時間経過が教えてくれたこと。

時間経過というものは恐ろしいものだ―

100年に一度起こるという、世界を恐怖に陥れたウイルスと言うのは
皮肉にも人間の世渡りの必需品である「建前」という仮面を外し、
代わりに布マスクを装着させた。

建前が外れたことによって、人々からは「本音」が見え隠れするようになり、
個人個人の価値観が浮き彫りになった。
ただ、対症療法がない、いまだかつて自然治癒及び、予防が何よりの対応策であると言われているこの状況下では、これまでの生活様式は一夜にして崩れ去るほど嵐のように破綻していき、代わりに「新たな生活様式」という国民生活をもとに戻すための『ふっかつのじゅもん』が提唱されたのである。

リモートワーク。
オンライン化。
無観客。
ソーシャルディスタンス。

その合言葉を守らないものがいれば密です。の一言で取り締まるのだ。
密です。
密です。
密です。
三密回避の徹底を!

先の見えない不安に取り囲まれていく人々は形のない安心という概念を求めに攻撃する対象を探した。
自粛警察、誹謗中傷、クラスター、夜の街。
こういうときにも何かしらひとくくりにするのだから日本人はある種、帰属意識が高いと言ってよいだろう。

私は音楽に触れる人間だがライブハウスも例外ではなかった。
劇場クラスターと呼ばれ、ひとくくりにされたものだ。
ライブハウスには足を運びたいけれど、かくいう私も感染リスクや社会的リスクを恐れて行動できなかった。
私もそういう意味では、攻撃している加害者なのだろう。

この状況下だから致し方ない。と正当化したくなるときもある。
ただ、声を揃えてSNSで叫ばれているのは、

今がない場所に未来はない

ということである。

皆さんがそれぞれのこれからを考えるのと同様に私も私なりのこれからを考えた。
少なくとも目をそらせなかったのは事実である。

その時、オンラインでライブをする機会があったが、
結局私は会場へ向かうことへのリスクを回避した。
とても悔しかった。

ライブ会場で「今」を残したかった。
ライブハウスの空気感が心地よくそこに居場所を求めていた。
タイムリミットの決まった人に今を伝えたかった。
客観視すればほぼ自己満に近いと思うが、それでも私を応援してくれる人が少なからずいて、その方々を裏切ることになってしまう。
そこまでの想いをいつの間にか抱えていた。

そもそも私自身が音楽を続けること自体、学生の時間をかけてきたプライドがあった。
対して成績も良くないし、音楽の成績はおそらく下から数えたほうが早い。
音楽の知識がほぼゼロに等しい状況で入学し、学生生活を送ったものだから、作曲センスも編曲センスもなかった。
未だに、作曲するのは労力がいる。パソコンとにらめっこするような
ただ時間が浪費していくそしてまた同じ一日が終わる。

現在は別で社会人をしながらスクールに通っている。

正直、諦めてしまったほうが早いのではないか?と思っている。
それでもやめなかったのは音楽をする自分を否定することで過去の自分を、学生の自分をないがしろにするのではないか。そんな恐怖もあった。

大げさではなく、本当に感じた。
気づいたら、自分ひとりでは抱え切れなくなってむせび泣いていた。
自分の居場所、プライド、すべてを守ろうとした結果、
自分自身を、自分自身たらしめていたものが破裂した。
そう、あれはバケツの水が溢れてしまうような風船が割れてしまうようなそんな感覚に近かったと思う。

結果として私はオンラインでライブをするということから収録に切り替えた。

直前のお知らせになったのには申し訳無さを感じたが
一応形には残り、ひとまず成功した。
優しいお言葉もいただけたりした。私の周りは温かい人が多い。
私は恵まれている。

でもオンライン化が進んだり、リスクヘッジをしなければならないことで
思うように私の思い描く形でライブができなくなっていく現状を考えたときに、
スクールなどにすがることでライブに出るのは違う気がした。
※あくまで私はというだけです。そこに今も魂込める素敵な方もいます。

ライブに出て、経験を積んでと考えていたが
いつしかライブをすることが目的になってしまい、その先を見れていなかった。
私のゴールはライブに出ることじゃない。
どこかにすがってやるものじゃない。ライブは自分を発信していくための手段でしかないことに気がついた。

その上でライブを一旦私の中から外してみて自分の中の現状。
進みたい方向性・できることを整理してみた。

【自分の現状】

胸式でこれまで4年間歌い続けてました。
いや、4年じゃないな、腹式で歌えていたことはないだろう。
→ボーカルの基礎を体得する必要がありました。

これまでレッスンをしてきて
初期の頃はお恥ずかしい話、申し訳ない話でもあるのですが
「レッスン外の時間」の方が大事という認識が持てませんでした。

普通に考えたらおかしな話ですが、レッスンで体得するのに必死になっていたのはあると思います。
まあ、それは難しいというのはすぐに分かるのですが。
そこからいろいろ試しました。

いわゆる「ボイトレ」というものを受けている方はご存知だと思いますが

声そのものを鍛えるボイストレーニング
歌い方の指導を受けるボーカルトレーニングが存在するわけです。

普通に考えればそれを1回あたり45分〜60分で繰り返すことで体得しようってのが
難しい話なわけで。
練習というものが苦手な私は逃げていたんですよね。
それは当時の先生に早い段階で見透かされているし、先生とのお別れのときにも
寄せ書きの中に書いていたりしたものです。

今考えればあれを歌いたい/これを歌いたいということが先行していた私は
ボーカルトレーニングの吸収に重きを置いていたのだと思います。
それもやがて、伸びしろに限界が来るわけです。

あくまで「今」の歌い方に合わせたボーカルトレーニングだから。
本当に先生をあれほど困らせた生徒はいないんじゃないかなと思っています。
当時の先生にも声を訓練したほうがいいと言われ、
ボイストレーニングを改めて受けることになりました。

一番衝撃だったのは当時学生の中では男声の中では高めと言われてきた私。
時が過ぎゆく中で、POPSの音域はどんどん広がり、
原曲キーで歌えるものはないに等しい。
原曲キーで歌えている?なんて思えば実際のところはオクターブ下で歌う始末。

ということで音域を広げなくてはならなくなりました。
そう言っているうちに世の中の情勢が巣ごもりに変わり、オンラインへと変わっていった。

当初はオンラインに慣れることが最優先事項でした。
慣れてきた頃に先程のオンラインライブの話と先生が巣立つ話をまた聞いた。
世の中が変われば人々の選択も変わる。この半年で私も色々見てきた。

ボーカルだけにとどまらずピアノの弾き語りはどうするんだとかね。
2月は巣ごもりの始まり、3月は一般的に進路を考える。
8月は半年を経て、準備ができた人が旅立っていく。それはどの場所でも一緒だった。プライベートだけではない。職場の人間関係もそうだ。
色々と変わったから、ここ2ヶ月くらいは仕事に重きを置いた。
置かざるを得なかった。専門学校卒なのですでに社会人5年目。
私も正直、身の振り方を考えなくては行けないのである。
実際、職場的にはSTAYを選ぶわけだが、
ただ、何も変わらずこの情勢だけが変わるのだけを祈って何もせずにいるべきなのかというとそうは行かない。

なぜならば

自分が止まるということは相対的な退化に他ならないからである。

ただ、リスクヘッジは常にしなければならない。
国からの制限はないが、私はやはりこの情勢に於いては静観しつつ、
慎重である必要がある。

ただ、一人で何ができる?
対して能のない私が驕るなどもってのほか。
半人前にすらなれてない自分が一人で何ができるのだろう?

そこで様々な声を聞いた。
過去のことも思い返した。

【周りの声を聞いてみた話】

つい先日、こんなことを投稿した。

作詞のプレゼンの話。
勉強会で発表させてもらったやつなのだが思ったより好評だった。
主観のオンパレードにも関わらず、だ。
その後、嬉しいことに私の文章に興味を持ってくれる人が増えるようになった。


思い返せば、学生の頃は作詞ばかり担当していた。
実際のところはいい曲が作れない。
楽曲制作で担当を決めるときに余ったのが作詞であったということ。
それだけの理由なのだが2回目以降は必然的に作詞の人になった。

SNSをしていても文章構成がいいと言っていただけたり
文章がうまいと言っていただけたりもあった。

会社ではなかなか上司に思いが伝わらず、ポエマーと揶揄された事もあった。
少し、そんな言われようにははてなが浮かんだ。
普通に日本語喋っているだけだから。
ハチャメチャな略言葉とかを使うわけでもないのだから。

思えば私が評価をしていただくときは文章として発信することだった。
最後のは評価ではないと思うが面白いと話の種にはなった。
そう、音楽ではなく文章だったのだ―


【もしかしたら私にできること】

そして先日、友人と電話をしていたときに何気なく本の紹介をしてくれた。
ダンボールの中に数々の著名な方の単行本や書籍が入っていた。
断捨離中といいつつ、本人が印象が強かった小説をいくつか教えてくれた。

IQ84、苦役列車、コンビニ人間―

その中で爽やかな背表紙が見えた。
そこにはスロウハイツの神様(上)とあった。

私はその友達にそれどんな本なの?と聞いた。
友達はあらすじのようなものを軽く話してくれた。

その話を聞いているうちに小説の世界に飛び込みたいと思うようになった。
私は早速購入した。

私の頭の中にない世界を垣間見ることで
音楽とはまた違ったお話の世界を自分自身で表現したくなった。
正直、私は本を読むのが苦手だ。

ただ、音楽よりも文章に興味を示してくださるという実感がある以上、
そこへ進んでみるのは間違いではない気もしている。
ある種、音楽に活路を見い出していた自分が意固地に音楽をしていくよりも
他の世界から新たな創造性、私の知らない表現をすることができるかもしれないと
希望の光が指したからである。

【音楽はどうしていくの?】

とはいえ、音楽から手を引くわけではない。
基礎ができていない、ということから立て直しを図る必要があると考えている。
とてもそれは時間のかかること。
ただ、音楽に向き合い、挫折し、ときに救われ、自分の思いを伝える手段であったからこそ、これからも何かしらの形で音楽には関わっていくと思う。
その時は良い知らせとしてご報告します。

まずはこの巣ごもりの期間、落ちてしまった筋力を戻すように
インナーマッスルトレーニングを少しずつ続けています。
胸式の歌い方から腹式に変えていけるように。
先々の夢の話はまた改めて。

小説のこともありますのでまた少しずつnoteには顔を出していきます。


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