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本当はいつも自分の好きな串が一本多く入ってるのを知ってた

2020/11/10 10:01

やらかした。パジャマのまま鍵を持たずにゴミ出しに出て、綺麗にオートロックを閉め出された。

にゃーん…

しとしとと小雨降る中、マンション前で呆然と立ち尽くすこと数分。

こんなことならもっとマシなパジャマを買っておけば良かった。じゃなかった、ちゃんと鍵を持って出ればよかった。ああああああああ!!!

いやはやオートロックとは恐ろしいものですね。「あっ」って思った時にはもうカチャンですもんね(当たり前)。あらゆるところに防犯カメラのついたセキュリティばっちりオートロックマンションに憧れてわざわざ引っ越してきたばかりなのに、そのオートロックから閉め出され早速壁付けの防犯カメラに映っている不審者が自分自身だなんて、いったい誰が予想出来ただろう。

昨夜から降り出した雨が次第に強くなる早朝五時、管理会社と連絡がつくのは最速でも九時ごろ。スマホも財布も何もなく、わたしにあるのはこのペラペラのパジャマ一枚のみ。凍える手足。小さく軒下に身を寄せても跳ね返る雨でしとしと湿ってゆく髪の毛。気分はすっかり捨て猫だ。

にゃーん…

•*¨*•.¸¸☆*・゚

通行人が通りかかるたび、素早く植え込みに首から下(のパジャマ)を隠し、なるべく気配を消して人が居なくなるまで息をひそめるという意味不明な作業を繰り返しているうちに、何だか無性に悲しくなってきた。

どうすればいいか分からない。こういうとき、社交的な人間ならどうするんだろう。

わたしは昔から家族以外の人に頼ることが苦手だ。小2の頃、同じように自宅の鍵を忘れて家に入れなかった時も同じようにひたすら駅前のベンチに座り、ランドセルを抱えて家族の帰りを待っていた。

なるべくなら、誰にも借りをつくらずに生きてゆきたい。出来る事なら、誰にも甘えたり頼ったりしたくない。我ながら本当にめんどくさい性格だと思うけど、わたしは演劇以外まともにできることが何もないから、善意を受け取って借りを返せなくなってしまうのが怖い。それに、人が人に親切にする時は大抵裏がある。優しさに甘えるうちに気づいたら一人で立てないくらい依存して抜け出せなくなることもあるかも知れないし、時には善意と引き換えに大きな見返りを求められたり、借りが返せず怖い目にあわされるかも知れない。

でもそんなのは言い訳で、わたしはただ他人に踏み込まれるのが怖いだけなのか。結局のところ、「この人になら騙されてもいい」って思えるほど誰かを好きになったり、人を信じてみる勇気がないだけなのだろうか。こうしてひとりで我慢していれば、大概のことは時間が解決してくれる。でもそれだけでは永遠に誰にも、心のうちを打ち明けることなど出来はしない。

小一時間悩みぬいたわたしはオートロックのボタンに手をかけ、同じマンションの住人(何の面識もない)の部屋のチャイムをおそるおそる鳴らした。

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もうこうなったら勇気を出して、「あっあっあのあのすみませえええん同じマンションの者なのですがオートロックを閉め出されたので開けてもらえませんかああああ」と恥をしのんで頼んでみようと思ったのだが、どこからどう見ても宅配便の配送員には見えないパジャマの女の映るモニターをみてインターホンに出てくれる奇特な住民は、当然ながら居なかった。

それもそうだよな、逆の立場になって考えたら、全身しっとり濡れてる不審なパジャマの女が早朝五時に部屋をピンポンしてきたらめちゃくちゃ怖い。

持てる全ての気合いと勇気をぶちこんだピンポン攻撃が失敗し全ての弾を失ったわたしは、完全に詰んだ。ああ。次に生まれ変わったら二度と鍵を忘れて外に出ないように、合鍵をマイクロチップさながら体内に埋め込める人類になりたい。

へなへなとしゃがみこむと、さっきまで降っていた雨が少し途切れ、わたしの頭の上の雲が割れて、淡い朝の光がさしている。

空気中に舞う埃すらキラキラさせながら、光の筋が真っすぐわたしの爪先へと降り注ぐ。ほんの少し勇気を出して「たすけてください」を言おうとしたわたしへ、ささやかな空からのご褒美のよう。でも相変わらず、状況は何にも変わっちゃいないけど。笑

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寒い。

小学生の頃に通っていた塾の真下の焼き鳥屋のおじさんは、こんな寒い日に焼き鳥を買うと、いつもちょっとおまけをしてくれた。その話をすると母は「よかったねえ」と言って、いつしか、その焼き鳥屋さんでしょっちゅう晩ご飯のおかずを買うようになった。

でも、おじさんはそんなリターンを求めておまけしてくれていた訳じゃない。わたしが小銭を出すと「いつも遅くまで勉強して大変だねえ」ってニコニコして、心から塾の子たちに焼き鳥を食べさせてあげたいって思ってくれてるのが分かったし、母も別に「借りを返さなくては!」という義務感でおかずを買っていた訳じゃない。

だからなのか、遠慮ばかりして、人から何かをしてもらうのが苦手なわたしも、おじさんのおまけはいつも純粋に嬉しかった。

今でも覚えてる。二階の塾の窓までもくもく上がってゆく煙、香ばしい炭のにおい。次々と焼きあがる串をチャッとタレにくぐらせリズミカルに茶色い紙袋に放り込みながら、「どれ好き?モモ?皮?つくね?」って質問に答えると、好きと答えた串を二本いっぺんにつまんで、また袋にポンと放り込む。その手元をみて弟が「多いよ?」って言っても、「そんなときもあるよ」って、手早く紙袋をビニールに入れてくれる。

わたしのおまけはリクエスト通りいろんな焼き鳥だったけど、弟はいつも「つくね」としか言わないので、たまにつくねじゃないのがもう一本入ってた。袋をあけて???となる弟の顔を見るたび、お前はいつもつくねじゃないか、つくね以外も食べてみろっていうおじさんの心の声が袋から聞こえてくるようでおかしかったな。

わたしたちはいつも自分たちの好きな串が一本多く入ってるのを知ってた。大喜びで親に「あのおじさんはいつもひとつ多めに入れてくれる!」って持って帰って見せては報告していたけど、今思えばおじさんのあれは冬の夜、たぶん塾から家に帰るまで寒いだろう、一本つまみ食いしてもばれないからあったかいうちに食べちゃいな、って事だったのだと思う。それは自分が大きくなって、塾帰り、白い息を吐きながら帰る小学生を見て気づいたことだ。

あの頃あの優しさを素直に受け取れていたのはなぜだろう。またああやって誰かの善意を、負担に感じず喜べる日は来るだろうか。そしてわたしもいつか、おじさんのように出来る大人になれるだろうか。

あれがいい。ああいうのがいい。わたしもいつか優しさを、あんな風に自然にトレードできる人になりたい。

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ウィーンという音と共に、しゃがみこんでいるわたしの前のドアが開いた。いつの間にか朝になり、中から住人が出てきたのだ。

咄嗟に隠れようとしたが、遅かった。あまりにも長くそこにしゃがんでいたため、足が痺れて、わたしは思いきりパジャマ姿を目撃されてしまった。

「あっあっ」

恥ずかしい。恥ずかしすぎて憤死しそう。「ここの住人じゃないですけど?」みたいな顔をして今からでも逃げるべきか隠れるべきか、それとも下手に動くと余計目立つから、このままそのへんの壁と同化すべきだろうか。

中腰でおろおろするわたしを見ながら、その住人の方は、オートロックのドアに手を添えて、こちらを向いて小さく目くばせしてくれている。

察してくれ…てる…?

わたしのこの状況を。

言葉を知らない人間のように「あっあっ」と声をあげながら、わたしは中腰のまま小走りにその方の横をすり抜け無言でドアをくぐった。お礼を、お礼を言わなきゃ。口をパクパクするが声が出ない。あっあっ。

ああああごめんなさああいい…。

さっきまで開かずの門だった鉄のドアが、ゆっくりわたしとその方の間で閉まる。

心臓が飛び出そうにバクバクして、驚きと恥ずかしさで声が出ない。パニックで半泣きになりつつ、わたしがドア越しに何とかペコリと頭を下げると、その方はにっこりしてスタスタと足早に出かけていかれた。わたしの恰好をみて瞬時に全てを察してくれたその方は、あっという間にわたしを救い、あっという間に見えなくなってしまった。

出てこない言葉を心の中で大声で叫ぶ。ありがとうございます…。ありがとうございます…。

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階段をよろよろと登り、何時間ぶりかの自分の部屋にたどりつく。

家ってこんなにあたたかいものだったかしら。つめたくなった手足のまま布団に倒れこむ。

助かった!!

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たっぷり死んだように寝て目覚めると昼だった。カラカラの喉に一気に野菜ジュースを流し込む。「優しい世界と野菜生活は似ている」って誰が言いはじめたのか知らないが、やさしいやさいせいかつが、じんわり五臓六腑に沁み渡る。

おもむろにお湯を沸かし、たまったメールをチェックすると、ネットの誹謗中傷の訴訟を依頼している弁護士さんから返信メールが来ていた。わたしが絶対的信頼をおいている弁護士の田中先生は、ほとんど無駄話などはしてくれないが、無駄も隙もない、端的で美しい文章を書くひとだ。短いメールの文章だけでもその誠実さが見て取れる。

「おや」

いつものシンプルで事務的なメールの末尾に、ほんの一言「コーヒーとお菓子もありがとうございます」という一言を見つける。そういや先日、先生に送る書類の隙間にふとコーヒースティックとゴーフルを入れたんだった。

誰にも頼れないわたし。でも、そんなわたしにもこうして、ささやかな優しさをやり取りしてくれる人がいる。焼き鳥のおじさん、オートロックを開けてくれた人、そして田中先生の超レアな業務連絡以外の文章。

わたしはいつも自分の好きな串が一本多く入ってるのを知ってたし、今も無数のやさしさに守られて生きていることを知っている。でも何にも恩返し出来ないわたしはそれに気づくと怖くなる。もう少し、もう少しだけ、ひとりで生きてるつもりでいさせてね。

ふとした時にさりげなく感じるくらいのやさしさが、これまでも好きで、これからもきっと好き。

朝からさんざんだったけど、今日は良い一日になりそうだ。

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#やさしさにふれて

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🌸このnoteは、Panasonicと開催する「#やさしさにふれて」投稿コンテストの参考作品として、主催者の依頼により書いたものです。🌸


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