メタトロン診断続編

メタトロン診断、の2日目もちょっとおもしろかったから書く。

まず、前回の振り返り。(読んでない人は前記事読んでみてくださいな)
抑制された怒りを抑制することをやめ、彼にぶつけた結果、スッキリして寝た。

はずなのだが、起きたらまだ怒っていた。笑

空港まで迎えに行こうと思っていたけど、だるくなる。(ていうか昨晩にチキン南蛮をがっつり食べたから重だるかったっていうのもかなりある。自覚あり。)ていうか、電車できたらええやん、反省しながら、という気持ちになる。

しかし、色々考えていると、彼が電車で家に来てくれても多分私ずっと怒っているだろう。どうやって気持ちを切り替えたらいいのかわからない気がする、ので

やはり気分転換がてらドライブがてら迎えに行くことにした。

ドライブは瞑想なので、やはり色々気づきがある。

そもそも、なんでこんなに怒っているのか、自分でもわからないのだ。
彼が悪くないってこともわかっている。
そこでもう少し掘り下げてみる。
自分の中に「嘘つき、裏切られた」という気持ちがある。
これは昨晩の電話でも繰り返し彼に言っていた。「嘘つき!!くるって言ってたのに!!」って。
「嘘ついてないやん」って彼も言ってたけど別に嘘ついてはない。行けないかもしれない、と言ってた。だけど、この気持ち、どこかで感じたことがある。。

そこで思い出したのが、保育園の時の記憶。
うちの親は共働きで、私の幼少期ずっと忙しかった。
そして、ある時、保育園の運動会に親が来れなかったことがあった。で、代わりにおじいちゃんが来てくれた。

私はおじいちゃんこで、おじいちゃんが大好きだったのだ。
おじいちゃんが亡くなった時は、(小学生だったけど)十円ハゲが何箇所かできたくらいメンタルに来ていたみたいだ。

そんな大好きなおじいちゃんが来てくれたのだけど、私はお父さんかお母さんに来て欲しかった。保育園の運動会では、保護者と一緒にやる競技もたくさんあって、それをおじいちゃんとやるのが嫌だった。
はっきりと覚えている、「恥ずかしい」という感情があった。
そしてそう思っている自分にとても罪悪感を覚えていた。
明らかに不満を爆発させた態度をとっていたし、それに関しておじいちゃんに申し訳ないという気持ちもたくさんあった。

その時の気持ちに、似ているみたいだ。
あぁ、そうか、私この感情をまだ消化できてなかったんだ。
そこで、自分に伝えてみる。わかるよ。お父さんとお母さんに来て欲しかったんだよね。別にはるなは悪くないよ。おじいちゃんも悪くないし、お父さんもお母さんも悪くないよ。でも寂しかったよね。だけど寂しいとか、来て欲しかったって言えなかったね。それで、おじいちゃんに嫌な態度をとったことをずっと申し訳ないと思ってたね。だけどおじいちゃんもきっと怒ってないよ。はるなのことニコニコして見てくれてるよ、と自分と話す。

運転しながら涙だーーーーーーって出てくる。(私運転しながらよく泣いてるw)

その後無事彼を迎えに行けて、まだ怒っていたし、怒りながらも、なぜ怒ってるのかとか、怒ってるけどそんなに怒る必要がないっていうのもわかってる、気持ち切り替えたくて迎えにきた、っていうのも伝えたし、保育園の時の出来事も伝えた。
彼は全部受け入れてくれる、懐の大きい人なので、安心してなんでも話している。

少し時間が経って、
そうかぁ、「嘘つき!」っていうのは、5歳の時の私が言ってたんだなぁとふと思った。
この時の運動会の出来事ってたまに思い出したりするから、自分にとっては消化できてるのかと思ってた。だけど、できてなかったみたいだった。
消化できてない感情っていうのはめんどくさがってほっておくと、こんなふうに出てきたりして、それと同じ感情を味合わされたり、同じ出来事が起こって気づかせようとしてきたりするので、バカにはできない。

抑制された怒り、は表面的には彼が宮崎に来れなかった、ということだったけど奥底にはもっと幼少期の感情が紐づいていた。そしてそれをもっと深掘りすると、もっと色々あるのかもしれないけど。

感情とか体もそうだけど、表面を解決すると芋蔓式にどろっと毒素が出てきたりして、面白い。

これをきっかけに、彼に誰にも話していなかった私の罪悪感を持っている過去の出来事を話してみたり(そんで、そんなん普通じゃん、全然悪くないと言ってもらえてなんかとっても軽くなったり、(自分ではこの罪は墓場まで持って行こうと思っていた))

今後の二人の拠点について改めて突っ込んだ話をしてお互いの理解が深まったりして、とても良かった。

今回、過去の寂しかった自分が出てきた時に、私はもう、全力で私を抱きしめた。そんで、大丈夫、愛してるから!どんな時も絶対に味方でいるし、幸せにするし、私がいるから大丈夫!って伝えた。(自分にね。)
こうやって自分との信頼関係を構築し始めて、4年くらいかなぁ?
もちろん最初からこうではなかったし、時間をかけて築いてきた。

最初からこんなこと言えない人は、「え、、、っとこんな私ですが、信頼してもらえるように精一杯頑張ってみようかと思っているので不束者ですが、一緒にちょっとやってみませんか?」くらいの距離感から始めるといいと思うw自分を他人だと思って、少しずつ、礼儀を持って距離感を縮めていくのも大事かな。

私を全部受け止めよう、と決めてから私の人生は大きく動き出したし、何かを恐れることが減った。(無くなったとはまだ言えないかもだけど、もしかしたら無くなったかも)
私が私を受け止める、私が私の一番の理解者で、味方でいる、と思っていたら、私と同等に、いやもしかしたらそれ以上に理解してくれるパートナーが現れたし、その周波数で居れば同じもの(人)を引き寄せるんだっていうのはもう、これは不思議でもなんでもなく、当たり前のことなんだと思っていて絶対的に信じている。

私の全てを受け止めてくれるパートナーに対して子どもみたいに甘えている自分を、変だなと思わずに、あーあの時寂しかったのを消化してるのかも、とふと思った時、母がいつも私の幼少期について語る時、「はるなにはいつも寂しい思いをさせて。。」って言うのがすごく嫌だったことを思い出して、(そう言われるといつも泣きそうになっていて、惨めな気持ちになるから嫌だった)あ、あのセリフは私が言わせてたんだと思った。

こんなに幸せな私をみて、母はもう、そんなことは、きっと言わないんじゃないかなぁ、言ったとしても私は気にならないだろう。今こんなに幸せなんだからいいじゃない、ありがとう、と言うだろう。

田島先生、なんだかとっても素敵なことに気づきました。ありがとうございました!

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