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俺は主人公やから

「週刊少年ジャンプ的な未来を夢見ていたよ」

RADWIMPS「週刊少年ジャンプ」

「自分は少年漫画の主人公になれる」と思う時期が男には誰でもある。
かめはめ波打てるし、火影になれるし、幼馴染で同級生の毛利蘭と行った遊園地で黒づくめの男たちの怪しげな取引を目撃して毒薬飲まされて子どもにされても真実を追求できる。
でもいつか、それは全部できんくなる。そして主人公を降板させられる。
俺は未だ、世界変えれるのは自分やと思ってる。

[俺は、天才]

「主人公の感覚」は基本的に年齢を重ねると弱まる。自分にできないことに気付かされ、それをできる人々に出会い、現実を知る。
俺は逆。
「これくらい誰でもできるやろ」と思っていたことが時が経つにつれて
「おや?どうやらこれは誰でもできるわけじゃなさそうやな」という気づきになっていった。どうやら、自分では自覚していないけれど他から見たら異常に見えたり秀でていることを「才能」というらしい
俺の場合は前十字靭帯断裂を経験して自分のそれを知った。
・圧倒的継続力
→YouTube450日連続投稿(リハビリ&トレーニング)。その日々は本当にノンフィクションでどれだけ忙しくても体調が悪くても、自分とコートの距離が1ミリでも近づくための行動を取り続けていた。
・自分を信じること
→「俺ならできる」という考えがほぼ全ての事象に対してある。すぐにはできなくても時間かければできると確信している。そして圧倒的継続力もあるので全部のことを俺はできる。
・バスケが大好きなこと
→元々、周囲のプレイヤーと比べてもバスケは好きな方であると思っていた。でも、一度コートを離れたことで異常なほどのバスケへの執着、バスケでの自己実現の欲求があることに気づいた。例えばスーパーモデルになっても大企業の社長になっても俺には満たされない何かがあって、それはバスケでしか満たされないものなんだと思う。

どれも直接バスケプレイヤーとしての能力には関係ない。例えば身長が2m、シュート力が化け物、ドリブルが手に吸い付き続ける。そんな才能があった方がバスケには向いていると思う。俺の才能は全て精神性のもの。
目にも見えない、形もない。でも、自分の中に確かに存在している

[俺の愛する俺であり続けたい]

継続力、自信、バスケへの愛と自己実現。この3つがあればどこまででも進めると思ってる。
俺は理想のためならあらゆる犠牲を払えるし、自分が「どうありたいか」を何よりも強く優先してる。
例えば、前十字靭帯断裂の診察を受けた日、俺はすぐにトレーニングした。普通に考えたらちょっと休んで良いどころか、歩みを止めても良いタイミングだと思う。
多くの人がいろんな理由で夢を諦めていく。怪我なんてその典型。なんとでも言い訳できるし、妥協もできる。復帰できるかわからないし、もし復帰しても1どころかマイナスから頑張り直し。そこで負けても誰も責めないし何も悪くない。俺が思ったことは2つ。
「みんなの好きな、自分の好きな日久でいたい」
「俺なら何があってもできる」

自分では至って自然な思考回路だった。側から見た人に言われてやっとそれが普通でないと気づいた俺の才能。

[ここまでとこれからのあらゆる逆境たちへ]

前十字靭帯断裂だけじゃない。高校受験にも落ちたし大学受験にも落ちた。全国大会にも出たことないし、社会人1年目は愛するバスケを嫌いにさせられるような目にあった。
でも、その度に全てを笑い話にする強い自分と出会えた。笑い話にできるのは、全部自分が乗り越えてきたから。
これからも絶対に逆境、ネガティブは訪れ続ける。その度に苦しい思いをするのはわかってる。でもその時間全て、俺の人生という物語を振り返った時に必要なことだとわかってる。どんな苦難も乗り越えていく。そんな人生を全力で歩み続けて死ぬ時に笑いたい。
だから、嬉しいことも苦しいことも全部俺の人生に必要な愛すべき瞬間。
今日もお疲れ様。みんなと俺。

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