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謹賀新年2023

2023年1月3日

新しい年がスタートしました。
元日から快晴続きで、気持ちのよい年明けを迎えています。
誕生日のお祝いメッセージもたくさんいただき、とってもうれしかったです。
ありがとうございました。

昨年は私なりによく自分に向き合った一年でした。

見たくない自分を見ることになって、
辟易して引きこもったり迷走したりしていたけれど、
時間が経って、気づけば、
一年前とは見える景色がずいぶんと変わっています。
途中であきらめなくて、ほんとうによかった。
こころからそう思います。

これも、自分ひとりではできなかったことで、
同じように自分に向き合って自分の人生を生きようとする
仲間の存在があったからこそ。
どんな私でもいいんだ、と思えたことがとても大きかった。

私の安全基地かつ冒険できる遊び場になってくれた仲間たちには
感謝してもしきれません。
ほんとうにありがとうございました。

2023年もどうぞよろしくお願いいたします。

***はるみの2022 プレイバック***

自分の内から湧き出る気持ちに耳を傾けて、
それらを素直に表現する。
このことに真面目に取り組んできた一年だったと思う。

最初の転機は、
5月末のえりちん&ゆきえちゃん主催の上高地リトリート。

大自然の中に身を置いていると、
日常ではよくある人の目を気にする感覚が薄れていって、
「このままの私でいい」と受容された感覚があった。
初めての感覚。

それ以降、自分のことをSNSで投稿できるようになった。

自分が感じていること、自分が大事に思っていること。
それまでは否定されるのが怖くて表出できなかったけれど、
それを出せるようになったのは大きな変化。

9月からゲシュタルト療法のアドバンスコースが始まって、
ファシリテーションの練習もするようになった。

そこで壁にぶつかった。
失敗を極端に恐れる自分がいたのだ。

新しいことを始めるのに失敗して当然なのに、
失敗を許容できない。
「何でもできる自分でいなきゃいけない」という強迫観念にも似た思い。
失敗を恐れて挑戦しない、小さくまとまろうとする私。

それは私のこれまでの生存戦略だったのだけれど、
今となっては窮屈で不自由きわまりない。
でも、なかなか手放すことができなかった。

そのころ、どんどん進化していく仲間がうらやましかった。

内心は自分だけ置いていかれそうで焦っているのに、
そんな自分を認めることができない。
「私はそんなこと気にしてないし~」と
平気なふうを取り繕っている自分がいる。
そして、仲間と同じようにできない自分を責めてもいた。

これまでの人生、
本当の自分を隠して取り繕うことに
どれだけのエネルギーを費やしてきたことか。
自分をよく見せるために自分自身を偽る。
自分じゃないものになろうとするから、ものすごく苦しかった。

私が幸運だったのは、
ダメで情けない(と自分が思い込んでいる)自分自身を
見せられる仲間がいたこと。

「私は置いていかれそうな気がして焦っている」
「私は誰々さんのことがうらやましい」
「できないと思われたくないから失敗できない」

こんなことを誰かに打ち明けたのは人生初かもしれない。
私の泣き言に仲間はそっと寄り添ってくれた。
自分の本当の気持ちを打ち明けたら、体とこころが少し楽になった。
仲間の前ではもう取り繕う必要がなくなったから。

かといって、すぐに苦しさがなくなったわけではない。
「何でもできる自分であらねば」と思っていた私が、
そうじゃない自分を受け入れるには随分と時間がかかった。
できない自分=「価値のない自分」になってしまうという恐怖があり、
ものすごい葛藤が起きていたのだ。

ただ、仲間に正直に気持ちを打ち明け、
自分を偽ることをやめたこの瞬間が、
自分に戻るプロセスのはじまりだったかもしれない。

このころ出合った言葉がある。

「肥沃な空所」

手に握りしめたものを手放すとき、
「何もなくなってしまう」と思うと怖い。

私が必死に握りしめていたのもの。
人より優れていること(←自分で書きながら恥ずかしい)、
周りからの評価、いい人っぽい仮面、etc。

これらを「持っている」ことに価値を置いていると、
「何も持っていない」ことは
自分の土台が崩壊するにも等しい恐怖がある。
それが「不毛な空所」。

でも、そんなものは本来の自分じゃない。
自分が自分であるだけで、外から何かを足さなくても、
すでに自分のなかに「ある」。

能力、活力、魅力は自分の内にすでにあるから、
ただそれを自分自身が認めてあげるだけでいい。
そうすれば、自分が本来もっているエネルギーがどんどん湧いてくる。

つまり、何物にもとらわれなければ、
もっと自由に、創造的に生きられるんだ。

それが「肥沃な空所」。

私はこの言葉に救われた。

不毛な空所の先に、肥沃な空所がある。
その一点に光を感じて、
自分を取り繕うためにまとってきた様々なものを手放してきた。

そして12月のある日、
「自分自身でいる」という感覚がふっと私に訪れた。
自分の感覚を信じられる感じ。

それがあると周りの人や物事に影響されずに自分自身でいられる。
こころが穏やかでありながら、エネルギーがみなぎっている。
初めての感覚だった。

「自分の感覚を信じられるのが『自信』なんだよ」、
と師匠であり仲間でもあるみれいちゃん(上谷実礼さん)が教えてくれた。

自分を取り繕わなくてよくなって、世界の見え方が変わった。
今まで自分を取り繕っていたのは、
そのままの自分では受け入れられない、否定される、と思っていたから。
そのころの世界は、私にとって油断のならない危険な場所だった。

でも、自分を取り繕わなくても受け入れてもらえることを知り、
世界はやさしい場所になった。

むしろ、自分を取り繕わないほうが相手とお近づきになれる。
本当の自分を必死で隠そうとする人に、
誰もこころを開かないのは当たり前ね。
世界って不思議。

*****

【自分を生きる・元年】

遅ればせながら、ようやく自分を生きるスタートラインに立った気がしている。
2023年は私にとって「自分を生きる・元年」だ。

私はまだまだ自分のことで精一杯で、
誰かのために何かをする、なんていう余裕はない。

ただ、自分を偽らないでいれば、
少なくとも自分の目の前の人には誠実でいられる。

私自身と、私の周りにいてくれる人たちの幸せのために、
私は自分を生きていきたいと思う。


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