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効率厨が、自分を大事にするようになった話

わたしは「丁寧な暮らし」が苦手だ。
嫌悪しているわけではなくて「丁寧な暮らしだと?そんなに、きめ細やかに生きてられないぜ!」側の人間で、生産性を重視して、いかに効率よく暮らすか考えてきたからだ。
2年前の私の暮らしぶりを書き出してみる。ひとり暮らしの生活

  • 食洗機は必須

  • ロボット掃除機導入済み

  • 週末は、ブラーバが水拭き

  • 職住近接。職場まで徒歩2分

  • カーテンは自動で開く

  • 寝具は寝袋。ベッドは埃が溜まりやすいのが嫌、布団は畳むのが面倒くさい

  • 枕は不要。場所をとるし、洗濯物が増える。

後半になるにつれて、個性が滲みだしてきている。他にもあるが、これで十分時間短縮型タイプだったのは分かってもらえると思う。ミニマリストではない、むしろマキシマリスト側の人間だ。

めっちゃ余談だけど、効率厨にしては珍しく洗濯機だけは縦型にした。
これも、洋服の叩きつけ洗いが嫌で、洗濯乾燥機は掃除が面倒だという観点から縦型を選択しただけで、丁寧な暮らしをしようと思ったわけではない。引っ越し当日に乾燥機を買おうとしたら、洗濯機の上に大きな梁(はり)があって乾燥機を置けなくなっただけで、効率厨は洗濯でもきちんと生きてはいた。
いまだに、洗濯機上の梁は憎んでいる。

試行錯誤して効率をはかった結果、すごい時間ができた。当たり前だ。
そして【時間を持て余した】

時間を持て余す、だと?

え? と思うだろう。私だって思う
そこは自己啓発にあてたり、休んだり、好きなことをする時間でしょ、と。もちろんそうした。仕事から帰ってきたら、論文を読み、語学を勉強し(アラビア語とか書いてた。難しすぎる)、仕事の勉強にあてた。でも、飽きた。

想像してみてほしい。
土曜日の朝に目覚めたら、綺麗な部屋と自己啓発しかすることのない家を。飽きるよ。飽きるのよ。飲み会もよく行ってたし、友達と家で飲んだり、ゲームしたり、読書三昧したりもした(大学生みたいだな)。でも飽きた。起きた瞬間にすることのない世界に。

パンを焼きはじめた

それでパンを捏ねて、焼いてみた。楽しい。
はぁー? と思うだろう。いや、読んでいる人じゃなくて、少なくとも以前の私は思ったのだ。何してるんだ。せっかく空いた時間に、生産性がないじゃないかと。
でも、手を動かしていると楽しい。コネコネとパンを触っている感覚が、ちょうど箱庭療法のような落ち着いた気持ちとワクワク感がよみがえらせてくれて、定期的にパンを焼くようになった。

子どもの砂場遊びのような

そのあと、パジャマを買った。今までは、部屋着とパジャマは同じ服のままだった。季節ごとにGUで調達して買い替えていた。わざわざ部屋着とパジャマの2着に増やす必要性を感じなかったし、誰にも見られるわけじゃないから、これでいいやって。
無駄かもしれないと思いながら自分の好きなデザインのパジャマを着る時、なんだかワクワクした。またワクワク。忘れていたワクワク。ちょっと楽しい。

ちょっとずつ、無駄と思っていたことを増やしていった。良い紅茶を淹れてみたり、セルフネイルをしてみたり、食洗機を使えないアンティークの食器を使ってみたり。なんだかワクワクした。なんだよワクワクって。

これでいいやって、自分を軽んじている言葉だと感じる。そして、それを自覚のうえで私は自分を軽んじていた。「誰も」見てないけど、「私は」見ている。「私は」感じている。時間の効率化はより善く生きるための手段であって、今を軽視してしまいがち。ワクワクって大事だったんだ、ワクワク。

時間をケチケチすることで、ほんとうはぜんぜんべつのなにかをケチケチしていることには、だれひとり気がついていないようでした。じぶんたちの生活が日ごとにまずしくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっていることを、だれひとり認めようとはしませんでした。

ミヒャエル・エンデ「モモ」1976年、岩波書店、95頁
蓼科の暖炉。なんか、いい

「今」と「自分」を大事にできたら、人生って十分ハッピーなんじゃないかと感じた話。今も食洗機や自動掃除機は活用している一方で、手を使って何かをするようになった。カーテンは自分で開けるし、自律神経を整えるとか、そういう意味に関係なく、朝の匂いを嗅いでいる。うん、意識高いみたいで気持ち悪い。でも、ちょっとだけワクワクしたりする。

私は理屈で分かっていても、実感しないと、分からなかった。私は何者でもない自分を愛せなかったんだ…何者かになるために今と自分を軽んじていた。そう、たぶん、そう。

けれど、時間とはすなわち生活なのです。そして生活とは、人間の心の中にあるものなのです。
 人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそって、なくなってしまうのです。

ミヒャエル・エンデ「モモ」1976年、岩波書店、95頁

効率を追い求めた先は殆ど何もなくて、「今」と「自分」を大事にするようになった話

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