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板の上に、ピアフが居た。女優・大竹しのぶに喝采を

iTunesで、「エディット・ピアフ」を検索した。
アルバムの中から、いくつか曲を選んで聴いてみる。

YouTubeでチラ見したことがあるだけのエディット・ピアフ。歌声をじっくり聴いてみたくなったのは、大竹しのぶさんの演じるピアフを体いっぱいに浴びたせいだ。

3月16日、日比谷のシアター・クリエの前から8列目。
小さい劇場だから、もっと近いかと思ったら意外と遠かった。
オペラグラスを覗きこんでみた。そこにはエディット・ピアフが居た。

お世辞にも上品とは言えない。どうやらルームメイトも同類だ。
しかしひとたび歌えば、歌声からアンニュイな色香が漂い、強靭さが漂い、儚さがにじみ出る。
街角で歌っていたピアフを見出し、クラブで歌わせたオーナーもこんな風に感じたのだろうか。

時代に翻弄され、歌手としての名声を高める一方で、ピアフは大切な人との出会いと別れをいくつも経験する。
友人であるマレーネ・デートリッヒの紹介で知り合ったボクサーのマルセルは、飛行機事故で亡くなる。
イヴ・モンタンもシャルル・アズナブールも、エディット・ピアフが見出して育てた逸材だ。

おまけに、なんの因果か交通事故に遭っている。事故の影響は彼女を長きにわたって苦しめたようで、深刻なモルヒネ中毒まで発症している。

歌手としての名声というまばゆいばかりの光の影で、どれだけピアフが苦しんでいたか。酒の入ったグラスを持つ手はわなわなと震え、周囲に嘘をつきつつモルヒネを打ち続ける。愛した男たちや、使用人のマデレーヌには理不尽に辛く当たる。彼女が向き合わざるを得なかったものとは、いったいどれほどのものだったのだろうか。

目の前にいたピアフは、圧巻で哀切の歌声を持ち、愛に飢えていた。いや、飢えていたからこそ、あれほどの歌声を私たちの目の前に届けることができたに違いない。

ピアフにとって歌は、彼女自身だ。板の上の彼女は、全身全霊でそう語っていた。

カーテンコール。
ピアフの姿をしたその人は、鳴りやまぬ拍手とスタンディングオベーションの中、舞台下手からまるで少女のように走り出てきて、感激の面持ちで客席をぐるりと見渡した。しかも、何度も。

先ほどまでそこにいたのは、確かにピアフその人だったはずなのに。

大竹しのぶ。
同じ時代を生きて、板の上に生きる姿を観られたことを、心から幸せに思う女優の一人である。

noteを書きながら、iTunesでダウンロードした「バラ色の人生」「愛の讃歌」を聴く。

本人の歌声以上に、劇場で聴いたピアフの歌声の方に、歩んできた道のりがにじんでいたように感じるのはなぜなのだろうか。

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