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自分全開で生きたって怖くないだろうって思った話。

こんにちは!はるこです。

人生も午後に差し掛かり、後半戦をどのように過ごすか、思いをはせる日々であります。

私は、独身の頃は、もっともっと自分全開でした。これをしたら人はどう思うんだろうとか、全然考えなかったし(考えられなかった)、気遣いとか全然できなかったし、自分が好きな服を着てたし、ほんと、好きなように遊んで、好きなように振る舞って、人のこととか全然考えてませんでした。
ただ、自分のことばっかり考えてたせいで、「少しは人の気持ち考えろよ」って言われたり、義母には「そんな格好しないで」と言われたり、性格の雑さを責められることも多くありました。
そんな「苦言」を言われることがだんだん鬱陶しくなり、特に結婚して2人目ができたあたりから、「無難」が快適になってきました。
自分はこう思う、と言うことは特に言わず、他人の発言に「いいね!」をして、自分はこういうものは好き、こういうものは嫌い、といったことを出さずに「普通」を心がけていたら、誰ともぶつからないので、それが非常に楽でした。誰とも揉めないって楽だなーーーーって、ま、これは今でも思っております。

ですが、最近、ちょっとそれもつまらなくなってきました。
私は本当は明るい色の服が好きだし、ところどころにブランド品をとり入れるのが大好きだし、いろんなことに「こう思う、こうは思わない」という意見だってある。それをどこぞの誰かに「それは違うんじゃね?」と言われるのが怖くて、主婦がブランド品を持つなんておかしくね?と世間(正確には自分の母)に思われるのが怖くて、自分が間違ってるんじゃないかって指摘されるのが怖くて、そーゆーことを放棄してたけど、なんか、味気ない。

独身の頃はぶつかることも多かったし、私のこと嫌いっていう人もたくさんいたけど、けど、その分というか、とっても人気がありました。自分でいうのもなんだけど。男にも女にもモテモテでした。おそらく私が私という人間を分かりすく表現できていたので、それに賛同してくれる人たちがいた、ということかなと思いました。

今の話で言うと、私、裁判の傍聴が好きで、よく行ってるんです。
ただ、裁判の傍聴に行ってるなんて周りに言ったら、不謹慎なやつと思われやしないか、(平日の昼間しかやってないので)暇なやつだと思われやしないか(実際暇なんだけどw)、なんてな思いがあって、あんまり人に言えなかったんですよね。本当は「こんな裁判を傍聴して、こんなふうに思った」と言うことを誰かに話したい!!!って思ってるのに。

でもね、ちょっとずつ開示してったら「私も行ってみたいって思ってたの!一緒に連れてって!」という人が何人かいて、そんな人たちと裁判トークをしたりして、だいぶ楽しいです。義母は「よくそんな恐ろしいところに行けるわね」と一蹴でしたが。
元々はテレビドラマで見る裁判と、実際の裁判を比べてみたいというのが動機でした。ママ友さんの一人が裁判官をしている(!)ということもあって、裁判所に対する敷居が一気に低くなったもの大きなきっかけの一つでした。

裁判官の人が「では最後に裁判所からも質問します」と言って被告に質問をするのですが、その質問をとおして、しばしば裁判官の方が被告にアドバイスをするんです。そのアドバイスをまるで自分に向けられているかのように聞くことができるので、もう、とっても勉強になるんです。検察官の理路整然とした話し方も好きだし、弁護士の人が優しく熱心な感じだと「ああ、私に何かあったらああいう人にお願いしたいな」って想像するのも好きだし、被告が犯罪行為に至った経緯や心情なんかも詳細に述べられるんですが、「同じ気持ちになったら私だったらどうするだろう」なんて考えるのも好きです。こういう話を誰かにするのってちょっと勇気がいるけど、ちょっと勇気を出したら、喜んで聞いてくれる人もいるってわかって、嬉しいです。

つまり何が言いたいかって言うと、「私はこういう人間です。」ということをもっとアピールしてもいいんじゃないかって思ったのです。
アピールして、それで後ろ指を指されたり、白い目で見られたり、苦言を呈されることがあるかもしれない。でも、それはそれでいいじゃない。逆にそれくらいで済むなら、自分のことを我慢せず、好きなように楽しんだほうが楽しいじゃん!
別に誰かを不幸にしてやろうなんて思ってるわけじゃないし、何か本当に利害がぶつかることがあれば話あえば良い。
それに、なんてったってアタシ、酒やめてますからね!
いきなり暴れ出すなんてこともないし!(笑)
私みたいな凡人が自分全開で生きたところでたかが知れてますから(笑)
そんな開き直りも含めて、もっと自分全開で生きてみようって思った次第でございます。



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