間違えても本日

間違えた。間違えてしまった。
映画を観るため住んでいる住宅街から街の方まで、一時間に一本しかこないバスに乗り、30分揺られてやってきた。
他に用事はない。この為だけに来たのでする事もないけど、先ほど調べた上映スケジュールに書いてあった時間よりやたら早く着いてしまった。まぁ、、時間を潰すしかない。
実は一つ前の枠で観ようと思っていたのだが、バスに揺られて眠くなってしまい、既に一本見送っているというだらしのない状況の私である。
本屋さんへ行って買いもしない本を眺めたり(家には積読になっている本が山ほどある、、、)絶対買っても着ない服を扱っている服屋をなんとなく覗いたりして時間を潰していた。あまりに暇でもう一度上映スケジュールを見る。
、、、ん?今日って何日だっけ?

あ。

またか。間違えた。、、私が見ていたのは本日の上映スケジュールではなかった。一瞬、うわぁ、、、という残念な気持ちが押し寄せてくるので一旦それがサーっと引くまで待つ。割とよくあるのでここら辺に関してはもはやプロの領域である。
次に苦手としている状況への対処。観れそうな上映時間はないかな。。。
レイトショーが一枠あったけど今からレイトショーまでとてもじゃないが時間を潰せる気がしない。大人しく帰ろう。
一体何をしに来たのやら。割と慣れてきた自分のポンコツぶりを再確認する作業。バスに30分揺られて出てきて、観ない映画の上映時刻まで時間を潰して、本当に見ずに帰るというのか。

なんか昔、自分でもびっくりするくらい酷い鬱だった頃、母が朝仕事に出掛けてから夜帰ってくるまでずっと布団の中にいるというなんとも不健康な生活を半年近くしていた時期がある。動かないからお腹空かないし、空いても食べないし、誰にも会わないからお風呂とか身なりとか全然どうでも良くて、何より身体が腐って先に死んでしまったようにまるで動かなかったのだ。そんな毎日には勿論生産性も活力もなくて、心まで動かさない身体に合わせて死んでいくのがなんとなく分かるというか。まぁ、思い込みだったのかも知れないけど(笑)
布団の中で毎日伸びた爪とか見て時間潰してた。今ではお日様を浴びて、散歩をすれば夜も寝れるようになるし、歩いたり、外に出れば多少お腹が減る。外に出るためにしっかりお風呂に入って身なりを整える事も必要になるって分かるし、働いたり、生産性のない生活だとしてもそれは人間らしい素晴らしい生活だと思う。でも出来なかった。

多くの人は人の命はかけがえのない、代わりのいないものだという。でも、私はそう思えないのだ。命は代わりがきく。実際、私が半年機能していなくても世の中誰も困らなかった。普通に営まれていた。心配してくれる人はいたけど私が寝てて困る奴なんか一人も居なかった。仮にそんな奴がいたとしたら、居たとしたらそいつは私に寄りかかりすぎていたのだと思う。
人間は代わりがきくから、とってすぐに代わられてしまうから頑張るし、踏ん張りがきくのではないだろうか。せっかく手にしたこの居場所を渡すもんか、、、ぐぬぬ、、って。そして、代わりがきくから踏ん張りきれなくなった時は勝手に休んでもいいのだ。

帰りのバスの中で、日差しのよく当たる眩しい方に座ってしまった、、、間違えたなぁ、、、暑い。じりじり暑い。でも、日を浴びれなかったあの頃よりはいいのでは。間違えたってミスって映画観れなくたっていい。無駄に動いたっていい。間違えても、つまづいても、転けても今日は今日だし。毎日ご飯食べて、日に当たって、間違いだらけの本日をやり過ごそう。帰ったらとりあえず寝ます。

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