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児童文学とか絵本とか🦊

児童文学だからといって、理解するに易しいとは限らない。刻一刻と成長する子供たちに、限られた時間の中で質の良い作品を触れさせてあげたいと、厳選されて作品が教科書には載せられているだろうと推察する。

今話題になっているごんぎつねの話をしようと思ってヘッダー画像も作ったが、実のところあまり覚えていない。償いをしようと高齢男性の家の前にどんぐりとかを持っていっていた狐がすれ違いによって撃たれた話……もはや狐が何の罪を犯したのかさえ忘却の彼方である。

しかし、あの結末の「苦い」感じは26歳になった今でも思い出す。

小学生の頃に読んだ国語の教科書の物語で心にくるのは、やはり「ちぃちゃんの影送り」だろうか。

これは「はだしのゲン」とは違った意味合いでの「心にくる」物語だった。

はだしのゲンは、実際にはアインシュタインは原爆開発に関わっていないと思われるところ関わっていたと見做す描写をしているなど、俯瞰的、世界史的な視点では間違いもあるが、実際にその惨劇を体験した人間にしか描けない肉感とでもいうべき説得力がある。物理で殴られる感じの「心にくる」だった。

「ちぃちゃん」は切な苦しい感じだった。

切な温かいとか、切なほっこりとか、そういう話もあるが、切ないという美しさを称えるような気持ちに「苦しい」がついてくる。なんてったって、ちぃちゃんは家族と再会するがその場所は天国のお花畑なのである。それをちぃちゃんが理解していないのがまた、苦しい。

幽霊が恋人の前に現れ、心残りを清算して成仏するお話だったら「切な温かい」と感じる。こちらは別れの物語なのになぜだろう?

在るべきところに在るべき命があるか、が問題なのだろうか。

戦争で有無を言わさず連れ去られた命は、家族と一緒でも悲しい。一方、既に死んだ者の魂が現世を彷徨いているのも、日本人は恐れているように思う。

生の世界と死の世界、どちらにいるのが正しいのだろうか。それを判断するのはいつだって生きている方の人間だけど、有無を言わさず奪われた命なのに死んだ方がよかったわけがない、と思う理性みたいなものも持ち合わせてはいる。

何が言いたかったん??、

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