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優しさ未満の出来事。

#やさしさに救われて 企画に参加します。

それは昭和後半のことでした。昔話に近い、けれど今も鮮明に覚えているできごとです。新社会人という枠組み、年齢だったころ、私は自分の住む街、その都心部を徒歩で移動していました。スクランブル交差点の脇に多くの人が利用するタクシー乗り場があります。いつものように、そこを横目で見ながら先を急いでいたとき、見知らぬ男性に声を掛けられました。

「すみません。タクシー乗り場はどこにありますか?」
え?と一瞬訝しく思いました。声を掛けられた場所から十数歩も歩けば、そこにタクシー乗り場があるからです。その疑問は、男性の姿を見てすぐに解けました。その方は濃いサングラスを掛け、(恐らく弱視等の視力障害を抱えておられる)白い杖を持っておられたからです。
男性の視線は私に向いています。どうやらこの方は「光を感じる」ことはできるようだ。さて、どうやって誘導したらよいのだろう。若く未熟な私には、目の不自由な方の手助けをする方法が解りません。

「タクシー乗り場はすぐ近くです。私はどうすればいいでしょう。ご案内をしたいのですが、乗り場まで」
そう答えを返すと、サングラスで覆われた目、その視線が和らいだのが私の目に見えた。淡い笑顔を浮かべたその男性は、私の言葉に答えを返しました。
「ありがとうございます。では、脇を開くように手を下げて貰えますか。私とあなたの腕を組んで歩いていけば、何とかなりますから」。
描写が拙く、情景が分かりにくい表記で申し訳ありません。つまり、男性と私は腕を組んで、隣りあってタクシー乗り場まで歩いていったのです。それが、その男性には一番歩きやすい方法だとのことでした。
乗り場まで数分。けれどはじめての体験に、私はひどく緊張していました。もし私の誘導が拙くて、この人に怪我をさせたら(転倒したとしたら)どうしよう。正直に言えば、怖かったのです。介添えの経験のない私には。

私と男性は、ほどなく乗り場に辿り着きました。
「着きましたよ。タクシーの運転手さんに声を掛けて、ドアを開けてもらえばいいのでしょうか」
「ああ、よかった……。はい、お願いします」
そんなやりとりを交わし、男性はタクシーに乗りました。後部座席に座ってから「運転手さん、ちょっとだけ待ってください」、そう声を掛けて。

「本当にありがとうございます。こうして声を掛けて助けを求めても、無言で通り過ぎてしまう人が多いんです。ご親切な女性がいてくれて、とても嬉しい」
男性は喜びで言葉が尽きない様子でした。「いいえ、私は偶然に通りかかっただけです。どうぞお気になさらず。お気を付けて」そう言葉を返し、タクシーの運転手さんに目で合図をしました。ドアが閉まり、私に頭を下げ続ける男性を乗せて、そのタクシーは走り出します。私はその行き先を知りません。男性もまた、私の名もどこに行く途中だったのかも、知らないまま。
そんな一瞬の邂逅でした。

誰かの役に立つ、感謝される。それは行為をした側にとっても嬉しいことです。私も喜びを感じつつ、どこか申し訳ない思いも抱いていました。
先に書いたように「私もまた『見て見ぬふり』をしよう」かと、一瞬思ったからです。それができなかっただけなのに、偽善と呼ぶべき行為だったかもしれないのに。男性から感謝される資格は、私にあるのだろうか。
相反する思いにかられた私の目に、盲導犬の募金箱が写りました。タクシー乗り場のすぐ近くにある百貨店、そのサービスカウンターに置かれている募金箱が。
私は一枚の千円札を財布から取り出し、その募金箱に入れました。募金箱が盲導犬協会のものだったことも募金の動機でしたが、拙い自分を詫びる気持ちが、その時にはあったと思います。

あのできごとから、随分と長い年月が流れました。年号も昭和から平成、平成から令和に変わった今、当時を振り返って思います。
自意識過剰だったなぁ。私も青かったよ。 と。
お役に立つことができたならば、その結果を良しとする。そうでなければ他者へ手を差し伸べることなどできないのですから。私は立派な人格者ではない、器の小さい人間です。ならば、小さな器でできることをすればいい。器の小ささを嘆くよりも、今できることをするべきだ。そう思うのです。

逡巡したあの時。きっと「ああよかった」と安堵したのは、男性よりも私であったでしょう。私は思ったのです。困っている人を無視することにならずよかった、と。善意を受け止めてくれた男性。その人は私を救ってくれたのです。青い愚かさから。

*ハッシュタグの英文 Today you, tomorrow me は「情けは人のためならず」の英文的表現です(Wikipedia等に解説があります)


拙稿をお心のどこかに置いて頂ければ、これ以上の喜びはありません。ありがとうございます。