日本人はウィーン・ミュージカルがお好き? 『モーツァルト!』
私はもしかして、観劇やら映画鑑賞やらを詰め込みすぎて、脳がおかしくなっているのではないだろうか。時々そう思うことがある。
本当にそう思うならやめりゃいいのだが、「今しかないかもしれない」という思いが、どうしてもぬぐえない私は、金銭的な理由以外で手を止めるのが難しくなっていたのだ。ようやく少し冷静になってきたのは、さすがにクレジットカードの請求額に驚愕したせいだ。
『モーツァルト!』というミュージカルについては、どうしても観たくて4月に帝国劇場で観たにもかかわらず、頭が疲れていたのか眠かったのか、はたまた両方か。イカれたさらりとした、毒にも薬にもならぬ感想しか書いていなかった。これじゃ全然感動が伝わらないですよあなた、とツッコみたくなる。
古川雄大さんの回を直接観られて、それはそれで大変良かったのだけれど、心残りは、山崎育三郎さんのヴォルフガングが観られていないことだった。井上芳雄さんは、ヴォルフガング役を35歳(モーツァルトが亡くなった年齢)で後進に譲っている。現在、山崎育三郎さんは35歳。もし、育三郎さんが同じことを言いだしたら、もう二度と育三郎さんのヴォルフガングを観る機会がなくなってしまう。
どうしたものかなあ、と悶々としていたところに、またしても現代テクノロジーの神がおりてきた。ライブ配信をやってくれるというのである。
とりあえず、申し込んだ。アーカイブ配信もあったが、私の都合がちょうどつくのは、日曜夕方のライブ配信の時間帯だけ。ちょうど、山崎育三郎さんの回の配信のタイミングである。ラッキーだった。
というわけで、ようやくこの作品についてちゃんと語れそうなくらいの、程よい冷静さと熱のバランスになってきたので、ここで再びミュージカル『モーツァルト!』について綴っておく。
あらすじと「ウィーン発ミュージカル」
本作は端的に言ってしまえば、「天才作曲家・ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの生涯を描く」作品だ。
ただ、普通には描かない。なぜか。
ウィーン発のミュージカルだからである。
ウィーン・ミュージカルの特徴は、
・絢爛豪華でファンタジック
・人ではないなにかの出現率高め(「死」とか、「才能」とか)
・基本的にバッドエンド
といったところが挙げられると思う。
ウィーン発のミュージカルと言えば、脚本作詞を担当するミヒャエル・クンツェと、作曲を担当するシルヴェスター・リーヴァイが「黄金コンビ」と言われている。本作もこのコンビによるもので、『エリザベート』と同じだ。テレビドラマに例えれば、脚本・野木亜紀子さん、監督・塚原あゆ子さんの手による『アンナチュラル』と『MIU404』みたいなものと思っていただければ良いだろうか。
つまり、最初に書いたあらすじを「ウィーン・ミュージカル」の文脈に沿って書き換えるとこうなる。
「天才作曲家・ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの生涯を、絢爛豪華かつファンタジックに、そして悲劇的に描く」
そして、特筆すべきはシルヴェスター・リーヴァイの曲だ。彼の曲なしにこの『モーツァルト!』という作品は成り立たない。私に音楽の素養は全くないけれど、以降はミュージカルナンバーに感じること、物語に感じることに分けて、「ウィーン発ミュージカル」の一つである本作の魅力について書く。
音楽:オープニングナンバー・「奇跡の子」
『モーツァルト!』は最初に、幼少期のモーツァルトが「天才」ともてはやされ、たくさんの人たちの集まる場でピアノを演奏するシーンから始まる。ここで流れる曲が「奇跡の子」だ。
晴れがましい場所で流れるのにはとても似つかわしくない、聴くものの不安を掻き立てる旋律。天才を子に持ち、鼻の高い思いでいるはずのレオポルドが口にする歌詞には、確かに誇らしき思いがにじむが、その旋律は父親の持つ不安を想起させる。何とも不思議な曲だ。
コーラスも舞台芸術も絢爛豪華で壮麗で、場は晴れやかなはずなのに、ぬぐえない不安が劇場を覆いつくす。
そんな風にして、『モーツァルト!』は始まる。
音楽:代表曲・「僕こそミュージック」
成長したヴォルフガングは、父に反発しながらも音楽を愛し、音楽で生きていくことを明るく歌い上げる。この時の曲が本作を代表する曲・「僕こそミュージック」である。
メジャーとマイナー コードにメロディーも
僕は語ろう 感じるすべてを音に乗せ
リズムにポーズ 響くハーモニー
フォルテにピアノ 紡ぐファンタジー
僕こそミュージック
このままの僕を 愛してほしい
「このままの僕」の意味するところが少し引っかかる。反発している父に対して抱いている、丸ごと愛されていないことへの不安からの歌詞? だとすると、劇中で言うところの「ヴォルフガング」のみを指しているのだろうか。それとも、アマデもヴォルフガングもひっくるめて両方、という意味だろうか。
物語:アマデとヴォルフガング
この『モーツァルト!』という作品で、モーツァルトは「アマデ」という音楽の才能を象徴する存在(子役)と、「ヴォルフガング」という浪費癖のある自由を愛する青年(山崎育三郎さん・古川雄大さん)の2つに分かれて、舞台上に存在し続ける。
オープニングのシーンからずっと、アマデが持っている箱。才能あるものにのみ与えられる特別なもの、ということだろう。
最後のレクイエムの作曲をする場面を除いて、曲を書いているのはずっと、アマデだ。ヴォルフガングは、曲を書く時アマデのそばを離れず、見守っている。
ヴォルフガングを取り巻く人々は、彼の才能(つまりアマデ)に引き寄せられている。コロレド大司教しかり、ヴァルトシュテッテン男爵夫人しかり。
ただ一人、「このままの僕」を愛そうとしてくれた人。
それは、ヴォルフガングの妻であるコンスタンツェだ。この点については「音楽:コンスタンツェの苦悩」の項で触れる。
音楽:パパの心配・「私ほどお前を愛する者はいない」
父レオポルドの目から見て、ヴォルフガングは年齢の割に子供っぽく映っていたに違いない。短気だし、弟気質が強くて家族のことより自分のこと優先だし、行く末が心配だったのだろう。
心配が高じたときにレオポルドが歌う曲が、「私ほどお前を愛する者はいない」である。この曲は、本当に何度も出てくる。コロレド大司教の城で大司教をひどく怒らせたとき、ヴァルトシュテッテン男爵夫人が、父レオポルドと離れてウィーンへ行くようヴォルフガングに勧めるとき、ウィーンでヴォルフガングが名声を認められ、有頂天になっているとき。
作曲の能力に秀でてはいるものの、その他の能力が極端に低いとレオポルドには映っていたのだろう、だからこれほど心配を・・・と思わず親の気持ちになってしまう。
ここで私が感じるのは、ヴォルフガングが思っているより、彼はレオポルドに愛されているということだ。もしアマデ(音楽の才能)のみを愛しているのであれば、レオポルドがこれほど、ヴォルフガングを心配していることの説明がつかない。
レオポルドは本当に、アマデもヴォルフガングもひっくるめて、愛していたのだと思う。いや、思いたい。
音楽:パパに息子の旅立ちを促す・「星から降る金」
ヴァルトシュテッテン男爵夫人は、ヴォルフガング(いやアマデか)の才能を認めており、支援者として彼をウィーンへと誘う。父レオポルドは、ザルツブルクで音楽を続けてもらいたいわけだが、ここで子の旅立ちを応援してほしいという思いでヴァルトシュテッテン男爵夫人が披露する曲が、「星から降る金」だ。
優しい旋律のこの曲を歌い上げていたのは、私が観た2回とも香寿たつきさん。元宝塚の星組トップスター。涼風真世さんでも観たかったけれど、贅沢を言っては失礼だ。何せ、帝劇で観たときの香寿たつきさんの音圧は、2階席でも感じられるほどすごかったのだから。
美しい歌声は、今も耳に残っている。
物語:ヴォルフガングの金遣い
ヴォルフガングの金遣いはおかしい。そもそも、ヴォルフガングの登場シーンから、赤いガウンを博打で一山当てたお金で買っている。思い付きでガンガンお金を使う。仲間が集まる場でせびられれば、仕送りに使おうと思っていた金を、そのまま出してしまう。お金の使い方がとても享楽的なのだ。
そんなヴォルフガングは、コンスタンツェと結婚するなら自分たちも養うという契約書にサインしろと、彼女の両親に言われ、あっさりサインしてしまうのである。
ここまでお金に頓着しないとなると、そりゃパパだって不安になるよねと、思わずレオポルドに同情したくなる。
音楽:コンスタンツェの苦悩・「ダンスはやめられない」
コンスタンツェは、ウィーンの見世物小屋でヴォルフガングと再会したとき(最初に会ったのはマンハイムのウェーバー家訪問時)、「僕こそミュージック」と同じメロディで、「このままのあなた」を歌う。
いわば、「このままの僕を愛してほしい」というヴォルフガングの願いへのアンサーソングと言えるだろう。
二人は、この後も「愛していれば分かり合える」という曲で美しいデュエットを披露し、愛を深めるが、天才の妻ゆえの苦悩が次第に顔を出し始める。
コンスタンツェの苦悩を表す曲が、「ダンスはやめられない」というナンバーだ。
日本の良妻賢母的価値観から見れば、夜ごとダンスに出かける「けしからん女」なのだけれど、ヴォルフガングは相当享楽的で、目の前の楽しげなことに心奪われる傾向があっただろうし、ひとたび作曲に入れば他のことにはまったく目もくれなかっただろうし、とにかく常識の範囲でくくれるような人間ではなかったと思うのだ。
「このままのあなた」で披露した通り、ありのままのヴォルフガングを受け入れて支えていきたい思いはあっただろうけど、コンスタンツェは普通の人だったのではないだろうか。
終盤、「このままのあなた」が「あのままのあなた」に変わるところが、切ない。
音楽と物語:コロレド大司教(山口祐一郎)がすごい
コロレド大司教は、日本で『モーツァルト!』の上演が始まった2002年からずっと山口祐一郎さんが演じられている。
実はモーツァルトの音楽の才能をだれよりも愛し、愛したがゆえに独占したくなり、あらゆる手練手管を使って、自分のための曲を書かせようとした男。私の目には少なくとも、そう映っている。
コロレド大司教を演じる山口祐一郎さんの歌の素晴らしさはもとより、誰かほかの人がダブルキャストで並ぶところも想像できない。それほど、山口祐一郎さんの表現力が素晴らしくて、逆に不安になってしまうのだ。
他にやり切れるとしたら井上芳雄さんしか思いつかないけど、山口祐一郎さんにもう少し頑張っていただきたい思いもある。でもコロレド大司教がいきなり変わるのは嫌だし・・・悩ましい。
適当なタイミングでダブルキャストにしていっていただけると、嬉しい。
音楽:ヴォルフガングの苦悩・「影を逃れて」
「自分の影から自由になりたい」、と歌うヴォルフガング。「影を逃れて」は、第一幕のラストと、第二幕のラストに歌われるナンバーだ。
音楽の才能・アマデに縛られ、自由でいたいのに自由になれない。
歌詞の中にある「いつかあいつに殺されてしまうだろう」のあいつは、アマデなのだろうか。
第一幕のラストと、第二幕のラストが両方とも同じ「影を逃れて」だというところに、「モーツァルトの人生は、才能がもたらしたものも大きいけれど、本人はその才能ゆえの苦悩が大きかった。彼は才能に殺された」という悲劇を見事に描いているように思えた。
物語:レクイエムの作曲を依頼したのは・・・
物語の終盤、ヴォルフガングに一人の男が、レクイエム(鎮魂歌)の作曲を依頼する。姿はハッキリと分からない。観客には明らかにレオポルドを演じていたのと同一の俳優であることが分かる。
実際に、モーツァルトが最後に作曲していたのがこのレクイエムだと言われており、作曲を依頼したのが誰なのかは明確になっていなかった。それを逆手にとって、「父の亡霊が、レクイエムの作曲をヴォルフガングに依頼した」という形にしたのだろう。
こんな風に悲劇的な香り漂うファンタジーに仕上げるのは、ウィーン・ミュージカルならではだなと感じる。
ヴォルフガングは、アマデに頼らず自力で作曲しようとする。だが曲は書けない。
最後まで曲を書ききれなかった彼の運命が、ラストの「影を逃れて」につながっていく。
物語:二人のヴォルフガング
帝国劇場で古川雄大さんのヴォルフガングを、配信で山崎育三郎さんのヴォルフガングを拝見した。お二人ともそれぞれ解釈が違って、素晴らしかった。古川さんのやや子供っぽくやんちゃなヴォルフに対し、育三郎さんは繊細で脆いヴォルフ。どちらも非常に納得感のあるお芝居だった。
けれど、個人的な好みで言えば、育三郎さんの繊細で脆くて、自らの才能に寄って来るものからメリットを享受しつつも、本来の自分との間で揺れ動く・・・という感じを実に細かく表現しているところが、たまらなく好きだ。
「同じ役を違う人で観られる」というのは、ミュージカルの醍醐味の一つだと思っている。
ダブルキャストやトリプルキャストが普通にあり得るミュージカルの世界では、複数回公演を観に行くと、ある役を前に観た時と違う人が演じていることが、普通にある。テレビドラマでも、映画でも無いことだ。ストレートプレイでは稀にあるけど、滅多にみかけない。
役に対する解釈というのは、俳優さんによって異なるのだなと改めて思い知らされる。だからこそ、ミュージカルが表現の世界の面白さを、毎回広げていってくれている感じがするのだ。
終わりに
日本人は江戸時代から心中ものが好きだったり、シェイクスピアも喜劇より悲劇を好む傾向にあるなど、悲劇を受け入れやすい性質を持っているのかもしれない。忠臣蔵だって白虎隊だって悲劇だけれど、極めて日本人ウケするお話だ。
こういう日本人のもともと持っている性質に、ウィーン・ミュージカルは上手くハマったと言えるのではないだろうか。
個人的には、色々楽しむあまりお金を使いすぎたので、今年はもう配信以外のミュージカルは、明日海りおさん主演『マドモアゼル・モーツァルト』で打ち止めである(チケットを取得済みでまだ観ていない公演はたくさんある)。来年は、宝塚のラインナップを増やしたい。新人公演も含めて、ご贔屓さんが見つけられたらと思う。
2022年は『ミス・サイゴン』もあるけど、そちらはチケットが取れるだろうか。東宝版『エリザベート』も取りたいけど、チケットが取れるだろうか。
いや、そんな心配をする前に、様々な演目を楽しむためにちゃんと仕事をして、お金を稼がないといけない。肝に銘じておこう。
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