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レモン -24

芸術には確かにパトロンが必要なのかもしれない

幸いなことに人脈に恵まれ、憧れの同人誌デビューなどを果たした昨年。いのしし年の今年は私は飛躍できるだろうか。

文理両道を掲げて走ってきたけれど、どうも気持ちが揺らいで落ち着かない。私は元来要領の悪い、不器用な性格である。「何事もこなす人」という大学に入る前の私への人物評は、私のころころ変わる興味に割ける時間がたっぷりあったからであって、一人暮らしは楽じゃない。

掃除洗濯、自炊をするなら料理を作る時間も。お金がないからバイトもしなければいけない。どうも、身体が足りない。それも、学生業だけで本業の物理を飛び越えて気象や海洋に浮気し、プログラミングも隙あらばかじり、小説に至っては二作同時進行などが当たり前になっている私には、すべての興味に十分な時間を割けないのだ。

時間をかけなければ物事は大成しない。だからこそ、一つのことを集中してやろうとする。しかし、面倒なことに私は飽きっぽい。すぐ次の興味へと脳みそが動いてしまう。自分が興味を抱いたものに、オンタイムで接続できないと著しく不満を抱いてしまう。ある意味、芸術家肌ではあるのかもしれない。

だけれども、その状態はとても苦しい。あれもこれもしたいのに、結局時間が足りなくなってしまう。私のポリシーを分かった上で応援してくれる人や、私が大学生活を謳歌することを望んでいる両親、親族などの顔を思い浮かべると、とたんに板挟みになってしまうのだ。

簡単なことだ。興味の幅を狭め、一人暮らしで少なくなった時間内でもまとめられることだけに注力すればいい。――無理だ。

私は文系理系という興味の分け方が嫌いだ。必修科目と自由科目という分け方も嫌いだ。学問と趣味という分け方も嫌いだ。学問に励む私も、小説を書く私も、同人誌を書く私も、プログラミングを学ぶ私も、海洋学を学びに北海道まで行ってしまう私も、すべて私も多面的な人格のなかの一人であり、それぞれを大切にしたいのだ。

――甘え。そうなのだろう。これは守られた自由な子どもが見る夢であると。ならば私は子どもでいたい。自立した子どもとして一生生きていきたい。

――お金が、欲しい。ぶっちゃけそれさえあれば時間は作れる。留年だって、学問の府である大学で色々なことに手を出し時間が足りなくなってしまうのはそれ自体では悪いことではない、義務教育ではないのだから、金持ちの人は自分の興味の赴くままに学問を修めればいい。だが、問題は、金なのである。年収200万の家庭に一年で50万の授業料は高すぎる。親は当然、これ以上の留年を許すつもりはないだろう。

何か、土台のしっくりしていない場所で一流の剣士と試合を行っている気分である。やはり私にこの夢を抱くのは分不相応だったのだろうか。

大人になんてなりたくない、何かを捨てた者が大人なのだとしたら。

すべて、ものにしたいのだ。笑うなら笑えばいい。優等生としてずっと生きてきた私が、生涯初めての挫折を味わってなお、手放したくない思いである。


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