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#082 「スリー・ビルボード」

匿名の誰かに優しくしてもらった記憶って凄く大事で、それは世界が良いところであることの証明になる。任意の点Pという考え方はいつも頭のどこかにある。
世界の全てを見渡すことは出来ないから、自分の視界で判断していってしまうんだけど、選んだり選ばされたりした環境自体もランダムだから、本当は救いが無い。

世の中には本当に色々な境遇があって、多かれ少なかれ、世界を恨むような気持ちで生きることもある。そういう時にふと、こんな世界だって全然悪くないじゃない。と思えることってもの凄く大事。
全然関係ない人達が受け入れてくれた。とか、そういうことが生命線だったりする。関係なければ関係ない程良い。自分の事情を考慮しないひとからの優しさがもの凄く刺さる。ということがある。

世の中は過酷だから、家族とか友達とか同僚とか自分の日常の中に居る人達と助け合っていくことが出来れば、それは充分なのかも知れない。それですら大変だし、充分立派だと思っている。けれど、盤石な場所なんて一つもないから、ちょっと怖いなとも思う。
自分の身近な人を大切にするのは当たり前だけど、それ以外の人達のことは考えないことにして、この視界だけを良い物にしようと決めてしまうのは、カルトだから。
翻って、良いと思うものだけを自分の視界にしてしまう。人は弱いから。
犯罪に巻き込まれた人も、もっと言ってしまえば罪を犯すまで追い込まれた人達を、それ以上閉塞感のあるところへ押し込めて良いのだろうか。

無関係な人に優しく出来るタイミングってそうそう無いし、そんな幸運は滅多に起こらない。やっている本人は優しくしているつもりも無い様な、些細なことだったりする。
だけど、一杯のオレンジジュースに刺したストローが、全てをひっくり返していくことだってあるんだと思う。