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いつかいつかの朗読教室 3月1日

いつかやってみたいこと。
いつか行ってみたい場所。
いつか、いつか……。

 いつかという言葉には「きっと」とか「必ず」というニュアンスが含まれているように思う。そのことに縛られているわけではないのだけれど、誰に言うでもなく、それは自分との密かな約束のようなもの。
 その「いつか」を「今」にするためには、長縄跳びに入るタイミングをはかるように、自分で「エイッ」とその一歩を前に踏み出したい。
 先延ばしにしていた「いつか」のひとつが、岡安圭子さんの朗読教室ウツクシキ に参加することだった。

友人でもある岡安圭子さんの朗読会は、これまでに何度か経験している。自分でも繰り返し読んだことのある文章が、岡安さんの発する声、息づかい、間によって、今まで頭の中でイメージしていたときよりも、景色の輪郭が鮮明になって目の前に立ち上るようなのだ。蟹の兄弟が川底から見上げた光の網、雪で真っ白に覆われた森の中からひょっこりあらわれた子狐と、子どもたちのやりとりなどなど。
 普段は無防備な耳をしっかり意識して使うこと。耳を澄ますこと、その気持ち良さを知る機会となり、本を読みながらどこかで「音」への思いのようなものまで生まれた気がしている。

 聴くという体験だけではなく、自分でも声を発して読む、またその声に耳を傾けるという朗読をしてみたい。いつか。自分にとってのそのタイミングがようやくやって来たのだ。
 対面でできれば尚良かったのだけれど、距離なども関係なくオンライン教室で参加できることも後押しとなった。
今回初めての教室でのテキストは宮沢賢治「やまなし」

友人どうしとはいえ、このはじめてのシチュエーション。教室が始まる1時間前からソワソワと落ち着かずに緊張していた。いや、始まってからもしばらくは緊張していた。体をほぐすストレッチや発声練習の後の先生のデモンストレーション。あぁやっぱり心地いい情景が広がっていく。
 ちょっとゆるんでリラックスしたのもつかの間、いざ自分が読み始めるとピンと緊張が走る。が、読み進めていくうちに不思議とその緊張もほぐれ、落ち着いて朗読自体に集中していけるのが心地よい。
が、自分の朗読を録音したものを聞き直すと、どうも私の朗読は慌てている。普段から話すテンポや行動が遅いという自覚があるからか、実は何事においても常に慌てているところがある。それが朗読にまで現れていて自分で笑ってしまった。走ってすっ転んでいる。落語に出てくる粗忽ものだ。気の使い方がちょっと間違っていたんだろうな。

 朗読では「間」の取り方がいかに大切かを教えて頂いた。言葉ひとつひとつをどれだけ大事に拾い上げることができるか。それは朗読に耳を傾けてくれる人のため。それがまわりまわって自分のところへも還ってくる。朗読以外にも言えることだろうなぁ。
 あれから教室で教えて頂いたストレッチを続けている。
そうだ!滑舌も意識してみよう。
普段の読書や文章を書く際の向き合い方も変わってくるかもしれない。
声を発する、耳で言葉を捉える気持ち良さ。「いつか」という言葉には
手をつなぐように「また」というニュアンスも含まれている。
朗読教室、楽しかった~!いつかまたきっと。

3月1日(金)最高気温6℃ 最低気温  ー4℃ 前日夜中に降った雨が
雪に変わったようで朝目覚めたら外は銀世界。それも午前中には
サーッと溶けて何事もなかったかのような春の雪。
実家の母と義父の誕生日。元気でいてくれてありがとう。