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歩くあるく:みちのく潮風トレイル日記・ 第11日(2021年9月19日、北上運河と北上川に沿って、陸前小野駅接点——石巻・開北橋174km)

 第11日9月19日は雲一つない秋天。石巻市の開北橋まで、コース上では、20kmを、ほほ北上運河に沿って歩いた。石巻中央港まで約25kmを目標にしていたが、開北橋付近で18時5分、日没で暗くなってきたために、ここで断念した。あと5km弱だったのだが。

 トップの写真は旧北上川の夕日。17時52分撮影

【本日歩いた距離】——コース上では20kmのみだが、自宅からの1日では8時間5分、31.79km、39686歩あるいた。平均時速約4kmだ。後述のように北上運河に沿った石巻市内のルートの一部1.3km分が工事中で、大幅に迂回せざるをえずロスが多かった。

秋天を歩く

 秋空がひろがり、車窓風景が美しい。前回雨模様の9月8日とは景色がまるで違って見える。とくに高城町駅から東側は海がよく見えて美しい。写真は野蒜駅プラットフォームから。上り列車との待ち時間を利用して撮影。

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 仙台駅から石巻方面への仙石線は、2015年度以降は、東北本線の塩釜駅と仙石線の高城町駅(松島海岸駅の一つ先の駅)を結ぶ形で直通運転するタイプの快速があることを初めて知った。仙台駅から陸前小野駅まで36分間だった。前回は各駅停車で1時間6分かかったのだが。駅近くのコンビ二で朝食をすませ、前回断念した154km地点から9時半にスタート。鳴瀬川の土手を歩く。稲刈りが始まっている。

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 下の写真は鳴瀬川河口。河口付近の津波高は7m87cmだったという表示が出ている。

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野蒜築港と北上運河

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 河口付近は野蒜築港の跡でもある。大久保利通(1878年に暗殺された)が提案し、1882年(明治15年)10月に落成したが、1884年9月の台風で、突堤が破壊され、そのまま放棄されてしまった。阿武隈川水系と北上川水系を結ぶ中継基地としての役割を期待されたが、鳴瀬川から運ばれる土砂の堆積などの難題があったという。野蒜築港のプロジェクトは失敗したものの、このプロジェクトの一環として松島湾と鳴瀬川を結ぶ東名運河、鳴瀬川と北上川を結ぶ北上運河が開通した。江戸時代に主要部ができていた阿武隈川河口から松島湾までの貞山運河と合わせて、総延長49km、日本でもっとも長い運河系だ。

 みちのく潮風トレイルは、仙台市域の貞山運河沿いの主要部分と全長12.8kmの北上運河沿いのコースを選んでおり、運河によって水系を結ぶという往時の歴史を偲ぶルートになっている。下の写真の右側、海側の道を進む。小高く、海を遮っているのが防潮堤だ。

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 野蒜築港跡の記念碑と向かい合うトレイルの道標は、水系を結ぶという野蒜築港プロジェクトの精神を継承しているかのようだ。

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 防潮堤の海側には釣り客やサーフィンを楽しむ人達が訪れている。「ヒラメやソイが今朝の釣果だ」と若者のグループが教えてくれた。高さ7mの防潮堤が海と人々を隔てていることは確かだが、長年海になじんできた地元の人達は、それでも何とか活用を図っているようだ。

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 防潮堤の海側はこんな風だ(写真下)。やはり人工物に遮られるよりも、海が直接見えた方がいい。運河のすぐ陸側は、ブルーインパルスで有名な航空自衛隊の松島基地だ(写真3枚下)。

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 約7kmの単調な運河沿いの自転車専用道路をひたすら歩く。人も自転車もほとんど通らない。

大曲浜地区

 やがて大曲浜の寿昌院上台墓地が見えた。右側に大震災の慰霊の観音様が写っている。ここは6mの津波に襲われ、慰霊の観音様は同じ6mの高さのものが建立されている。大曲浜地区も東日本大震災の津波で、壊滅的な被害を受けた地域だ。320人が亡くなった。大曲浜地区の被災と復旧の様子は、東松島市図書館の以下のサイトで閲覧できる。

 大曲浜地区の中でも被害が深刻だった下浜・上浜は、海浜緑地パークになっている。

 

https://www.lib-city-hm.jp/lib/009ICTkeitai/10hama/1002oomagarihamakaigan.pdf

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 大曲浜地区の方たちは、約3km北、東矢本駅北側に造設されたあおい地区に集団移転している。580世帯が暮らす東松島市最大の集団移転地で、その56%は、大曲浜地区の方たちだ。あおい地区は、宮城県内の集団移転事業の中でも、もっとも評価が高い成功例として知られている。

 https://www.city.higashimatsushima.miyagi.jp/index.cfm/22,781,c,html/11204/1-2aoimachidukuri.pdf

石巻焼きそば

 ルートは北上運河をいったん離れて1.5kmほど北上し、国道45号線を通り、定川(じょうかわ)橋を渡り、定川沿いに石巻市に入る。国道45号線にぶつかるところに三浦屋という食堂があった。日曜日なので、家族連れで賑わっている。石巻焼きそばが売り物だ。大盛りは麺3玉、中盛りは2玉、普通盛りは1玉というので、中盛りを注文。石巻焼きそばは、麺の色が茶色っぽい。中力粉を使用し、2度蒸すからという。

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 定川に関する津波伝承板があった。まだ工事が続いている。

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 公式ルートは県道251号線から北上運河の南側(海側)を歩くことになっているが、県道251号線(臨港道路)から、MAP9-2、168.96km地点(石巻あゆみの駅接点、中部自動車学校付近)までの1.3km区間は工事中で通行止めだった。大幅に迂回を強いられ、どっと疲れが出た。目標に向かって定められたルートを歩いている分には意気軒昂だが、代替ルートの見通しが効かない中、ルートから外れるに従って、時間も精神もエネルギーもロスをする。石巻中央港の本日のゴールまで、明るいうちに辿り着かないのではないか、と気持ちも焦ってくる。しかも津波に被災した更地と倉庫や工場が続く、殺伐とした風景だ。

 平米あたり1.6万円、坪あたり5.4万円で被災した更地が売られている。あまり買い手はないようだ。

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 GPSの力を借りながら、また勘を働かせて、公式ルートの石巻あゆみの駅接点、中部自動車学校付近に辿り着いた。北上運河沿いの北側の道は通れたようだ。周囲を見回すと、やたらにラブホテルが多い。

 北上運河が北上川と合流する石井閘門(こうもん)まで6kmを歩いた。途中ときどき工事中で迂回を強いられたが小幅で済み、遊歩道のところは比較的気持ち良く歩けた。震災前から北上運河沿いの遊歩道は、市民に愛される散歩道だったのではないか。

スタバと出会える唯一の場所

 牧山道路と北上運河が交差する陸前山下方面駅接点の近くに、スタバがあった。みちのく潮風トレイル1025kmのルートの中で、スタバの独立した店舗と出会える唯一のポイントだ。厳密に言うとMAP9-5の多賀城駅そばの、多賀城市立図書館の1階にもスタバのコーナーがあるが、看板が目立たないので、地元に明るい人にしかわからない。

 ドライブスルーで、テイクアウトの順番を待つ車も多い。既に16時半を過ぎていたが、椅子に座って休憩しようと入ってみた。石巻市内で数少ないコジャレた雰囲気だ。日曜の午後、女子学生や受験生らしき若者などがおしゃべりや読書、スマフォなどを楽しんでいる。ノルディック・ウォーキングポールを持ち、大きなリュックを背負った66歳の私は、大いに場違いだった。

 みちのく潮風トレイルにスタバは似合わないと言うべきか、スタバにトレイルは似合わないという言うべきか。


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北上川と石巻市

 17時16分、ついに北上運河と旧北上川が結ばれる石井閘門に到着。鳴瀬川河口からの北上運河沿いの道約13kmをほぼ踏破したことになる。閘門(こうもん)は水位を調整して、運河と旧北上川の間を船がスムーズに往き来できるようにする仕組みだ。石井閘門は日本初の近代的な閘門であり、現存する最古の閘門でもあり、重要文化財の指定を受けている。

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 北上川は、岩手県中央部の岩手町に端を発し、盛岡市・花巻市などを通り、宮城県に入って、追波湾に注ぐ、日本で5番目に長い川である。利根川・信濃川・石狩川・天塩川に次ぐ。東北地方では阿武隈川をややしのぎもっとも長い。

 東日本大震災で児童74名、教職員10名、計84名が亡くなった石巻市立大川小学校は、北上川の追波湾の河口から約5kmの地点にあった小学校だ。

 北上川は石川啄木、宮沢賢治など、多くの文学者や芸術家を育んだ「魂の川」でもある。北上川の語源は、「日高見(ひたかみ)」とされる。日高見は石巻の銘酒でもある。

 明治初期に治水対策として、追波湾に注ぐ新北上川が本流となり、石巻湾に注ぐ方は旧北上川と呼ばれるようになった。水運の時代から陸路の時代になって衰退した街は少なくないが、石巻もその典型だ。「おくのほそ道」でも、「数百艘の運送船が湾内に集まり、人家は空地もないほどぎっしりと建ち並び、炊事の煙が数多く立ちのぼっている。思いがけもなくこんなにぎやかな所に来たものだなあと思って」と、芭蕉はその繁栄ぶりを記している(久富哲雄訳)。1980年代半ばをピークとして、2割ほど人口が減少している。震災前から、中心商店街ではシャッターを下ろしたままの店が目立っていた。

 市内中心部の被災地を見下ろすことのできる日和山公園とか、震災遺構の旧門脇小学校跡(写真2枚下(2011年4月12日撮影)および3枚下(2015年9月27日撮影))とか、遠来の客に訪ねてほしいスポットは少なくないが、みちのく潮風トレイルの石巻市内のルートは、北上運河と旧北上川にあくまでこだわって禁欲的だ。見識ではある。

 震災の後、4月12日に日和が丘から見た南浜町の光景は、まさに「第2の敗戦」といった印象で、衝撃的だった。

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 日没が迫り、夕焼けの色が次第に濃くなる北上川を眺めながら、堤防に沿って歩いた。犬を散歩させる人などが結構歩いている。この日は9月19日、21日の名月の2日前の十三夜だった。

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