断片的に立ち上げる。

こちらも、もう公演は終わってしまったのですがクレオパトラ第11回単独公演「散文的な景色、私的な歩行」の創作ノートを更新していきます。

まずイメージしたのが、社会学者 岸政彦さんの「断片的なものの社会学」


https://www.amazon.co.jp/dp/B01C88U79A/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_AiU1Bb6KD7WTB


僕はこの本が好きで、岸さんの作品はほとんど読んでいる。
------------------------
どんな人でもいろいろな「語り」をその内側に持っていて、その平凡さや普通さ、その「何事もなさ」に触れるだけで、胸をかきむしられるような気持ちになる。
梅田の繁華街ですれちがう厖大な数の人びとが、それぞれに「何事もない、普通の」物語を生きている。

小石も、ブログも、犬の死も、すぐに私の解釈や理解をすり抜けてしまう。それらはただそこにある。[…]
社会学者としては失格かもしれないが、いつかそうした「分析できないもの」ばかりを集めた本を書きたいと思っていた。(本文より)


単独の最初の早朝のファミレスで土木系の若者が2人で話しているコントをした。この2人の会話は、断片的なものの社会学を読んで思っていたことを盛り込んでみた。ドラマティックや、物語とはなにか?  人の日常が1番ドラマなんじゃないか。という今回のテーマに1番沿ったものとなった。

一つの街を舞台にコントをオムニバスでやって、最後に繋げて、観客の頭に地図を想像させる単独ライブは何本か見たことがあるのだが、今回はの単独は観客の目の前に立体的な街を立ち上がらせて、建物が透けてそこに人々が生活している感覚。そして、そこを徘徊している体感をしてほしかった。

この続きはまた次回。

近々単独の台本も読めるようにします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?