を集めてしまうのって、要するにそういうことだもんね。姉妹たちはあの物語におけるまさに「崇拝の対象」なんだよな。
メンバー入れ替えもなく何十年も続くって、時間の経過に抗ってるようなもので、それは一人が辞めたら活動の形が変わって歪になってしまう、だったら活動休止しよう、解散しよう、にもなりますよね。
ちょうどセシリアの死によって残りの四人が次々と死に向かっていってしまったように。(グループの解散を死に例えることの是非は一旦見逃してほしい)
僕は「すべての子どもは(大人になるか、あるいは大人になる前に死んでしまうという意味で)絶滅する」と思っていて、日本における未完成で未成熟で若年――つまりそれは子どもの特徴である――アイドル達たちも、いつかは「きちんと絶滅する」運命であると思うわけ。
某事務所の90年代デビュー組グループはこの運命をかなり無理やり先延ばしし続けたのではなかろうか。メンバー入れ替えがないという仕組みはそれにかなり貢献したと思う。
そして”僕たち”がセシリアの死を止められなかったように、ファンであるところの僕たちはアイドルグループに所属するある個人の内面も、その人の人生も、まったく知らないし何が起こるか分からない。本質的に、その人の人生に関わっていない。
でも本質的にその人の人生に関わっていないから崇拝できるんだよね。”僕たち”だって姉妹たちが何故死んでしまったのか、理由を把握できるほど姉妹たちの人生に深く関わっていたら、きっと崇拝なんかしなかったはずだ。
だけど、既に死んでしまった姉妹たちが、大人になった”僕たち”の心を掴んで離さないように、グループが延命を諦めて解散しても、きっとファンである僕たちはあなたたちを忘れない。そうやってずっと生きている。
僕たちの瞳の上に、耳の内側に、そして記憶の中に。

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