許してもらえるのは20代まで

お疲れ様でございます。

お久しぶりです!

旅の記録はアメブロで
更新していました。

ただ今回コピペして
noteと一緒に更新していきます。

無事大阪に帰ることができました。

旅を通じて学んだことを
綴ってみたいと思います。

私は現在
32の年になります。

ギリギリ平成生まれです。(平成③年生まれ)

自転車旅やりながら
大阪で働いて暮らしています。

良いように言えば旅人
現実的なことを言えばただのフリーター。

もちろん後者としての自覚を持ちつつ
今を生きています。

過去に、
小学生の頃からの幼なじみと
話す機会がありました。

30代過ぎてフリーターはマズい。

20代の内に正規で仕事先見つけないと
後でしんどい思いをする。と
幼なじみは言いました。

当時、
役者を目指す専門学校を卒業して
私が紹介した派遣会社と繋がっている
引っ越し会社で
派遣社員として働いていました。

レギュラーと呼ばれる
正規ではないけど
常勤での雇用。

私自身は、支援学校の
常勤講師(非正規)として
働いていた時の頃の話。

20代のうちは、
取り返しがつく。

30代にもなれば
なかなか仕事が見つからなくなる。と

結構真面目に話していました。

非正規とはいえど、
学校で働いている以上は、
公務員として扱われ働く。

今思えば、たくさん
福利厚生に対して
恩恵を受けてきたのかもしれません。

ただ、今後いきいきとした状態で
働いているビジョンが見えなくなり
既に手詰まりを感じていました。

30代からは、やりたい仕事じゃなくて
できる仕事に励まないと
人生が終わってしまう。

本当に手詰まりになると
危機感を感じていました。

結局その年で
任期満了という形で退職。

転職して、全く職種が異なる
作業員としてフォークリフトに乗りながら
仕事に励んでいました。

奨学金を返さないといけなかったので、
正社員として週6で働いていました。

そりゃ給料とかは
教員時代のほうがよかった。

ただ、今後できることで
勝負する以上は
視野を広げる為に
いろんな経験を積む必要がありました。

結果、ひとつのことに集中できる。
雑用や軽作業なら主体的に取り組んで
褒めてもらえることができる。

とにかく前向きに
できることをひたすら取り組みました。

おかげさまで
今では、Uberの配達や
旅館の手伝い(皿洗い、清掃、配膳等)
できることで勝負して
楽しい生活を送ることができています。

公務員の安定も大事。

でも私は、精神面の安定を選びました。

楽しく仕事に取り組めることによって
私も笑顔になれる。

職場の人も笑顔になってくれる。

できることで喜んで貰えると
益々自信につながります。

できることから社会貢献。

発達障害当事者として、
切り開くコツは
定型の人が疎かにしてることを
きっちりこなす。

挨拶、ゴミ拾い、ゴミの分別とか
ちゃんと見てくれてる人は多いですね。

それは媚びへつらってるわけではなく
あくまて主体的に行動できることを
考えています。

20代のうちに
できることは何なのか
何をして褒められたのか思い出して
なんとか食らいつきました。

まだ幸いにも
障害の度合いに関しては
軽度の方かもしれません。

深く考えすぎていたのかもしれません。

配慮してくれー。みたいな
感じで飢えてた時期もありました。

できることをこなして
徳を積むことによって
困った時に助けてくれます。

幸せです。

そこでもしっかりお礼を言います。

あの頃、幼なじみと交わした会話が
やはり大きかったです。

ちなみに幼なじみは、
無事派遣社員から正社員に昇格?し
結婚もして、子どももできたそうです。

ローンで家も買ったそうです。

立派ですよね。

人それぞれの幸せがあります。

自転車旅なんて
誰でもできるから
凄いと言われても
常に謙虚な姿勢でいます。

断然、幼なじみの方が凄いです。

私には、できないことを
やっているのだから。。

幼なじみの彼に負けないように
頑張ります。笑

こんな奴もいるんだな。ってことで
察してください。

終わります。

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