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MDウォークマンと歩いた私の学生時代

季節が移ろうように、時代も移ろう。
そして、私も少女からもう気がつけばアラフォーに片足を突っ込んでいる。

学生時代にMDに入れて毎日聴いていたお気に入りの曲は、いつの間にか聴かなくなって、寧ろそんな余裕が無いくらい日々のタスクに忙殺されている。

私が歳を重ねるのとまた同じ様に、あの頃聴いていたアーティスト達も当然に歳を重ねて、違うテイストになっていたりする。

私が毎日高校時代にMDウォークマンに入れて擦り切れるくらいに聴いていた曲は「銀杏BOYZ」が主であった。
どっぷりとバンドにハマるきっかけになったアーティストである。

モーニング娘。や、浜崎あゆみがオリコンに上がる中、なんだかしっくりこない違和感のまま何となく過ごしていた中、初恋の一個上の先輩に借りたMDの中に入っていたのが、ゴーイングステディであった。後の銀杏BOYZである。

それは、綺麗事ばかり並べた流行りの歌詞とは違う、それはそれは泥くさいストレートなメッセージに溢れた歌詞だった。

初恋に破れ、高校へ進学し、自称進学校と称されるガリ勉の友達にバンドが好きな女の子はいなかった。
「好きなアーティストだれ?」と尋ねると返ってきた言葉は「クラシックしか聴かないの。」
衝撃だった。

クラシックが悪いわけでは無い。決して無い。
だが、ティーンズの衝動に似た激しく揺れ動く感情にマッチする当時の銀杏BOYZはその年齢にしか聴けない、言うなれば期間限定だったのだ。

私は補習授業をさぼり、足繁くタワーレコードに通っていた。パンクロック雑誌を買い、気になるバンドは片っ端から聴いた。
まだインディーズだったオレンジレンジの伝説のライブ、マキシムザホルモン、ガガガスペシャルが特集を組まれていた。

部屋には峯田和伸のポスターを貼っていた。
今思えば、自分が親だったら目を覆いたくなるような光景である。

私が電車に揺られながら銀杏BOYZやらガガガを聴いていた時間、同じクラスの友達は単語帳をめくっていた。

もちろん志望の大学には落ちた。
当然の結果である。

でも、その少女時代の延長線上に今の私がある。
私は今でもバンドが好きだ。
ヤバいTシャツ屋さんが今のお気に入りだ。
時代はMDからアプリに変わった。
もう、発売日にドキドキしながらタワーレコードに行くことは無い。
CDが欲しいなら、タップひとつで自宅に届くのだから。

銀杏BOYZも、テイストが尖り散らかしたゴリゴリのノイズから少し美しいメロディが増えた。峯田和伸も、青年から立派な大人になった。

私も少女ではなく、パンクロックを教えてくれた初恋の人とは全く別の人と恋に落ちて結婚し、2人の小学生の母親になっていた。
人生に一時停止は無いのだ。

秋の少し冷たい風に金木犀の香りが乗る中、久しぶりに銀杏BOYZの2002年発売のアルバムをSpotifyで今聴いている。

ヘッドホンから聴こえるノイズのような演奏、がなりのようでも美しい歌声。
私の青春時代は、もうスマホの中にスッポリと収まるほど、小さく遠くなっていた。

今の私の基礎は風化することなくあの時の音源のままで私の手のひらの上で音を鳴らしている。
でも、感じるのは衝動では無く、少しセピア色になってしまった学生時代の懐かしさだけだ。

あの頃の少女の私と、もうすぐ同じ年齢になる子供達は、この令和の時代の中、どんな音楽と出会い影響を受けるのかが、私の今のちょっとした楽しみだ。

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