はるまき

日常の中で生まれたちょっとした時間に書く呟きのようなnoteです。

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自己紹介します

今更ですが自己紹介します。 名前:はるまき 出身:東京都 趣味:筋トレ、サウナ、古着屋巡り、カメラ 特徴:HSS型HSP note始めたきっかけ:自分の感情を表に出す練習をしたいから 数投稿した上で自己紹介をしたのは、やってなかったから。 自分の感情の赴くままに文章を打っていたが、誰が書いているのか分からない状態が続いたので、このタイミングで自己紹介をしようと思った。 プロフィールは書いたので、ここでは少し「noteを書く意味」について話したい。 1番のきっかけは、

    • 苦痛の中で生きる

      最近よく考えることがある。 ストレスフリーな社会は本当に幸せなのか? 近年、日本人の幸福度ランキングや職場環境のストレスが問題視され、ストレスの悪影響についての記事やSNSの投稿をよく見かける。 確かに、長時間労働による睡眠不足やSNSによる他者比較はストレスを増長させる。1日に受容する情報量が多くなりすぎて、触れなくてもいい情報や刺激に晒されることが多くなった。 しかし、ストレスを十把一絡げに悪者扱いにするのは危険だなーと疑問に思うことが増えてきた。 その典型例で

      • 過度な自己肯定感とセルフラブ

        「自己肯定感を高めよう」 ここ数年で耳にタコが出来るほど聞いた話だ。 欧米諸国を含めた幸福度調査などを引き合いに出されて「日本人は自己肯定感が低すぎる」と著書やメディアで煽られる。 自分のことを大切にしようとSNSで優しげな言葉が溢れ返ったが、本当に自己肯定感の高さが必要になのか疑問に思う瞬間がよくある。 自己肯定感を高めるフリをして、怠惰を許容する理由を探しているだけに過ぎないのではないか? 正しくは 「過度な自己否定は今すぐに辞めるべきだが、定期的に自尊心や自信が

        • 「自分の頭で考える」と「他人に聞く」は別軸なのか

          新卒の頃の思い出 社会人の中で上司によく「分からなかったら聞いて」と言われていた。 しかし、何でも他人に聞いていたら自分の頭で考える能力が失われてしまうと考え、なるべく自力で問題解決を試みていた。 Googleでの検索ワードや社内ツール・チャットにヒントが掲載されていないかチェックして成果物を提出することに拘っていた。独立したら気軽に質問できる人がいなくなるため、情報収集能力を鍛える必要があると考えていた。 最近、ふと考えることがある。 「自分の強みや才能に関しては

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        自己紹介します

          カメラマンとは「全ての人にスポットライトを当てる仕事」である

          スマホで誰でも写真が撮れる現代、わざわざ高い一眼レフを買う必要があるのか? 10年前はデジカメを買って家族写真を撮ったり機械マニアの人が一眼を買うなど、写真を撮ることは専門的知識が必要と思われていた。 今ではスマホのカメラがどんどん高性能になり、誰でも画質の良い写真を気軽に撮ることができる。 また、カメラアプリやInstagramで簡単に加工もできる。 さらに、AI画像生成によって美しい女性や自分のプロフィール写真を数秒で作れるようになった。 カメラマンの肩身はどん

          カメラマンとは「全ての人にスポットライトを当てる仕事」である

          アートの島「直島」

          自然に圧倒された経験はあるだろうか? 日々PCやスマホの画面ばかり眺めていると、自分の世界が掌で収まってしまう感覚に陥ってしまう。 どこにでもアクセス出来る世界で旅行する価値はどこにあるのだろうか? 旅行の価値を再認識できる空間が日本には存在する。 GWに香川県直島に足を運んだ。 直島といえば、斑点模様のかぼちゃが有名だ。 芸術家の草間彌生さんが手がけたオブジェから唯ならぬ気配を感じる。 高松か宇和からフェリーで数十分。都会からのアクセスがとても良いとは言えないこ

          アートの島「直島」

          自分が1番自分にムカついてる

          私は自分を面倒くさいと思っている 日常の中で他人の配慮のない行動やダサい服装、デカい態度を見ると「何やってんのバカなの」と思ってしまう。 人前では口に出さないが、家にいる時や親しい友人の前では歯止めが聞かず激昂してしまいそうになる瞬間が多々存在する。 その度に「口が悪い」と指摘される。 直そうと思っても中々改善出来ず、どうして自分は温厚でないのかと悶々とする。 また、世の中には「怒り」という感情がほぼ湧かない人もいるらしい。 まさに光属性の人間だ。仏のような懐の深

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          「より良い自分」になろうとしてはいけない

          「努力してより良い自分になろう」 こんなフレーズを一度は耳にしたことがあるだろう。 少年ジャンプの「友情・努力・正義」の世界観は多くの人々に感動を呼び、努力して成果を出すことやより良い自分になろうとすることは善だとされている。自分を変えたいと思って日々行動する人たちも素晴らしいと感じ、共に伴走したい気持ちになることもある。 しかし、時にはそのより良い自分を目指す思考が、自分を苦しめる原因になってしまうこともある。理想とする自分と現状の自分を比較し、どうして自分の人格はこ

          「より良い自分」になろうとしてはいけない

          決断から1年

          去年の今日、退職した。 あの時はまあ何とかなるしゆっくりいこうという楽天的な考え方を持っていた。 しかし、クリスピークリームドーナツくらいあまりにも甘い考え方だった。 自分の社会不適合具合を計算することができず、ジタバタする期間が想像の3倍以上長引いてしまった。 心の乱高下は1年で恐らく180回くらい起きたのだろう。 あの時の決断は正しかったのだろうか… お金やキャリアアップという面では完全に失敗だっただろう。無闇矢鱈に仕事は辞めるものではない。 だが、あのまま

          決断から1年

          どんな失敗でも経験になる

          簡単に仕事を辞めなければよかった… 最近一番後悔したことはこれかもしれない。 雇用の保証がない場合に辞めてしまった場合、次の職が決まるまでジリ貧生活を強いられてしまう。 貯金がある程度担保されていればいいが、貯金額が徐々に減っていくストレスは想像以上だ。 お金の心配をすることで慢性的にストレスが蓄積され、睡眠の質も悪くなれば決断力も低下してしまう。 お金がなくても幸せにはなれるが、お金がないことはトラブルしか呼ばない お金が必要であること痛感できたのはとても大きい

          どんな失敗でも経験になる

          いつしか助けを求めることが怖くなった

          あの人みたいになれたらな… こう思ったことのある人は結構多いと思う。 小学生や中学生の時は自分より運動ができたりテストの点数が人に対して悔しさみたいな感情を抱くことがあった。 しかし、それは自分の生活圏の範囲内での話であり、見ず知らずの人間に嫉妬を抱くことはまずなかった。 だが、現代では全く面識のない人たちに憧れや嫉妬の感情を抱くようになった。 SNSやYouTubeでは自分より若くて顔も良くてお金もある人たちが沢山いる。自分でビジネスを成功させて高級車やハイブラン

          いつしか助けを求めることが怖くなった

          涙を流すのはそんなに悪いこと?

          男の子なんだから泣くんじゃない このような言葉を言われたことがある人はどれくらいいるのだろう。 もしくは 大の大人が泣くんじゃない こんなことを言われたことはあるだろうか? 私は新卒の就活の面談中に泣いてしまい、男が泣くなって言われた。 年齢を重ねる度に涙脆くなっていき、ふと涙を流していいのか考えてしまう。 日本の風習なのか時代なのか、涙は人前で流すものではないと何となく思ってしまう。何となく腫れ物のように扱ってしまう。 しかし、涙はそんなに悪いものなのか?

          涙を流すのはそんなに悪いこと?

          遠回りしないと気付かないバカなわたし

          転職活動をしているとふと感じる時がある どうして新卒で入った会社を2年で辞めてしまったのか 当時はメンタル的にもキツかったが、辞めるタイミングで復職することも出来た。実際、復職する10日前くらいは復職を考えていた。 しかし、自分のやりたいことはこれじゃない!と思い込み8割勢いで辞めてしまった。 今考えるととても勿体無いことをしてしまった。 幸運にも自分の周りには仕事に対して意欲的で良い人が多かった。会社も業界内である程度の地位を築いていて、同業者なら必ずと言っていい

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          「いいね」をする人は救ってくれない

          SNSはどれだけ人間関係を満たしくれるだろうか。 ついつい私たちはタイムラインやストーリーを閲覧して、気軽にいいねをつける。そして、いいねをつけられたら僅かばかりの承認欲求を満たしている。 今ではSNSを通じて様々な他人の生活や思考を覗くことができる。 150弱のダンバー数が何百人何千人と拡張された気がして、弱いつながりを形成することが簡単になった。毎日いいねや返信をすることで生存確認をすることができる。 しかし、孤独感を拭うことはできただろうか? 他人のSNSでの投

          「いいね」をする人は救ってくれない

          2022年を振り返って

          2022年は何をしたんだっけ スマホに映し出されたGoogleカレンダーをスワイプしながら思い出している。 昨年まではある程度埋められていた日常も空っきしの2022年だった。 何も前進した気がしない。 仕事もしてなければ他人にも全くと言っていいほど合わなかった年は今までなかった。否が応でも自分と向き合い続けた1年間だった。 自分と向き合うのは非常に辛い。 自分の弱い部分や醜い部分と直面して無力感と疎外感に苛まれた。どうして周りの人達のように生きることができないか何

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          人との出逢いだけは恵まれている

          自分は1人で生きているのだろうか 友達がいないと嘆いていた私は、誰の力も借りずに生きようとしていた。 仕事でも、なるべく質問をせず自分で調べて解決しようとしていた。他人に頼ることを弱さだと考えていた。 では、他人に全く興味がないかと言われたら、それも嘘になる。 昔から人間観察が好きで、電車の中は一種の遊び場だった。 スマホで何を見ているのか どんな靴を履いているのか どこの駅で降りようとしているのか 勝手に予測や予想をするのが日常の楽しみだったりする。 しかし、観察

          人との出逢いだけは恵まれている