アフリカをよむ会20180610

「『アフリカ』をよむ会」報告記

6/10(日)に「『アフリカ』をよむ会」というトーク・イベントをひらいた。

もう1ヶ月たってしまったが、今度は8/5(日)に私の「ひとり語り」のイベントをやることになったので、その前に少し振り返っておきたい。

「『アフリカ』をよむ会」は、『アフリカ』最新号(第28号/2018年4月)の執筆者を数名、ゲストに呼んで、ひとりひとりがどんな暮らしをして、どんなふうに書いているか、『アフリカ』をどう観ているか、といった話を聞いてみようと企画したものだった。

来てくれたのは、中村茜さん、鍋倉僚介さん、とうやまりょうこさん、北村愛子さん、それから校正の黒砂水路さん(最新号には書いていないが彼は小説も書いている)。

個人的にも初の試みだったが、ウェブを通じて名古屋の犬飼愛生さん、コロンビア滞在中の柴田大輔さんにも話を聞いた。

場所は、今年からアフリカキカク(『アフリカ』をつくっている私のプライベート出版レーベル)が“居候”させてもらっている綜合デザイン研究所(吉祥寺美術学院)のアトリエ。

開場前、北村さんのアイデアで、『アフリカ』のバックナンバーがズラリと並んだ。薄い冊子でも、12年で28冊、並ぶと何か特別なものを感じる。

ゲストへも、ご参加お申し込みいただいた方々へも、「本を使った、ちょっとした遊びをやりますから、 もしよろしければお気に入りの本など1冊〜3冊お持ちください」とお伝えしていた。

やったのは、「直観讀みブックマーカー」。大阪の陸奥賢さんが考案して、「オープン・ソース」として公開しているワークで、何度かやったことがありとても面白い。

そのこにある本を手にとり、目をつぶって(つぶらなくてもいいが)、パッとひらいたページの、パッと目についた文章やことばを栞に書き込む、というワークだ。直感で本をひらく前に、たとえば、「愛とは?」とか「人生とは?」という問いを皆で立てて、やってみる。

今回はその最後に、「『アフリカ』とは?」という問いを立てた。

自分の持って行った本に挟んであったブックマーカーしか写真に撮れなかったが、たとえば…

『アフリカ』とは、「建築的身体である」。

『アフリカ』とは、「そういう意味でエンターテイメントであることを忘れたくない」。

『アフリカ』とは、「さほど皮肉っぽくはない」。

『アフリカ』とは、「彼女の願いを叶えてやってくださいませ」。

『アフリカ』とは、「そんなふうにしてできあがった本である。元気のいいある先輩の編集者が、自分が担当した出来上がったばかりの本を部長に手渡しながら、この本には誤植がありませんと言った」。

と、まぁこんなふうだ。ひと笑いしたあと、ひとりひとりに話を聞く時間を始めた。

持ち寄られた本の集合写真(早めに帰られた方の3冊は撮れなかった)。

以下のことは記憶で書くので、少し違っているかもしれないが、とりあえず書いておこう。

まずは、コロンビアのカリというところに泊まっていた柴田さんと、ウェブを通じて少しやりとり。「マウロ」(『アフリカ』第26号)はずっと書きたいと思っていたが、『アフリカ』に書くまでは書く場所がなかった」と以前、柴田さんは言っていた。

最新号に載っている「一杯の珈琲から始まる一日〜コロンビア、ある夫婦の物語」は、その全貌を『ウェブ・アフリカ』vol.1で見ることができる。昨年・秋に珈琲焙煎舎(府中市)の2階で開催した写真展の拡大版だ。その話を少ししてもらった。

中村茜さんは、私とのかかわりを説明することからはじめ、学生の頃からの研究テーマ「鬼」の話を書いていること、それに少し行き詰まり(?)を感じたとき、障害のある息子さんのことを書いてみようと思って今回はじめて書いてみた。しかしそれも「鬼」と通じていたのではなかったか、というような話をした。

はじめて『アフリカ』に書いた鍋倉僚介さんは、普段は英語の翻訳者をしている。小説を書くのはたまにだが、いつも映像のイメージが先にあり、そこから構想していく、という。今回の「桜のこと」も「写真」が大きな役割を果たしているのだが、私がその話をすると作者はそこまで意識してなかったようなことを言っていた。むしろ、「桜」の映像的イメージを書こうとしたということなんだろう。そんなことも小説になる。

とうやまりょうこさんとは、2013年の1月に「“いま、プライベート・プレスをつくる”ということ」というトーク・イベントをして以来、しばらくは毎月の読書会(よむ会)をやっていたし、5年の付き合いになるが、『アフリカ』に書いてもらったのは初めて。その小説「春風」は、彼女の住んでいる川崎にある喫茶店で、お年寄りの「指定席」が暗黙の了解で存在しているという話を聞いたのがきっかけだそうだ。そこから女の子の話をつくったのは、「子供の話はウケがいい」からという話だったが、果たして『アフリカ』の読者にはどうかな…?

犬飼愛生さんは、いま『アフリカ』に書いている人たちの中では最も私との付き合いが長い人。現在、名古屋に住んでいて、今回はウェブで彼女の家と中継をつないで話をした。詩を書くときのこと、詩を書くのにかかる時間、『アフリカ』へ抱いている気持ち、なんかを聞いた。

犬飼さんには、最新号に載っている「ニューソング(春のうた)」を朗読してもらおうと思っていたのだが、「自作の詩の朗読、以前はやっていたんだけど、どうにもしっくりこなくて」と言って、私が朗読することになった(なってしまった)。ま、書いた人じゃない他の人が読むのも、いいんじゃないかな。読んだ本人には、どうだった? としか言えないが…(犬飼さんは「よかった。間がよかった」とか言ってた、そのことは8/5のトーク・イベントの話につながるので、また…)。

会場の綜合デザイン研究所(吉祥寺美術学院)のアトリエのスタッフである北村愛子さんには、以前、『アフリカ』に絵を寄せてもらったことはあったが、文章を寄せてもらうのは今回が初めて。今回載っている「闇の中の風景」は、じつは、今年2月からアトリエで始めた「オトナのための文章教室」で生まれた文章。そのときは「風景をことばで描写する」がテーマだったのだけれど、彼女は「音」で「風景」を呼び起こすような文章を書いてきたのだった。

その話を聞くと、最近アトリエで連続トーク(イベント)を開催中の映画監督・七里圭さんの「音からつくる映画」からの影響や、折口信夫からの影響、藤枝静男「田紳有楽」からの影響を語った(ことばを書くことにかんしては素人なので…と言いながらこの話の展開はいかに? と私は思った)。そこで「田紳有楽」の最後の部分を私が朗読する時間もあった。

最後に話を聞いたのは、黒砂水路さん、彼の「作文」は最新号には載っていないが、じつは「落とした」のです。普段の、校正者としての彼の仕事の話、『アフリカ』の校正をボランティアでやってもらっている話もして、書いているものがどうやって書かれているのか、少し聞いた。

「『アフリカ』をよむ会」はこんな感じで、盛りだくさんでやった。『アフリカ』に書いている人たちは、じつはお互いを知らないということが多くて、読書の皆さんを交えてのミーティングという雰囲気もあった。お付き合いくださった皆さん、ありがとうございました!

(イベントのあとで、「自分も何か書いてみようかな」という声があったのは嬉しいことでした。)

そして、もう次の準備をしています。8/5(日)、吉祥寺美術学院の「2018サンデー・トークイベント」の1回として、今度は私のひとり語りのイベントをやります。

ゲストを呼んでの語り合いもいいのですが、あまりそればっかりなのも私は詰まらなくて、2、3人で話す方が楽なのもわかっている、しかし、次やるなら「ひとり語り」がいいな、と思って企画しました。

題して、「なりゆきの作法──道草氏の極私的文学論」。

その話はまた次のnoteをお待ちください(たぶんまた数日中には書きます)。

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