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10月・11月観劇記録 『尺には尺を』『終わりよければすべてよし』

感想を書きそびれたまま、年が明けてしまった。

新国立劇場シェイクスピア歴史劇シリーズのチームが集まって、ダークコメディと呼ばれる『尺には尺を』『終わりよければすべてよし』を交互上演するという。演出はこのチームおなじみの鵜山仁さん。今回の交互上演、同じ役者さんでそれぞれ違う役を演じることになるという。こりゃ大変だ。セリフを覚えるだけだって大変だろうに…だけどお稽古の様子は浦井健治さんのファンクラブ向けブログを読む限り、実に楽しそう。

シェイクスピアといえば『リア王』や『マクベス』などの四大悲劇だとか、ロミジュリなんかを思い浮かべる人が多いはず。そんな中、あまり有名とは言えない『尺には尺を』『終わりよければすべてよし』をいま同時上演することには、何か意味があるに違いない。ワクワクしながら、劇場へ向かう。


観劇日・キャスト


2023年10月21日(土)マチネ:尺には尺を ソワレ:終わりよければすべてよし
2023年11月3日(金・祝)マチネ:終わりよければすべてよし ソワレ:尺には尺を
場所:新国立劇場 中劇場

キャスト(敬称略)は以下の通り

尺には尺を
アンジェロ:岡本健一
イザベラ:ソニン
クローディオ:浦井健治
マリアナ:中嶋朋子
典獄:立川三貴
ヴィンセンシオ:木下浩之
バーナーダイン:吉村 直
オーヴァーダン:那須佐代子     他

終わりよければすべてよし
バートラム:浦井健治
ヘレナ:中嶋朋子
フランス王:岡本健一
ダイアナ:ソニン
ルシヨン伯爵夫人:那須佐代子
ラヴァッチ:吉村 直
ラフュー卿:立川三貴
ぺーローレス:亀田佳明     他

新国立劇場 尺には尺を/終わりよければすべてよし ホームページより


あらすじ

『尺には尺を』あらすじは以下の通り。

ウィーンの公爵ヴィンセンシオは、突然出立すると告げ、後事を代理アンジェロに託し旅に出る。だが実は、密かにウィーンに滞在したまま、アンジェロの統治を見届ける目的があった。というのも、ウィーンではこのところ風紀の乱れが著しく、謹厳実直なアンジェロが、法律に則りそれをどう処理するのか見定めようというのだ。

そんな法律のなかに、結婚前の交渉を禁ずる姦淫罪があり、19年間一度も使われたことがなかった。アンジェロはその法律を行使し、婚姻前にジュリエットと関係を持ったクローディオに死刑の判決を下す。だがクローディオはジュリエットと正式な夫婦約束を交わしており、情状酌量の余地は十分にあったのだ。

それを知ったクローディオの妹、修道尼見習いのイザベラは、兄の助命嘆願のためアンジェロの元を訪れる。兄のために懸命に命乞いをするイザベラの美しい姿に、アンジェロの理性は失われ、自分に体を許せば兄の命は助ける、という提案をする。それを聞いたイザベラはアンジェロの偽善を告発すると告げるのだが、彼は一笑に付し、「誰がそれを信じる?お前の真実は、私の虚偽には勝てぬ」とイザベラに嘯く。

クローディオの命は?イザベラの貞節は?すべてはアンジェロの裁量に委ねられる。

新国立劇場 尺には尺を/終わりよければすべてよし ホームページより

『終わりよければすべてよし』あらすじは以下の通り

ルシヨン伯爵夫人には一人息子バートラムがいた。彼はフランス王に召しだされ、故郷を後に、パリへと向かう。だが王は不治の病に蝕まれ、命は長くないと思われていた。

もう一人、伯爵夫人の元には侍女として育てていたヘレナという娘がいて、その父は、先ごろ他界した高名な医師だった。彼はヘレナに、万病に効く薬の処方箋を残していた。そしてヘレナは、実は密かに、身分違いのバートラムのことを慕い、妻になりたいと願っていた。

その想いを知った伯爵夫人は、ヘレナにバートラムを追ってパリへ向かうことを許す。パリに到着したヘレナは王に謁見し、亡父から託された薬で王の病を見事に治してみせる。王は感謝の印として、ヘレナに望みのものを褒美として与える約束をする。ヘレナはバートラムとの結婚を望むが、彼はそれを拒否し、自ら志願して、逃げるように戦地フィレンツェへ赴いてしまう。残された手紙には「私を父親とする子供を産めば、私を夫と呼ぶがいい。だがその時は決して来ないだろう。」と認められていた。

ヘレナは単身、バートラムを追ってフィレンツェへと旅立つ。愛する彼と結ばれるために。

新国立劇場 尺には尺を/終わりよければすべてよし ホームページより

感想

男の身勝手さに翻弄されるイザベラ(ソニン)の存在が刺さる『尺には尺を』

『尺には尺を』に出てくる男たちは、みな勝手だ。イザベラの兄クローディオは離婚前の恋人ジュリエットを妊娠させてしまうし、その角で罪に問われると、妹にほれ込んで取引を持ち掛けてきたアンジェロの提案に乗っかってくれと、イザベラに懇願する。公明正大なことで有名なアンジェロは自らの欲望を満たすために法を曲げて取引を持ち掛ける。

一番身勝手なのは、ラストにすべてを持っていく公爵ヴィンセンシオだ。ずっとクローディオに情けをかけて助けようとしたり、昔アンジェロに婚約破棄されたマリアナを救ったりする、情け深き領主だった彼が、理性的な仮面の下から本性を覗かせるとき、観客も舞台上のウィーンの人々もポカーンとする。

「は?お前何言ってんの??」である。

そもそも、公爵がウィーンを留守にするふりをして、その間アンジェロにウィーンを任せて様子を見る、などと他人を試すような真似をしなければ、こんなことにはならなかった。自分の蒔いた種で招いた事態なのに、ことが落着したらイザベラに求婚?はあ??

唖然としているのは観客だけではない。当のイザベラ自身が事態を飲み込めていないようだ。いや、飲み込めているが混乱していると言った方がいいか。何度も後ろを振り返り、ウィーンの人たちや観客の方を見る。「え?何これ??どういうこと?」と言わんばかりの視線の先には、観客と言う名のウィーン市民が大勢。

客席のわたしは、声をあげて笑ってしまった。ソワレで『終わりよければすべてよし』を観たあと、帰路について色々頭の中で反芻している途中に、イザベラだったら…と想像してみてゾッとした。

身勝手なひとたちのすったもんだに巻き込まれるヒロインを観て笑っているわたしたちは、SNS時代の「名を捨テロリスト」(野田秀樹『Q』のセリフより拝借)そのものじゃないか。

『尺には尺を』の最後にヴィンセンシオから求婚されたイザベラの反応は、いろんな演出があるという。求婚され微笑んで手を取るとか、戸惑いつつも最終的には受け入れるとか。今回の鵜山さん演出のイザベラのリアクションは、とても現代的でシニカル。シェイクスピア作品って、本当に400年前に書かれたものなの?と思ってしまうほどに。

イケメンクズ男・バートラムに惚れ込むヘレナ(中嶋朋子さん)に現代の女性像が重なる 『終わりよければすべてよし』

まず言っておく。この作品はタイトルに偽りありだ。『終わり良ければすべてよし』なんてとんでもない。「めでたし、めでたし」とはとても言う気にならない。それでいいのかヘレナよ?と疑問符で頭の中を一杯にした女性が、客席にわんさか居たに違いない。

バートラムは、イケメンだ。
イケメンだがいけ好かない。

美しくて聡明なヘレナが、なぜあんなにも惚れこんでいるのか理解できないほど、性格的には「?」。バートラムを演じる浦井健治さんのビジュアルがあってこそ、「あれだけイケメンなら仕方ないか」と思えるレベルである。

もっとも、バートラムの立場からすれば同情すべき部分もあるのだ。フランス王からの命令で、自分の娶る妻を決められてしまうなんて。しかも一緒に育っていて、人となりも分かっている。自分より身分は低いが賢く勇気も行動力もある女性だ。17世紀を生きる若い男性としては、納得できないに違いない。

いろんな手練手管を使って、バートラムと結ばれようとする貞淑で聡明でアクティブなヘレナは、21世紀を生きるわたしたちの目に、とても魅力的な女性。同情しつつ恋の行く末を見守る観客に、バードラムのクズっぷりがエスカレートしていく様子がこれでもかと見せつけられる。

そして思うのだ。「これは、この男と結ばれた後の方が大変だぞ」と。

17世紀。伯爵家に嫁ぐ、でも医者として働く、という選択肢ははたしてあったのだろうか。おそらくバートラムと結婚したあとは、籠の中の鳥のようにバートラム夫人として生きていくしかなかっただろう。

バートラムは口は達者だが、思慮深いタイプではない。むしろその場だけ乗り切ればなんとかなるっしょ!というタイプ。こういう男は、いつの時代もどんな場所でも、人の上には立てないだろう。

要するに、イケメンだが出世の見込みはあまりなく浮気性の男と、恋の熱に負けて難題を退け結婚した女の行く末を、どうやっても想像してしまう物語なのだ。

『終わり良ければすべてよし』。ラストシーン近くでフランス王が「終わり良ければすべてよしだ」という場面があるが、原語でのセリフは「All yet seems well」。「seems」に込められたニュアンスが、日本語にすると逃げて行ってしまうのが本当に惜しい。

シェイクスピアの凄さを思い知った。

俳優さんたちのお芝居について

岡本健一さんは、『尺には尺を』のアンジェロが本当に憎らしくて、2度目に観た時もまた憎らしくて、でもちょっと愛おしかった。『終わり良ければすべてよし』のフランス王は出てきた時リアルにお爺ちゃんで、一瞬だれかと思ったけれどヘレナに病気を治してもらってからは、ちょいと暴君が入ってきてアンジェロと共通するものを感じた。

驚かされたのは身体能力だ。車椅子に乗って出てきた時は老人にしか見えない姿勢、首の角度。元気になってからとは全然違う。機会があればぜひ次の舞台も観たい(1/27、親子共演で『Le Fils 息子』が上演されることが発表されました)。

ソニンさんは両方素晴らしかったのだけど、『尺には尺を』のイザベラが本当に良かった。わたしは彼女の出演作を『キンキーブーツ』ぐらいしか観ていなかったけれど、イザベラは何か賞を取ってもおかしくないくらい。特に『尺には尺を』のラストにつながる一連の芝居は、何回観ても良い。
(NHK BSで放送があったのを録画したため、何度でも観られる状態になりました)

浦井健治さん。『尺には尺を』のクローディオも『終わり良ければすべてよし』のバートラムも、必死に生きてるだけなのにどうにも残念で、滑稽な役。その必死さと軽薄さを、やたらと早口に喋ることで表現していたように思う。バートラムが公の場で話す時のスピードと、素に戻った時や言い訳をする時に話すスピードが全然違う。

惜しいのは、シェイクスピア俳優さんたちと並ぶと若干早口の時にセリフが観客に伝わりづらくなる時があること。他の舞台では感じないので、このカンパニーのメンバー、実力がけた違いなのだろう。次にこのカンパニーで上演がある時は、改善されていると良いな。芝居はとても良かったので。

中嶋朋子さん。めちゃくちゃ安定している。シェイクスピアのちょっと難解で分かりづらい言い回しも何のその。『尺には尺を』より『終わり良ければすべてよし』のヘレナが可憐で健気で、でも男を見る目がなくて。ついオバさんは忠告してあげたくなる。

終わりに

シェイクスピアってこんなに楽しいのか!と驚かされた同時上演。いま、これを同じ役者で演ることの意味が、確かに板の上からこぼれていた。鵜山仁さんの演出でシェイクスピア、また観てみたい。

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