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どこまでが自分?

なにかで読んだ話で(あいまいな記憶)自分と同じ身体があって、そこに記憶をとりいれたらそれは自分なのだろうか?みたいな。

そんなときに、先日テレビで同じような短編ドラマを見た。

そのドラマは、死んだ人(もしくは死んでしまう人)の重要な記憶をチョイスして残しておいて、AIのロボット?にその記憶をいれて、その亡くなった人のかわりとして・・というようなはなしでした。
結局ドラマの中では「本当のあの人はあんなに陽気でもなく、悪いところは叱ってくれた」みたいな差が出てきたみたいで、そのあと「それでも、この人は、あの人だ」という感じでそのAIをその人として認めた・・・みたいな感じで終わったけど・・・。

そのお話は、AIロボットなので、身体は変化しないし、ずっとその姿のまま、ロボットなので食事などもしないような設定でしたが・・・・

もし、身体がなんだかの形で全く同じに作れたとして、そこに自分の記憶全部を詰め込めれたとしたらそれは、「わたし」と呼べるのだろうか??

でもそうすると反対に、自分を自分としているのは「記憶」なのだろうか??

時々、ドラマや漫画で入れ替わるという話があるけど、入れ替わったというのは身体が入れ替わったということなので、身体=自分ではない。

でも逆に記憶を失った人は身体はその人だけど、記憶がない場合でも自分は自分。ということは自分というのは意識なのだろうか??

自分の意識=自分だとすると、それは身体や記憶がなかったとしても存在するものなのだろうか???

などと迷宮いりしていました。

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