hashimoto_19452

ただの引きこもり。 本が読みたいが、怖すぎて読めない。 積読多すぎてむり。

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ただの引きこもり。 本が読みたいが、怖すぎて読めない。 積読多すぎてむり。

最近の記事

小川洋子先生の「海」を読んだからひたすら愛でていくぞ

 小川洋子先生が大好きだ。  初めに読んだ作品は「博士の愛した数式」  忘れもしない中学3年生の頃、高校受験のために通っていた学習塾の本棚で見つけた本だった。なぜその本を読んでいたのかはわからなかったが、塾の待合室でのんびりと読んでいたのを覚えている。尊敬していた優しい数学の先生と、本の感想について話していた。その当時は、筆者のことは認知していなかった。  その後、成人してから再び出会うことになった。近所の今はもう閉店してしまったツタヤの本棚で目があったのが「薬指の標本」だ

    • 愛だの恋だの言うがどうやってやるわけ??

      わかんないんだよな。 最近、引きこもり(自称)に恋人ができた。 かなり急展開だった。特に作るつもりもなかったが、いつの間にかできていた。 恋人いない歴=年齢に終止符が打たれたが、案外あっけなかった。 まぁ、そう言う前提は置いといて。 初めて恋人ができたんだが、どうすればいいかわからないんだよな。 恋人らしく、デートもするし、スキンシップもある。愛情表現も努力しているし、相手もしっかりしてくれている。 ただ、なんとなく表面的な雰囲気もあるような感覚がある。何をすればいいんだろ

      • 病み垢の効能

        最近、Twitterを開設した。高校以来だった。 高校の時分はTwitterに面白みを感じず、いつの間にかアプリも削除していた。 最近、人に勧められて再びインストールし、アカウントも作成していたものの、特に何も呟くことなくそのまま放置していた。 精神的に不安定な時期が周期的にあり、ここ最近は情緒不安定だった。 どうしようもなく不安に駆られ、普段はさほど感じなくなっていた希死念慮が肉薄していた。病みが悪化していくにつれて、それをしっかり自覚できたが、軽い病みの時は疲れているく

        • 道に迷うのが趣味、人生もそうだったらいいね

          知らない道を歩くのが好きだ。 歩いたこともない、前から気になっていた道。 知っているつもりの街でも、知らない道はついつい惹かれてしまう。 ふらりと気楽に道をはずれるのが楽しい。 そうやって選んだ道は、なぜかいつも新鮮さと懐かしさを感じさせた。 道は分岐していく。 選択を迫ってくる。三時のおやつに何を食べようかと、迷うような気楽さで。 子どものような楽しさで、キラキラした道をいく。 行き止まりでも楽しい。戻って、また、別の道を選べるから。むしろラッキー。 名の知らぬ野花も、用

        小川洋子先生の「海」を読んだからひたすら愛でていくぞ

          花筏にのって、流れてしまえ。

          君の思い出も、私の恋心も。 河津桜を見に行った。 目的地ではなかったが、流されるように辿り着いた。 もう散り始めていて、葉桜のものあった。 葉桜は、桜餅みたいでおいしそうだなと思った。 花に誘われてきた、道ゆく人たちは、 春の陽気につられ、明るい顔をしていた。 鳥も花を散らして、愉快そうに笑っていた。 平和がこの並木道の支配者だった。 私は地面を見ていた。 椿のように、花がそのまま落ちていたのをみつけた。 これは私。 空色のパステルカラーのノートに挟んだ。 川沿いの並

          花筏にのって、流れてしまえ。

          スキ好き、大好き!心に触れたい、たとえばあなたの。

          昨日は記念日だった。 初めてスキをもらった記念日なのだ。 心が弾んでしまい、記事を何個も投稿した。 そうしたら、またスキをもらえた。 今朝も、起きて携帯を確認したら、またもやスキがやってきていた。 やったね。本当に、嬉しいことだ。 この記事を書いている途中にも、スキがご機嫌よく飛び込んできた。 文章を読んでくれた人、スキを伝えてくれた人、みんなありがとう。 こっそり、みんなの記事を楽しんでいます。 コメントも書きたいけど、ちょっと怖い。ネットでも安定のひきこもり。 反響があ

          スキ好き、大好き!心に触れたい、たとえばあなたの。

          一種の症候群であり依存症

          読書家、それは理想化の格好の獲物である。 文学少女や文学青年は、繊細な心を持ち、容姿は男女共に楚々であり、 内気で、すぐに人と打ち解けることは少ないが、心を許した人間には、 屈託なく全幅の信頼を寄せる・・・。また、往々にして知的であり、 思慮深く、心の機微に聡い。 ・・・というのは、多くの人間に内在するファンタジーではないだろうか。 はっきり言おう。妄想である。 読書家や、文学に携わる人間というのは、知的で精神的に円熟しているために、 文芸を好むのではなく、むしろ、一種の依

          一種の症候群であり依存症

          あなたの失恋どこから?

          まるで失恋のようであった。 まさか、この私が、である。この世に生を受けてから一度も恋人のできたことがないのに、失恋? そもそも、始まったかすら怪しいのに? まぁ、心にずっと居座られるのも癪だし、実社会では誰にも話したことないし、特別に、今これを読んでいるあなたに打ち明けてみようか。 去年の暮れ、気になる人がいた。 なんとなく、興味を惹かれた。 ゆっくり話す機会はなかったが、お互い気になっていたのだろう。 なぜか連絡先を交換できて、連絡を取り合っていた。 そして、その人に恋

          あなたの失恋どこから?

          初めてスキをもらったので、今の気持ちを書いておかないと!

          タイトルの通りである。12月にパソコンを買った記念に、 やってみたかった創作活動の一つとして、noteを始めた。 案の定、3日坊主になったが、久々に書きたくなって、帰ってきて。 noteは数ヶ月前と変わらない姿で、なんとなく安心した。 それで、さっき、本棚で買える幸せ、みたいな話を書いて投稿した。 それで、筆が乗ってきたから、もういっちょ書くか、とカタカタしてたら携帯に通知が来た。 「スキのお知らせ」・・・?すき・・・?まままさか 急いで自分の投稿を見ると、ハートに色がついて

          初めてスキをもらったので、今の気持ちを書いておかないと!

          本棚で買える幸せ、そして春がくるらしい

          やっと、やっとこさである。 ついに本棚を買った。偉業達成の瞬間である。 私の部屋は本にまみれている。 天井近くまである、一棹の本棚からは本がこぼれ落ち、着物を収納しているクローゼットの下段からも本は溢れ、窓を覆い、ついに自室から光が失われた。観葉植物は、過酷な環境に適応できず、人知れず枯れ果てた。 これが、私が過ごした冬であった。 家に引きこもっていても、春の気配は忍び寄ってくる。 いい加減、人間らしい生活がしたい。太陽の光が差し込む部屋で過ごしたい、というか換気したい。

          本棚で買える幸せ、そして春がくるらしい

          年末の温もりと年明けの清々しさ、それと自分の機嫌の取り方について

          毎日更新を志してnoteを始めたものの、早速出鼻をくじかれてしまった。 数日間もの間ネット環境から爪弾きに遭ってしまったので、年末はパソコンを開くこともなく、年が明けてやっと記事を書きはじめたわけだ。 ネット環境がないと言うのは、現代では中々味わえないことではないだろうか。 パソコンが使えない、不便さは確かにあったものの、携帯で最低限の連絡を 取ることはできたので、日常生活には問題なかった。 文章を書くハードルが若干上がった程度だ。 それ以上に、ネット環境から離れてよかった

          年末の温もりと年明けの清々しさ、それと自分の機嫌の取り方について

          Twitterですれ違ったあの人、或いは死ねないあなたと私

          自殺してしまった、顔の見た事もない人のことが忘れられない。 Twitterですれ違っただけ、というより一方的に見ていただけの存在だけれど。 おそらく男性で、きっと同い年くらいであったであろう。 東京に住んでいたんだと思う。 もう、アカウントは消えてしまった、あの人の事が時折心に浮かんでくる。 本人の似顔絵と言っていた、友人が描いてくれたと言っていた、 あの儚げな、ネモフィラのような青が印象的なアイコンが朧げに浮かんでくる。 1mmたりとも、自殺を止めようなんて思っていなか

          Twitterですれ違ったあの人、或いは死ねないあなたと私

          冬に寄せて

          冬の寒さが何かに似ているなと、小さい頃から考えていた。 考えた結果、冬の寒さは厚い瓶底に似ている、が答えだと気づいた。 冬の寒さは、巨大な瓶の端っこに身を寄せているような冷たさと、この寒さからは逃れられないという絶望感を感じる。だから大きな瓶の底みたいだなと感じた。 瓶の底に、みんながいるから、寒いのになぜか人との距離がどの季節よりも近く感じる。一人になりたくても、どこへも行けやしない。 イベントも多く、どうしても人と関わる必要が出てくる。 なんとなく冬が憂鬱な理由だ。 憂

          好きな文章を標本にしたい

          本を読んでいると、どきりとする一文がある。 それは、素敵なヒロインの容姿についてかもしれないし、自分の悩みから解放されるような一文かもしれない。または、少し官能的な場面という場合もあるだろう。 そういう一文に出会うと、感激してしまって、すっかりその本が好きになってしまう。惚れっぽいのだと、思う。 そういう文章を忘れないために、本に付箋を貼る。 でも、それだけではダメだという事に最近気づいた。 好きな言葉たちを、持ち歩けない、すぐに触れられないからだ。 どれだけ感激した文章

          好きな文章を標本にしたい

          ロシア文学から始まる独り言

          ツルゲーネフのはつ恋を読んだ。 ロシア文学は好きだ。 ツルゲーネフのはつ恋が好きだ。 ジナイーダ嬢のようなファムファタールに、 青春を、人生を徹底的に破壊されてしまいたい。 だが、悲しいかな。 ファムファタールは常に男性の前にしか現れないのだ。 なぜなら、男の妄想だからだ。そう、そんな女はいないのである。 妄想だから、理想で美しいのだ。 ロシア文学が好きだ。 文章から滲み出る、土地の寒さ。 人生に対し、自身に対し、有無を言わせず、内省を余儀なくされる あの独特の重苦しさ

          ロシア文学から始まる独り言

          始まったばかりのそれ

          自分の世界を作っていきたい。 作品はどうやって作っていけば良いのだろう? まだまだ、未知数だ。 だから、楽しいんだ。 小さな、持ち運べるような作品から作ってみようか。

          始まったばかりのそれ