慣習に願いを、初詣。
手を合わせて始まる沈黙。頭の中に浮かんだのは南無阿弥陀仏だったから、「あれ?違う」と思いかき消した。
家のすぐそばの神社に行ってから、車に乗って近所のもう少し大きな神社に移動する。2つの神社を回るこの初詣ルートは我が家の伝統だ。
願ったのは健康と世界平和。
毎年願うことは一緒です、効果の程は不明ですが。
おみくじは引かなかった。残り364日もある、今年がどうなるかなんて一枚の紙に判断して欲しくなかったし、何より15分後には何を引いたのかなんてきっと覚えていない。
「誰かの忠告に怯えながら新年を迎えるよりも、自分の願いを叶えるために元旦から動きたい。」
そんな気持ちよりも、たぶんおみくじに書かれた文面を見るのに、嫌気がさしただけなんだろう。誰しも悪いことには耳をふさぎ目を閉じるものだ。不思議と、大吉を引かない予想を立てていた自分を否定することはなかった。
ずらりと拝殿に向かって並ぶ列を見て、人は何かにすがって生きているのだなと思う。
皆がみんな宗教を信じているわけではないから、きっとここにいる人がすがっているのは神様ではなく、「元旦には神社に行き初詣をする」という慣習や伝統なんだと思う。
実際、こういうことをしていないと過ぎていく季節を実感することってあまりない。みんながこぞって手作りおせちをSNSにアップするのは、忘れ去られそうなお正月という季節を思い出すためなのかもしれないね、おせちの豪華さを自慢したいのではなくて。
自宅に戻り、仏壇で手を合わせた。南無阿弥陀仏とつぶやく前に、昨年はお世話になりました。と頭に浮かぶ。うん、今度は南無阿弥陀仏で大丈夫だった気がする。
皆はどんな願いをどのように浮かべたのだろう。日本中が手を合わせて願う1年に1度のこの日に、慣習に従って向かう神社で、どんな願いが唱えられているのか気になっている。
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ハルノ
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