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抽象日記 〜世界の響き〜

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感覚を開くと、 世界はとても抽象的に見える。 それを言葉にしてみたら、 何かが伝わるんだろうか。 日記のような詩のようなもの。
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決意

居なくなることを 想像するだけで 震える。 それでも今 ここに居てくれるから それだけを感じる。 未来にではなく 今に存在し続けよう。

お迎えに

あの時 わたしはとても傷ついて ほんとうに寂しかったのだと 10年経って分かった。 拒絶されたと感じて 悲しい気持ちを感じぬままに 頭で理由を考えて 相手のせいにして なかったことにしたんだ。 その気持ちを 自分が跳ね除けたから、 今に畳み込まれた記憶に その時の自分が置き去りになった。 それだけ。 迎えにいけばいい。 過去のわたしは いつでも待っている。

あたりまえ過ぎて

あたりまえだけれど、 幸せを感じる瞬間は 人に寄って違う あたりまえだけれど、 相手は自分と同じ物を求めてはいない あたりまえすぎて 忘れてしまいがちなこと

もうひとつが死んだ朝

「ひとつは少し前に死んでいたけれど、 もうひとつも死んだね」 と分かって大泣きする夢を寝起きに見た。 自分の中で死んだのは まだ外側に合わせてちゃんとしようとしている自分の一部。 まだ自分とちがうことをしようとしていた自分。 足りないと思って、足そうとしていた。 自分の中に無いものを求めて憧れて 自分の役割で無いことをしようとしていた。 これは、自分と細かく細かく向き合わないと 気がつかない。 私は人に興味がない。 という事を、いよいよ受け入れよう。 私は人が想

創ることが、生きること

「創ることは生きること」 10代の頃から、そう思っている。 人は何気なく暮らしているだけで、 見える影響と見えない影響を与え合い、響き合っている。 だから、特別なことをしなくても ただ自分自身で在るだけで、 たくさんのものを生み出しているのだと思う。

世界の輪郭

表現するのが あんなに怖かったのは 世界と自分が離れていたから。 今はぜんぶが自分と繋がっている。 だから、何を綴っても 何かを表現しても 心は淡々としている。 わたしはわたしの視点を 記録する。 わたしはわたしの世界の輪郭を知りたいだけ。

見えないけれど

夜空に散っている星のように 光り輝く粒が、 透明の闇の中を飛んでいる。 高速で回転しながら飛び回って 線を描いている。 物質と同じ存在感で光を感じる。 物質がない空間は、 見えないけれど 光を放つ粒子で満ちている。

太陽を使う

月ではなく 太陽を使え。 太陽からのびる光、 いまここ。

空の穴

雲の隙間から 青が見える それは空なのか 海なのか どこかへと繋がる空間

今の中に破線を感じる

今はずっと繋がっているけれど、 気づきがあれば 次の領域に 進んでいかれる。 それは意図的に、 意識的に 毎日を過ごしていないと できない事で ご飯を食べる時でも 散歩をしている時でも 自分が何かをより深く感じられたなら それが破線のような区切りになる。 より高く より広く より精妙に 世界を携えたいのなら 細かな区切り目を感じよう。 それが世界の深淵。 それが世界の可能性。

いつも

旅に出ていたのは 自分の中のリアルな空間を 拡張したかったのかもしれない。 見える世界の端っこを押し広げると、 イメージできる空間も広くなる。 想像するということは 創造することと同じ。 どこまで飛べるのか。 ゲームのルールすらも さらっとひっくり返して、 次のゲームを始めるくらいの 身軽さで。 日常の中で 誰にも気づかれなくても、 いつも新しいわたし。

絵を描くように

絵を描くように、 言葉がイメージを紡いで 広がっていけば それだけで充分。

からっぽに見える真ん中に

磁石にS極とN極があるように 光がなければ影は存在しないし 影がなければ光も見えない。 矛盾して見える両方が同時にあるのが、 この世界。 それなのに、 なんで片方のが優れていると決めつけて、 片方を見ないようにしてしまうのだろう。 相反する、その真ん中にこそすべてがあって、 なんにもない場所があるのに。

記憶と空間

感じることで、記憶の空間が現れる。 窓を開けて「冬が近づいてきたなぁ」とか「この空気感はパリの朝に似ているなぁ」とか。 過去も未来の空間も今ここにあって、この瞬間が自分の中ですべての空間に紐づいている。 同じ行動をしていても、感じていることや意識が向かう先は人によって様々で、そこは自分が自由に選べる∞の世界。 やったことは忘れてしまうけれど、感じたことはその後も残り続ける。 外側の景色は、自分の記憶の空間と結びついて、いつもすべて今ここにある。