アルビノの魚

アニイの恋人(1)

アニイがいつもその少しガチャついた歯を見せて笑う時、目線が決して僕に向かうことはなかった。

それは僕であろうと、隣に住む老夫婦が飼っているロダンという名のシベリアンハスキーと戯れている時でさえも、同じだった。

彼女の中では恐らく笑うという行為はその場に漂う空気を滑らかにするための潤滑油に他ならない。

その瞳の奥ではあるべき自分が、観客にあるべき自分として映って欲しいと願いながら、常にそうでは

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【アルビノの魚】夜の言い訳

翌日が休みの仕事終わりは華々しい。
誰も僕を咎める人はいないから、飽くまで夜を堪能することができる。
朝がやってくることへの怖さも、罪悪感もない。朝に眠り、陽が傾く頃に目覚めれば良い。身体が許せば、いつまでだって起きていればいい。この日ばかりは顔に疲れが出ていても、眠たい眼で睥睨しても許されるだろう。

「60秒数えてみて」

「1、2、3、4、5、6...」

彼女の数えるそれは天文学的数値

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【アルビノの魚】泡沫

一年を通じて一番彩度が低く、人を微睡ませる2月。外気のツンと鼻を打つような寒さとそのぼんやりとした気候が、冷やしすぎて酸が立ちすぎた白ワインの、その芳醇な香りが感じにくいように人々のあらゆる感覚器官も鈍くさせていた。指先の冷たさは限界になり、僕の身体の一部が自分で統御できないまるで別物のように感じられて今にも独り歩きしそうと思うほどだ。

 裸にさせられた木々たちもその内側に膨大な生命のエネルギー

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【アルビノの魚】 言葉が香る時

「僕はまだ、『他者』に出会っていないのかもしれません」

酔いさましのために見慣れた街を一駅分歩いている時分に、ふと彼に言われた一言だった。意識はあるもののしっかりと酔っていた自分はこの言葉を聞くまでほとんど彼の言葉は頭に入っていなかったし、どういう文脈でこの言葉が発せられたかなどは未だに思い出せない。傘をさすかささまいか、霧雨が火照った体をほんの少しばかり冷ます、しっとりとした梅雨の始まりの季節

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【アルビノの魚】プロローグ

社会的関心を持てず、政治的活動力が乏しいせいで外的世界から一線を画した場所でひっそりと暮らしている人種は少なからずいる。一般的に「世渡りが上手い」人々がこれらの人々を辺境に追い込んでいると思われているが、実態はそうではない。自発的に社会からの逸脱を選んだ人々は、こう言って語弊がなければ盲目で「恵まれた」人々のまだ見ぬ(というよりも決して理解のできない)世界への胎動を、その繊細で嫋やかな身体によって

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