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初めて行く!春馬くんの偲び旅。       (2020年11月7日〜8日)     

あの夏以降、悲しみの塊を心の奥に持ちながらも、普段の生活を淡々とこなす日々。仕事にも行き、家事をこなしていた。そしてその当時の手帳は、半年間空白ばかりになっていた。そのうち時間ができると見てはいけない!と思いつつネットや、週刊誌で春馬くん情報を集めていた。共感するコメントがあるとそうだよね!と返したり。
のこしてくれた作品がたくさんある中、私は最後のお仕事になった『カネ恋』の慶太に会いたくて会いたくて。リアルタイムで観ただけでなく、録画したものを何回も何回もみた。まるで取りつかれたかのように。その気持ちはただ演技をして頑張ってくれた春馬くんに逢いたくて。直近の春馬くんに逢いたくて!のみだったんだと思う。はじめの頃はお蔵入りしなかったことや、痩せてはいたけど愛くるしく作り上げていた慶太のことを褒めていたのに。一部の人の心ない言動でよくない文も目にするように。でも私はそんなことには惑わされないからと。ますますドラマを見るようになった。コメディということでドラマ内の音楽も軽快で、明るい雰囲気のストーリーやすべてのキャラクターに何らかの「綻び」がある?という設定も登場人物の「桃太郎」絡みの名前の付け方も?ドラマ大好きな私は心に持つ(今はこの世界にいなくなってしまった春馬くん)悲しみがあっても、何らかの勘で面白くてよくできた作品だと感じていた。だからこのドラマだけは見ることができた。(このドラマだけはこんな時だから見れない。という方の気持ちもわかるのに。)とにかくリアルな春馬くんに逢いたくて仕方がなかった。この頃は見ることができる作品は自分の中で決まっていて。元々持っていたDVDだけでなく、メーキング映像が見たいがためにどんどん作品を購入して見ていた。初めて心をつかまれた『14才の母』は何回もみた。どの作品もまず少し見てみて。その時の自分の心と相談して見れそうなら続けてみる!何回も繰り返してみる!寂しくなると嫌なら途中でも見ることをやめる!という感じ。
後で出してくれた2ndシングルの中の『ナイトダイバー』は素敵なのにその当時も今もDVDの姿が写っているものだけでなくCDの歌声もあまり聞けない。専ら一番好きな『you』ばかり。今もそれは変わらず。車に乗ると『you』ばかりリピートしている。あ!『you』が特に好きなのは、2ndシングルに入っているDVDにアコースティックバージョン(ピアノ、パーカッション、コントラバス)の演奏者と春馬くんが高めの椅子に座ってそれは幸せそうに笑顔で歌っている姿を見ることができたから。これは2020年春にもう一度撮り直したものらしい。その時のほんとに歌うことが楽しいよ!と身体全体で表しているような春馬くんだったから。よりこの曲が好きになったんだと思う。その時の服装のパンツはブルーグリーンのような色。よく似た色のパンツを私も持っていたから、上の黒のよく似たシャツを購入して同じような服を着ていることが多かった。それで安心していたのかもしれない。「お別れ会」ももしあったらその服装に、よく被っていた黒のハットで行こうと2種類ぐらい購入していた。結局その年はコロナ禍で延期になり「お別れ会」に行くことはできなかった。今も。
私は、すっかり「お別れ会」に行く気になっていた。それが延期になったことは糸が切れたようだった。その頃はコロナ禍も酷く、合唱団の練習も休み状態。どこかで食事することも、なかなかできない雰囲気。家族も職場の人以外にはなかなか会えない日々。それでも、長年私が春馬くんのファンであること。突然この世界からいなくなって私のことを心配してくれた友人は、いつも上京して春馬くんの舞台をみにいっていた友人ですが。2〜3人ならコロナ禍でも大丈夫だろうということで、その友人の家で映画会と称して、春馬くんの作品を見る機会を何回か持ってくれた。なかなか悲しさを話せない私はこの時のことはほんとに嬉しかった!友人はありがたいな〜と思った。2ndシングルやお気に入りの作品の『東京公園』などなど。3人で夜集まって観ていた。ずいぶん経ってからあの時は私の心を心配しての行動だったと教えてくれた。ありがたかった。ずいぶん助けになっていたと思う。その頃はおすすめの作品があると他の友人にも春馬くんの素晴らしさをわかってもらおうと貸してまで見てもらったりすることが多かったから。今思うと、その行動は春馬くんファンでもない方には押し付けがましかったとわかるけど。その時はわからなかったんだな〜。と今ならわかる。
そんなある日。久しぶりに会えた合唱団の先輩に、「お別れ会」が延期になったこと。それでも一人で春馬くんを偲びに行きたい!というようなことを話したら。行ってくるといいよ。と言ってもらえた。その方は東京にも親族がいたから、聞いたのかもしれない。
偲ぶ旅に行きたい!と口にした私だったけど。用事で関西なら一人で行ったことはあっても、東京に一人で行ったこともなかった。それでも偲ぶために行くんだ!という気持ちは全くなくならず。コロナの情報を見ながら気をつけて行くことを決めた。時刻表を見ながら計画。
あの夏から何回も何回も会うために観ていた『カネ恋』のロケ地巡りと何回も観てずっと好きだった『東京公園』のロケ地の公園。それに生まれ育った茨城県土浦へ。出身小学校、中学校へ。サーフィンをしていた鉾田へ。一泊二日の初めて行く春馬くんの偲び旅。


 1日目〜鎌倉と都内の公園へ

金継ぎをしていたテーブル
本来はカフェ。手作りケーキと珈琲を✨
少し先に江ノ島も見える稲村ヶ崎公園
稲村ヶ崎駅

鎌倉のロケ地は巡っている人が出してくれた動画を参考に、玲子さんの住んでいた民宿へ。本来は普段は土日だけ営業のカフェだった。江ノ電の長谷駅最寄りのカフェへ。『カネ恋』で何回もみた、玲子さんがかけたお茶碗に金継ぎするシーン。隣に座り慶太が「何してるの?」と可愛くきくシーン。その時、外のテラスの細長いテーブルと椅子が3つあったが。それはそのままほんとにカフェにもあり。中でもお茶を飲めるけど外でも飲める。(写真は何回目かに行ったもの。その時は慶太春馬くんが座っていた真ん中に座れてそこで手作りケーキと飲み物を頂いた。)初めて行ったときはすでに先客がおられたので。多分春馬くんファン。その方は一人でしんみりとされていて。話しかけてはいけない雰囲気だったからお話はしなかったけど。3年経とうとしている今なら話しかけてきっとお友達になっていたと思う。ここのカフェは夏や春や秋と言っても11月末にいっているが、気候的に寒すぎたり暑すぎることもなくとても過ごしやすい場所だった。歩くこと中心の旅立っだので、とてもい休憩にもなっていた。そこのマスターとのお話も楽しかった。昨年は休業していたけど、秋ごろから再び土日のみで時間限定だけど営業するようになったので、また行きたいと思っています。ここで、日々春馬くんはお仕事を頑張ってたんだね。と思った。
その後は玲子さんが棄てられたミニのお皿を探しに行った稲村ヶ崎駅最寄りの
稲村ヶ崎公園へ。行くまでにサーフィンの方も見えるし、海沿いの歩道を歩けるので海に来た!感を満喫。到着すると少し先に江ノ島も見えた。少しの間海を見たり音楽を聞いてベンチではないけど座れそうなところで過ごした。ここでもいたよね!玲子さんに上着を脱がされて。それでも春馬くんの演技として敢えて笑うことをしてくれたね! 
他は極楽寺で二人で駅からおりてくるシーン。駅を出たばかりのところにある花壇の縁に春馬くんは座っていたから、私も座ってみたよ。ほんの4ヶ月前にここをロケして歩いていたんだね…。
他は慶太はアイスバーを食べながら、二人で歩くシーン。あれは北鎌倉駅だから江ノ電沿いではなかった。鎌倉から在来線にのり北鎌倉駅下車。少し歩いたらそこの最寄りのお寺に着いた。
鎌倉のロケ地巡りは何回もいっているので記憶が少し曖昧のところも。
江ノ電は藤沢駅から鎌倉駅まで。初めて行ったときは横浜まで新幹線、その後在来線で鎌倉駅へ。そこから江ノ電で。時には小田原まで新幹線で、小田原から藤沢まで在来線で江ノ電に乗る方法があることもがわかってきた。何回も乗ったり降りたりしてもいい江ノ電の乗り降りくん切符?が便利だとわかったり。江ノ電沿いには鎌倉駅と長谷駅しかコインロッカーはないので。行ったり来たりしたり。その後何回も行った長谷駅最寄りの民宿として出ていたカフェ。
そこのカフェは11時からの営業なのでそれに合わせて出発した。江ノ電沿いのロケ地を周り最後にカフェに行ったのだったかな?鎌倉駅に行く前に軽く昼食のために長谷駅近くのお蕎麦屋さんに。
今回は鎌倉あたりの春馬くんがいたロケ地を巡り、そのあとは好きだった作品の『東京公園』の公園巡りへ。家でメーキング映像を見て名前が好きだった「光が丘公園」と「猿江恩賜公園」と「代々木公園」へ行くことを決めていた。少しでも行きやすい順を考えて鎌倉駅から在来線で新宿駅へ。そこからまず「猿江恩賜公園」へ。紅葉が進み小さい葉っぱや大きなプラタナスの葉っぱも落ちて歩くとザクザクと音がした。映像を思い出しながら、春馬くんが歩いていた場所やカメラを撮ろうとした場所を探したりした。ここの公園はとても過ごしやすい気がした。ある程度の大きさの芝生広場があり、小さい子が自転車を練習できるような道もあったり。入口近くの砂場などがあるところにはたくさんのベンチ。ベンチも同じものではなく大きいものや二人座りのもの一人座りのものもあった。日が落ちる前に帰る家族連れ。昼間あるき続けてあまり休憩もしていなかったから、座りやすそうな小さめのベンチを選び座った。昼間お蕎麦を食べたあと、長谷駅手前のどら焼き専門店で買った一つのどら焼きと、持っていたほうじ茶で一休み。よく歩いたからか。春馬くんのいた場所にたどり着いたためか。とにかくどら焼きもほうじ茶も美味しかったこと。ホッとしたことを覚えている。この時はどこをどう行くかとか、ぼぼはじめての一人旅だったから荷物の一部を何処かに預けて行くという心のゆとりはなく、一泊二日の旅の荷物をリュックと斜めがけのバッグに詰めて全部持って歩いていた。肩への重みもあり一休みするときにリュックをおろすとすごく楽であった。
日もくれるので予定していた代々木公園はまた次回にして、練馬区にある少し遠い「光が丘公園」へ。ここはロケ地の中から光が丘という名前に惹かれて私が選んだのだけど。(後に春馬くんも何かのインタビューで好きな公園として「光が丘公園」だったと知り。その後の上京時、何回も行くことになった。)
光が丘公園に着いたのは午後4時頃。11月だからもう少ししたらどんどん暗くなる時期。光が丘公園は大きな光が丘団地の中に根付いている公園だった。帰り時ということと、ある意味あちら側の大通りからこちら側の大通りへの通り道にもなっているらしく。すごい人数の方が器用に自転車走行していた。結構な高齢者の方が歩いてもいたけれど。そんな自転車にも慣れている感じだった。私一人が驚いている感じ!私はぶつからないように出たばかりのところに続くイチョウ並木の左側を歩いた。ここの公園の何処が『東京公園』でロケしたところかしら?とぐるっとまわって思ったけど。だんだん暗くなるから、それ以上奥には行かずに今回は分からずじまいだったけど少し滞在したあと、今日初めて行って泊まる土浦に向かうことにする。
スマホで検索しながら乗り物に乗っていたけれど。止まっている電車に乗り上野駅にいくことができるだろうか?と少し不安になり、すでに座っていた優しそうなヘッドホンをしていた大学生風の女性の方に上野駅に行きたいのですが?とお聞きした。その方は女子大生ではなく役者もしている方で。結婚して、しばらく休んでいた演劇のミニ舞台に出るための練習に行くために乗っていたことを後で聞いた。ヘッドホンは、セリフ覚えをしていたとのこと。地元というわけでもなく何年か前に四国から出てきたとのこと。私は何も知らないとはいえセリフ覚えをしていた方に声をかけてしまった。申し訳なかったな〜と思いながらも、この線に乗ればすぐに上野駅に行けますよ。という所まで付き合ってくださった。春馬くんのことを偲んで来た旅であることを話すと共感してくださった。初めて会ったとは思えないし、私自身が偲んで来たこともあり、感慨深く感謝の気持ちでいっぱいになった。その後。その方のミニ舞台は日暮里であることを知り11月末に劇を観ることを決めた。コロナ禍もまだ収まらない中、舞台等を頑張っている人たちを応援したいと思った。舞台は夕方だったから午前中に着くように上京。鎌倉のあのカフェに再び寄った後、前回行けなかった代々木公園などを周り、再び光が丘公園に行き劇を観た。ミニ舞台だったけどセリフや演技がすごくて。とてもいいものを見せてもらった。日暮里は東京駅に近いので地元に帰れる時間の新幹線に乗り帰宅した。帰る新幹線の中で感激した感想をメールした。日帰りでも、不思議な縁を観じながら、とても有意義な一日になった。(春馬くんの舞台を観るために朝一に上京し、午前中は都内散策。午後1時か2時からの舞台ならちょうどいい感じの日帰り旅になることを知っていたから。2016年の『キンキーブーツ』も午後からの舞台だったから日帰り旅。そんな感じで有意義な一日を友人と二人で過ごしたな〜。と。)
親切に教てもらって上野駅へ。上野駅に降り立つのは初めて。ここから常磐線の特急に乗り土浦へ。もしかしたら春馬くんも、この特急に乗ったことがあった?と思うだけでドキドキした。初めて行く土浦はどんな街?
土浦駅に初めて降り立ったときはほんとに信じられない気持ちだった。東京より北に行ったこともないし、想像がつかなかった。泊まるホテルは駅に隣接していてとても便利。お部屋は広くはないけどまだ新しいホテルだから居心地が良かった。(このあとの土浦への旅はいつもここに泊まることになった。つい先日の2023年4月の気配探し旅でもここに泊まった。)私は、今土浦にいるんだ!と思うだけで何だか嬉しかった。春馬くんが育った街だから。とてもあったかい気持ちで休むことができた。

何回も行くことになった光が丘公園



ホテルから見えた霞ヶ浦ヨットハーバー



2日目〜土浦から大洗へ。

今回は春馬くんのいた場所に少しでも行きたい!と思っていた。
今日は朝早めにタクシーを予約していて。土浦市内の行きたいところを決めておいてまわってもらうことにしていた。タクシーの運転手の方はホテルに早めに来て下さった。茨城の言葉でお話する素朴な感じの方でした。今日来た理由を話し近場をまわって貰うことをお願いした。まず霞ヶ浦のヨットハーバー。日本で2番目の大きさの霞ヶ浦の湖。駅からも歩いて行けるところにあるヨットハーバー。たくさんのヨットがあると海のよう。ここにも来たことは何回もあるんだろうな〜。そして落ち葉を拾った。次は出身の真鍋小学校へ。伝統のある小学校の雰囲気だった。土浦第二中学校は裏の門の中学校名を見入った。次は多分子どもの頃は親さんともきっと一人でもお友達とも行ったであろう土浦城跡地亀城公園へ。歩くところもあったのでタクシーの方にはすこし待ってていただいた。土浦駅界隈でもこの亀城公園は観光の要のようなところ。土浦城跡地ということで歴史もあることが案内板に書いてあった。読んだり歩いたりと。それほど広くはないけれど散策して読んだりしているので少し時間がかかった。運転手の方にはどこかに行くたびに待っていただき車だからこそあちこちをみることができました。春馬くんが土浦で育ったことを想像して少しでも近いところに行けたことはとても嬉しかった!
この後は、今回は電車のみの移動だけど。サーフィンをしていた鉾田の海に行くという希望を持っていた。調べに調べて水戸まで行きそこで乗り換えて大洗まで行くことにした。大洗駅が鉾田の海に一番近かったから。大洗駅についてから駅の方にここから鉾田の海まで行きたいこと。サーフィンをしている方を見たい。と話し。タクシーでどのぐらいかかるかお聞きするも。大洗の海水浴場当たりでもサーファーがいるし。ここから鉾田に行っても帰りにタクシーがあるかわからないから大洗海水浴場までにしたら?と提案されたため、今回はそれで納得することに。駅前からぐるっと周るバスが出ていたのでそれに乗った。そのバスに乗ったのは、最初で最後だからあの日にバスに乗ったのは2020年の11月8日のみ。今思い出してもはっきり覚えているし、少しだけ前のように思うし何回も行った気持ちになる。それだけ感激して印象深い出来事だったんだと思う。バスに乗りいちばん浜辺に近い大洗海水浴場のバス停で降りた。少し歩くと広い砂浜に。それとともに駅の方が言われたように大勢の、黒いスウェットを着たサーファーが目に入ってきた。
春馬くんは子どもの頃、ここの海水浴場にも来たのかな〜とも思ったし、サーフィンもしていたのかな〜とも思った。大人になり本格的に始めていた20代後半から29歳までは、もしかしたらうつぎさんの知っているサーフィンの穴場の場所にいっていたかも?だけどここにも来ていたのかもしれない。と今なら思える。その時は目的の鉾田の海には行けなかったけど。海は繋がっているから。そうだよ。となんだか自分で自分を励ましていた!しばらく浜辺に座り楽しそうなサーファーの方々を見ていた。白い貝殻も拾ったりした。海のない県に住んでいるから海には畏れと共に憧れも強かった。
しばらく経って気が済んでから歩いて食事できるところを探した。
いろいろな食事ができそうなお店に入り結局握り寿司を頼んだ。魚は好きでお寿司も好きな方だけど。生ものは実はすこし苦手なものも。なんの魚かお聞きしてからいだきました。近くの方が何かの唐揚げ多分あんこう?もしそうならそっちを頼めば良かった!と食いしん坊な私が出ていた。それでも茨城のお寿司を食べれてよかった。今日も全部の荷物をリュックに詰めてもう一つのバッグに詰めて歩いていたので、肩が痛くなるほど。休憩の時の開放感が気持ちよかった。
美味しくゆっくりとした時間を過ごせた。その後は時間の制限もなく、一人旅なので。近くにあるマリンタワーのあたりに行く。
その時の旅は電車だけの旅だったから、分からなかったけど。大洗の海岸沿い近くを走る道路をまっすぐ走ると春馬くんが29才前後にサーフィンをよくしていた場所まであと少しだったんだ。とわかった。(次の年からは土浦駅近くでレンタカーを借りて鉾田の海まで行くことができたから。)
またバスに乗り大洗駅近くまで行き、電車に乗った。ふと思ったけどこの電車は初写真集『たぶん』に載っていたかな〜?と思った。故郷で撮っている写真も多かったから。あのときは春馬くんが上京デビューしたばかりの15,6歳!それからも芸能の世界でほんとに頑張っていたね✨(このときは、あんなに子役から映像作品に出ていることは知らなかった。)
そしてすごい役者、表現者になっていったんだね!とまた感慨深く想った。
単線の電車に乗り、水戸まで。水戸で東京行きの特急に乗り換える。その前に駅近くのあたりをぐるっとまわってみた。水戸は県庁所在地だし観光スポットもあるらしいけど。またいつか来てみたいとは思った。駅あたりはやはり土浦寄りはずっと都会な感じだった。(このずっとあとに、水戸の病院で春馬くんは生まれたことを知ることになる。) 
少しお土産を買い、東京駅の特急に乗り帰路についた。車窓から筑波山らしき山がみえることも。いつか登ってみたいな〜と思った。
来たことはなかった、そしてもう行くことはないかな〜?と思っていた北関東の茨城県土浦への春馬くんを偲ぶための初めての一人旅。
今回は春馬くんのことだけを偲ぶために来た。それのみの旅だったからとても気持ちが落ち着くことができた。これで最後かな?とも思ったけど。その後の自分の気持ちとの折り合いと流れで、今年2023年4月の春馬くん気配探し旅までに10回以上は上京することになる。ということはその時は自分でも想像していなかった。全てではないけどまた順々に綴れたら。と思っています。

その後行けた鉾田の海
筑波山を登ることになった日


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