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プロバスケ選手に、なった。

13年間の学生バスケを終え、プロを目指してトライアウトを受け続けた。
苦節、3年半。
俺は、プロバスケ選手になった。

[人生の転機、ACL]

2022年7月、前十字靭帯を断裂した。もう少しでプロになれると思っていた。現実は非情。上手く行ったり、チャンスだと思ったときにこそ落とし穴がある。
診察を受けて枯れるほど涙した。社会人3年目、25歳。フリーター歴3年。箸にも棒にもかからないB.LEAGUEへの挑戦。身体能力が大きく落ちる怪我を負った。同じ夢を持つ仲間たちはどんどん去っていく。側から見たら辞めても良い。もう十分やったと言ってもらえる…
はずだった。逃げる暇もなく多くの人の応援とサポートを受けてコートへ戻るためのリハビリの日々が始まった。
「誰かの心の灯火になりたい」YouTubeで闘病の毎日を発信し続けた。怪我から449日、ついにプロの世界へ足を踏み入れた。本当に長くて苦しかった。ゴールがあるかすらわからない旅だった。でも自分の足で歩ききった。

[そして、プロバスケ選手になった]

ここまでくるのに簡単なことなんて一つもなかった。
毎日のトレーニングやワークアウトで手を抜いたことはないし、一歩でも前に進もうともがいてきた。
それ以上の毎日を今は過ごしている。
練習の1プレー1プレーに意味とこだわりと緊張。トレーニングも常に情報を収集して膨大なデータの中から自分に必要なものを選び抜いている。
「頑張ることに関してハルクの右に出るものはいない」
と言われるほどに元来頑張れる人間ではある。大きな怪我とバスケから離れた経験から一分一秒の大切さも痛感している。
それでも上手くいくことなんてほんの僅か。9割以上の上手くいかないことと毎日毎日向き合っている。大好きなバスケだからこそ、言い表せないほどの苦痛を背負うし思い悩む。でも、もちろん俺の歩みが止まることはない。

少しでも良いプレイヤーになれるように毎日を過ごしている。好きなシュートよりも苦手なドリブル…どころかピボットやボールを受ける時の練習をたくさん。手ぶらで公園に行って1時間以上フットワークの練習やディフェンスワークをする。東京の方が大阪より冬は寒い気もする。
バスケ以外も。転んだ人の荷物一緒に拾うし、交差点譲るし、知らん道聞かれても調べて答えるし、落とし物ちゃんと届けるし、後輩を散髪屋に連れて行くし、たこ焼き食べさせたるし。
別に善行したり徳積んで…ってわけじゃない。その方がもっとバスケを、日々を、人生を愛せる
そんな毎日を過ごして、少しだけ掴めたものがある。

[俺は歩き続けるから]

プロになるのは大変だった。でも、なってからも大変。そして、これこそが俺が求めてたものだったんだと言いたい。
今が、未来が、自分のバスケ次第で180°変わる。そんなヒリつく世界で命を燃やすことができる
99個の上手くいかないことの先に1個だけ上手くいくことがある。その1個を積み上げていく。その先は俺もまだ知らない世界。17年やっているバスケ、まだまだ人から教わって基礎からやり直すことばっかり。
でも、俺は知っている。俺なら大丈夫であることを。
あの大怪我は俺に多くのものを残した。プラスも、マイナスも。
でも本当に大事なことは自分がどうありたいか、何をしていくか
どんな苦しい経験も辛酸を舐めさせられた過去も、全部自分が前に進んでいくエネルギーに俺はできる。これからも上手くいかずに家で一人「クソが」と呟く日が月に28日はあるだろう。
そんな毎日を全力で生きて、これからも俺は自分を表現していく。
バスケができる歓びと、いつも応援してくれるみんなに感謝を。

いつもありがとう。
【B.LEAGUE】しながわシティバスケットボールクラブ #24 関野日久

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