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『大人だって読みたい! 少女小説ガイド』出版に寄せて。 ~私を支える世界で一番美しい言葉。

 
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 先日『大人だって読みたい! 少女小説ガイド』という少女小説を紹介する本が、出版されました。
 私が氷室冴子さんなどの少女小説に最初にふれたのは、中学生のときです。当時の部活の先輩が「とっても面白いよ!」と貸してくださった本に夢中になって、自分でも本屋さんに足を運んで購入し、読みあさりました。
 そうして、私も少女小説を書きたい! 作家になりたい! と思うようになったのでした。
 物心ついたときから、なにかしら書いていました。それまで童話やお伽噺をノートに書き綴っていた私が、少女小説を書くのだ、と思い定めたのはこのときからです。
 まだライトノベルという名称のなかった時代、私が目指したのは少女小説家で、私が書きたいと心の底から願ったものは、少女小説でした。

 中学二年生のとき、校長先生とお話をしたことがあります。
 そのころ、お昼の校内放送で本の朗読をしていて、校長先生が私と話してみたいと言ってくださり、校長室にうかがったのでした。
「○○さんは、将来はなにになりたいの?」
 と訊かれて、

「私は、少女小説家になりたいです」

 と答えました。
 校長先生は少女小説をご存知ではなく、おそらく純文系の作家を想像されたのでしょう。
 市内の中学生を対象にした文学賞に、応募してみてはどうかと勧められました。同じことを国語の先生にも言われていて、
「私が書いているのは、そういう小説ではなく少女小説で、私がなりたいのも少女小説家なんです」
 と当時中学生だった私は一生懸命に説明したのですけれど、きっと伝わっていなかったと思います。
 多分、高校生くらいのときに同じことを言われたら、少女小説がどういうものかを話しても伝わらないだろうと最初からあきらめて、あたりさわりのない返事をしてやり過ごしていたでしょう。
 でも、このときはピュアピュアな笑顔で、

「私が書きたいのは少女小説なので、その賞には応募しません」

 と答えていたのでした。
 市内では有名な文学賞で、受賞者はスター扱いで、高校に進学してからも「あの人××賞の受賞者なんだって」と周囲から一目置かれていました。
 それでも私には、その賞よりも、少女小説を書いて雑紙コバルトに投稿し、受賞することのほうが、はるかに素晴らしいことに感じていました。
 
 投稿時代も、そしてデビューしてからも、私の少女小説へのこだわりは続いていました。
 いつのまにか少女小説という名称は聞かれなくなり、ライトノベルや乙女小説といった呼びかたが一般的になってきました。最近はキャラ文芸や、なろう小説などというジャンルもあります。
 それでも私はずっと、私が書いているものは少女小説だと思って、書いてきました。
 それはどのジャンルでお仕事をしているときも揺るがず、別名義で大人向けのゲームシナリオを書いていたときでさえ、これってめちゃくちゃ少女小説だよね! と、ノリノリで楽しく執筆しておりました。
  
 なので『少女小説ガイド』とタイトルのついたガイドブックで、『“文学少女”』を取り上げていただいことは、私にとって本当に嬉しくて嬉しくて、これ以上ないほど誇らしくて幸せなことでした。
 私が書いてきたものが、少女小説として認めてもらえたんだ!
 中学生の私と、抱きあって喜びあいたい気持ちでした。
 あなたは、少女小説家になれたんだよ! と、あのころの私に言ってあげたいです。
 
 そしてもうひとつ、この本には、泣いてしまうほど嬉しいことがありました。
 そのことについて、これまでずっと伏せてきました。
 公の場で語ることは、もう絶対一生ないだろうと思っていて、今でも、あまりおおっぴらにはしてほしくない気持ちです。
 なので、ここから先は有料にさせてください。
 そして、どうか転載などはなさらず、心の中にそっととどめておいてください。

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