ハシモト

読書が好きなサラリーマンです

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最近の記事

喪失とどう向き合うかー村上春樹著「東京奇譚集」を読んだ

村上春樹著「東京奇譚集」を読みました。自分的には、これぞ村上春樹!と感じた作品でした。 本書では理不尽な喪失を描く短編が5本収録されています。病気で未来が失われる危機に見舞われる人とのつながりを描いた「偶然の旅人」、息子との死別の物語である「ハナレイ・ベイ」、失踪した男を探す「どこであれそれが見つかりそうな場所で」、突然自分の人生を左右した女性がいなくなる「日々移動する腎臓のかたちをした石」、自分の名前の記憶をときどきすっかり忘れてしまい、それに苦しむ人を描いた「品川猿」。

    • 人生は挫折からはじまるー2024/03/29中日×ヤクルト開幕戦を見てきた

      「これで今日の試合はもらった」2024年3月29日、神宮球場にいた私を含め多くの中日ドラゴンズファンはそう思っただろう。8回裏、ノーアウトでバッターは日本を代表する大砲、村上宗隆。中日のピッチャー松山晋也渾身の投球で、ショートフライに打ち取った…はずだった。その日、ショートを守っていたC.ロドリゲスが、背走しながらボールを追い、あとはキャッチするだけというところでボールを落としてしまう。ボールは転々と転がり、打者の村上は二塁まで到達した。それからそれまでの中日の勝ちの雰囲気は

      • 失いたくなかったものを、失ってしまったときは

        私には苦しかった思い出があります。それは、本当は失いたくなかったものを失ってしまった経験です。 中学受験に失敗し親族からダメ人間の烙印を押されたこと、大好きだった祖母との死別、大学受験の辛い時期を共に過ごした彼女から突然別れを告げられたこと、新卒で入った会社でパワハラを受け「使えないやつだ」と言われ続け精神をやられたこと…。 それぞれの思い出が時々フラッシュバックして、胸がギュッと掴まれたように苦しくなります。過去の思い出たちが「俺たちのことを忘れるんじゃねえぞ」と自分の

        • 「書く」という行為を見直すー三中 信宏「読む・打つ・書く: 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々」を読んだ

          三中 信宏著「読む・打つ・書く: 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々」を読みました。 本書は、理系の研究者による読書・書評・執筆論をまとめた内容になっています。この中でも特に「なぜ本を書くのか?」「どうやって本を書くのか?」という内容が印象に残りました。 今回のnoteでは、その2点についてまとめます。 なぜ本を書くのか?本書では本を書く理由を以下のように述べています。 本を書くのは、誰かのためではなくあくまで自分のためであると筆者は述べます。自分が読みたい内容

        喪失とどう向き合うかー村上春樹著「東京奇譚集」を読んだ

        • 人生は挫折からはじまるー2024/03/29中日×ヤクルト開幕戦を見てきた

        • 失いたくなかったものを、失ってしまったときは

        • 「書く」という行為を見直すー三中 信宏「読む・打つ・書く: 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々」を読んだ

          なぜ「学びたい」「本を読みたい」と思うのか?

          なぜ人は学ぶのでしょうか。なぜ人は本を読むのでしょうか。 さまざまな考え方がありますが、私は「自分を客観視するために学んだり、本を読んだりする」のだと考えています。 学んだり、本を読んだりすることで自分を客観視できます。自分を客観視できれば、自分の狭い視野から離れ、新たな可能性や解決策が見つかるかもしれません。もし見つからなくても、自分を離れるという体験は、最高の気分転換になるでしょう。 たとえば、私は最近、夏川草介著「スピノザの診察室」という本を読みました。 この本

          なぜ「学びたい」「本を読みたい」と思うのか?

          自分の居場所はどこにあるのか―堂場瞬一「ホーム」を読んだ

          堂場瞬一が書いた熱血系野球小説「ホーム」を読みました。 この小説では「ホーム」がたくさんの意味を持つ単語として登場します。野球の本塁、故郷、居場所。これらの「ホーム」の意味が物語を引っ張っていきます。 物語は、日本生まれ・アメリカ国籍を持つ藤原雄大が、オリンピックの野球でアメリカ代表チームの監督に指名されることから始まります。 藤原はアメリカのメジャー球団で育成を担当しており、元々の監督が急逝したことにより白羽の矢が立ちました。藤原はアメリカ代表チームをオリンピックで優

          自分の居場所はどこにあるのか―堂場瞬一「ホーム」を読んだ

          「つたなさ」への温かいまなざし―那須耕介「つたなさの方へ」を読んだ

          素敵な出会いがありました。 まずひとつは人との出会い。ある書店で「ミシマ社フェア」をやっており、そこにミシマ社の営業の方がいらっしゃいました。その方は私に気さくに声をかけていただき、おすすめの本や本の誕生の背景などたくさん教えてくれたのです。自分が買おうとしている本にどんな人が関わっているのかを知ることは、野菜の生産者の人の顔が見える時と同じようになぜか安心しますし、親近感を覚えます。しかも、ミシマ社の方の「本が好き」という思いが伝わってきて、「この人、同じ星の人だ!!!」

          「つたなさ」への温かいまなざし―那須耕介「つたなさの方へ」を読んだ

          前進・成長だけが求められる社会で、後退・停滞する勇気をもつ

          いつでも前進することはできません。一時停止したり、後退したり、道を変えたりすることは、生き残る上で大切なこと。前進することばかりを考えていたら、間違った道を爆進して、死ぬこともあります。 現代は、前進することが至上命題になってしまった社会であるように感じます。前年より成長しなければ、昨日よりも少しでも改善されていなければ、価値を認められることはありません。 そんな社会の中で、いつのまにか前進することが目的になってはいないでしょうか。前進することは、目的地にたどり着くための

          前進・成長だけが求められる社会で、後退・停滞する勇気をもつ

          前向きに、悩みもがき苦しむ

          なかなか苦しい社会人生活を送っています。 新卒として入社してから2年目になりましたが、自分の周囲は中途社員のプロばかりで実力がまったく追いつきません。自分と他人の力の差に打ちのめされる毎日を送っています。 この現状を変えるために、「前向きに、悩みもがき苦しむ」ことを目標にしました。 「前向きに、悩みもがき苦しむ」ことが目標になれば、日々の苦しさや辛さが目標達成に向かっていると考えられます。すると、苦しい現状を受け入れやすくなり、建設的に改善策を考えることができるのではな

          前向きに、悩みもがき苦しむ

          「役割」が、自分も他人も変えるという希望

          人は「役割」でいくらでも変わります。求められる役割が、人の振る舞いを決めるからです。 求められる役割が変われば、自分の見える世界は変わります。自分の役割を自分でうまく決めることで、理想の自分に近づけるかもしれません。 旧友からの「変わらないね」という言葉役割が人を決めることを痛感したのは、高校時代の同窓会に参加し、懐かしい友人たちと再会したことがきっかけでした。社会人になってから初めての同窓会。久しぶりに会った友人からは「変わらないね」と言われました。実際、変わっていない

          「役割」が、自分も他人も変えるという希望

          人は「傷」によって繋がる『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

          人と理解し合うことほど、難しいことはありません。 いつも隣に座っている上司ですら、何を考えているかさっぱり理解できません。何十年も一緒にいるはずの家族でさえ、完全に理解できておらず喧嘩をしてしまいます。 なぜ人と理解し合うことは難しいのでしょうか。そもそも人と理解し合うとは、どんなことなのでしょうか。 村上春樹著「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」に登場する言葉から、考えていきたいと思います。 傷を持つ人だから 理解できる「人を深く理解する」とは、自分と人の間

          人は「傷」によって繋がる『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

          究極のものづくり【「フィン・ユールとデンマークの椅子」感想】

          「フィン・ユールとデンマークの椅子」に行ってきたひとつの椅子を見ただけで、その椅子が置かれた空間がぱーっと頭に広がる経験をしたことがありますか?椅子を見るだけで、家族が仲良さそうに話している映像が頭の中で再生されたり、イケてる企業に訪問した営業マンになった気分がしたり。 私はそんな経験をしたことがありませんでした。「フィンユールとデンマークの椅子」の展示に出会うまでは。 ものづくりの本質極論すれば、椅子はただ座るためだけの日用品です。なのになぜ私はここまで想像を掻き立てら

          究極のものづくり【「フィン・ユールとデンマークの椅子」感想】

          生きづらさの原因と自由からの逃走

          「自由から逃走しようとすることってめっちゃあるな…。」 これが私がエーリッヒ・フロムが書いた「自由からの逃走」を読んだ感想でした。 個人的にやりたいことがあるのに目を背け、無理に他人に合わせようと疲弊する。このような自由から逃げる機会は自分の生活で山程あります。 本当は別の夢があるのに、安定のために仕方がなく仕事をするとき。別に行きたくもない飲み会に参加するとき。このようなときに、自発的に自由を捨てています。 では、なぜ人は自由から逃走したがるのでしょうか。本記事では、

          生きづらさの原因と自由からの逃走

          「問い」を生きる

          人生は問いの連続です。問いを生きることが人生であると言っても過言ではありません。 私たちは日々問いを立てて考えています。今日の夕飯は何を食べようか、ラーメンがいいか、カレーがいいか。明日の休日は何をしようか…。人はいつでも問いに対して何らかの答えを出して行動しています。 そして時々、人生を左右するような大きな問いに出会うことがあります。夕食や休日の予定が問いとは言えなくなるような大きな問いかけ。そんなものにあなたも出会ったことがあるのではないでしょうか。 たとえば就職先

          「問い」を生きる

          SNSで疲れきってしまったあなたへ

          SNSで常につながっていると、 自分自身に目を向ける時間が減る現代は、常に人とつながっている時代です。 SNSからは、人のキラキラした私生活の情報が24時間365日流れ込んできます。この過剰とも言えるつながりのせいで、自分自身のことを大切にする時間が減ってしまっているのではないでしょうか。 人に見せる自分だけを大切にして、自分自身をケアする時間をおろそかにしてしまっていないでしょうか。 自分自身を大切にする時間が減った状態では、誰しもが人から見られる自分を良くするためだ

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          人間関係に疲れ切る前にやるべきこととは?

          人間関係で疲れ切ってしまうのは、オンの時間とオフの時間の切り替えがうまくいっていないからです。 オンの時間とは、人から見られたい理想の姿を演じる時間のことです。オフの時間とは、リラックスしたのんびりした自分で過ごす時間のことを指します。 前回の記事では、 オンの時間でいつづけてしまうために、人間関係に疲れ切ってしまう 人間関係をうまく保つためにはオンの時間とオフの時間のバランスを取ることが大切 ということをお話しました。 今回の記事では、 なぜオンの時間とオフの

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