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野田秀樹作・演出『パンドラの鐘』初演のときに書いた劇評「白い雲」。

 今回の熊林弘高演出の『パンドラの鐘』パンフレットに書いた原稿から、一部、抜粋し、ここに掲載します。

 また、ご購入いただけた方は、評論「白い雲」の全文をダウンロードして頂けます。PDFファイルで16ページ。書籍ですと、ほぼその倍の分量になります。この評論には、『パンドラの鐘』だけではなく、野田秀樹と夢の遊眠社がどのような歩みをたどり、どのような演劇のスタイルを作ってきたかが、くわしく書かれています。

 この戯曲の初演は、一九九九年、十一月六日に世田谷パブリックシアターで、野田自身の演出によって幕を開けた。ほぼ同時期に、全く別のスタッフキャストによって、蜷川幸雄演出の舞台が、Bunkamuraシアターコクーンでも上演されている。同一の戯曲を、日本を代表するふたりの演出家が競演するのは、きわめてめずらしい。演劇が単なる興行にとどまるのではなく、社会のなかの事件として成立させようとする、ふたりの意志が強く感じられた。ふたつの舞台の優劣の比較が行われるのは、必然である。劇作家当人が演出する野田の舞台が有利なのはいうまでもないが、
蜷川は野田の代表作となるべき戯曲を演出したい意欲に満ちあふれていた。
 私にとっても、この初演は、思い出深い。
この戯曲は、公演の千穐楽を待たずに書店に並ぶ『文學界』の掲載が決まっていた。細井秀雄編集長から、初日が開けて二日後までに長文の劇評を書いてほしい、戯曲と同時掲載としたいとの依頼を受けた。入稿して数日で校正刷りが出る活字中心の文芸誌ならではの離れ業だが、そんな日程で書けるかどうか自信がなく、引き受けようか迷った。たまたま同席していた新潮社出版部の編集者から「書かなければいけません」と強く押され、『白い雲』(『野田秀樹の演劇』所収 河出書房新社 二○一四年)に結実した。演劇畑ではないふたりの文芸編集者にとっても、この競演は見過ごすことのできない事件であったとわかる。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。