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あるびの

暗い水槽の中に、小さな白い光線が走っていく。

水草がゆらゆらと揺れて、その隙間から透明な粒子が

泡のように浮かび上がっている

「卵、つけたな」

僕は呟く。

今度はうまくかえるといい

水草を引き上げて、あらかじめ用意した別の一回りちいさな

水槽にそれらを引越しさせる

「温度管理は慎重にしないとな」

白めだかは、ネットで取り寄せた

一匹3千5百円した。それが10匹だから、3万5千円

幼稚園の頃から溜め込んでいたお年玉はすでに30万になる

小さい頃から物欲とは無縁で、母親に通帳を作ってもらい、

そこに溜めた金額が毎年すこしづつ増えるのが楽しみだった

暗い、と言われるかもしれないけど、別に僕は暗くなんか無い

友達だっているし、大学の運動部に所属して、野球をやっている

もともと、体を動かすのは好きだ

その僕が、なぜアクアリウムに熱中しているかというと、

それには、こんなわけがある

第一に集める魚はみんなアルビノだと決めている

みんな、といっても白めだかしかいないけど

白いちっちゃなめだかが水槽の中を線のように走る姿をみている

と、僕はどうしてもある女の子を思い出すんだ

一番初めにそのこを見たとき、北欧の人だと思った

こんな田舎に外国人が転校してきたんだと、

ある種の感慨を覚えたものだ。

感慨、なんて難しい言葉を使ったけど、

それくらいインパクト強かったってこと

でもそのこは外国人なんかじゃなかった

アルビノだったんだ

長く降ろした髪はプラチナブロンドで、肌も透けてるんじゃない

かと思うくらい白くて、眼は紗がかかったような薄茶色だった

おまけに、まつげも白かった

席はいつも廊下側の日の当たらない、最前列で、

授業を受けるときは度の強いめがねをかけて、

背を前かがみにして、黒板の字を穴の開くほど見詰めていた

「眼、わるい」

とそのこは言った

「光、弱い」

とも言っていた

話す言葉はだいたい片言ですませる

単語の羅列、だ

だから、最初はだれも彼女のことをかまったりしなかった

普通、転校生といえば話題の対象になる、というか

小さな田舎町の転校生なら大人でも興味を持って子供にあれこれ尋ねるのに

彼女の場合は、だれも彼女とその家族のことは話題にしたがらなった

自分たちの理解の範疇を超えた未知の人間にであったとき、

興味を示さない振りをするのはいちばん手っ取り早い対処の仕方だからなんだろう

僕はいつもその子を見ていた。

体育の時間、体育館で授業をするときはちゃんと受けていた。

雑草の生えた、でこぼこのグラウンドで走るときは休んでいた。

マラソン大会も、水泳大会も参加したのを見たことがない。

夏の日差しの強いときは紫外線を避けるためだろう、サングラスを掛けていた。

背が低く、痩せていて、なにか人間というよりは、彩色する前のフィギアみたいな

感じだった。

人形が動いてるのかな?と僕はいつも思っていた。

でも、もっと彼女を正しく表現する言葉を僕は見つけた。

フェアリィ。

図書館で妖精の画集を見たとき、そこに書かれていた英語だ。

アイルランドの画家が書いた、植物の細密画の葉脈のうえに腰を下ろした、薄物をまとった

少女の画。

白い髪、白いまつげ、白い眉毛、の少女が、ラベンダー色の薄いドレスと

やや黄みがかったオフホワイトの透き通った羽を震わせて、風にゆらうように

描かれている。

ほんとうに風の色が見えて、空気の震えまで映し出したような繊細な画風に

僕はしばし見とれた。

あのこだ、と思った。

きっと、この画集から抜け出てきたんだ。

やや、センチメンタルな思考に、僕は苦笑した。

僕はそんなにロマンチストじゃないはずだ。

いつもくそまじめに、こつこつ積み上げることが好きな僕に

そんな飛躍した感情が芽生えるのはまれなことだった。

それから、僕は、その画集を借り、家に持ち帰ると

画集のそのページに製図用のトレーシングペーパーを載せ。

製図用の堅い鉛筆で薄くなぞり、

全部なぞったところで、トレぺをはずすと、

ガラスペンに黒いインクを浸して、繊細なペン画に仕立て上げた。

僕はさらに、真っ白なケント紙の上にそのトレぺを載せ、クリアファイルの間に挟んだ。

そうして、時々部屋に掃除に入ってくるお母さんにも見つからないような

大判の書籍と書籍の間に、そのファイルを挟みこんで隠した。

それは、僕の最初で最後の作品だった。

ぼくはいつも、その子を追いかけていた。

実際、親しく話をした記憶はない。

ただ、いつも目が話せなかった。

いつもひとりでぽつん、として

まるでその子の周りの空気だけが、切り離されて

異世界につながる白いもやがかかっているみたいに

うすぼんやりと光って居た。

そのこの名前も苗字もはっきり覚えていないのに

その子がかもし出す、不思議な白く透明な空気感だけは

鮮明に記憶に残っている。

たしか、中学三年になるかならないか、の

まだ冬の名残が残るころ、

どこかに引っ越していったんだっけ。

彼女の両親も兄弟もまったく見たことがない。

学校行事のときは休んでいたし

友達に彼女のことを尋ねても

さあ?そんな子いたっけ?

と首をかしげるやつばかりだ。

おかしい

だって、僕の出た中学は本当に山間の小さな中学校で

一クラスしかなく、生徒は三十三人しか居なかったのだから

三十三番、五十音順でいったら、ワ行だ。

僕の苗字はワタナベだから、いつも最後になるはずなのに

中学二年までは、最後から二番目だった。

だけど、誰も僕のあとの順番に来る女子生徒のことは覚えていない。

すごく、変だ。

中学を卒業して最初に開いたクラス会のとき、僕は仲のよかった

アンサンブル部の女子に尋ねた。

「ほら、教室の廊下側にいただろう?

いつも目を細めて一番前で黒板の文字を必死に坂書してたやつ。

ちっこくて、白めだかみたいな女の子さ。あいつ、なんて名前だったっけ?」

「白めだか?」

彼女はちょっと顔をしかめた。

「なぜに、白めだか?」

「すごく、白かったから。最初外国人だと思ってさ。そんなに珍しい子

ちょっとこの辺にはいないだろう?絶対記憶に残ってるのに、みんな知らないっていう」

「ええ、そんな子いたっけ?覚えてない、っていうか転校生なんていたっけ?」

彼女は別の女子に話を振った。

「転校生?やだやだ、なに寝ぼけてるの?うちら、幼稚園の頃から面子変わらないでしょ。

せいぜい、幼稚園からきたか、保育所からきたか、ぐらいの違いしかなかったんだし」

誰に聞いても覚えていないのが、不思議だった。

居たよ、ぜったい。僕は心のなかで反芻した。

廊下側に。黒板の前の方にめだかの入った水槽があり、その棚のすぐ横の

最前列の机に座っていた。

なんだっけ、なんだっけ。ワ行の苗字

卒業してないから、卒業名簿には名前が載っていない。

ぼくはぼんやり彼女を思う。

ほんとうに雪のように、透けてるみたいに白かった。

透明?透明人間?

ああ、透明人間で僕にしか見えなかったのかな?

ふと、僕は思う。

もし、そうなら、なんで僕にだけ見えた?

僕は彼女の席のめだかの水槽に思いをはせた。

そうだ、あの水槽のなかに一匹だけ白いめだかがいた。

生物の先生が、白めだかを発見して、

「これは、アルビノだな」

といった。あれはいつのことだったろう?

「突然変異だな」

たしか、さくらが散って、葉桜の緑が青い炎のように燃え立つころ

だった。

木漏れ日が揺らいで、教室の窓にかかる白いカーテンが風に揺らいだ。

「人間にもいる。俗に白子といって、色彩が薄い人がね」

先生は誰にともなく独り言を吐くように

呟いた。

白い人間か。

そうだ、それから彼女の姿を頻繁に見るようになったんだっけ。

薄ぼんやりした記憶のむこうに

彼女が居た。白い長いまつげを伏せて、しかめ面をして。

笑ったらかわいいのに、

そう思った。

だから、彼女から目が離せなかったんだ。

僕は思った。

僕は、彼女の笑顔が見たかったんだ。

でも、めだかは笑わないよな。

そのとき同時に僕は思った。

そうか。

ぼくはしまい忘れた作品を探して、自分の本棚を

探索した。

黄ばんだクリアファイルのあいだから、トレーシングペーパーと

ケント紙が見て取れた。

ファイルに差し挟んだ用紙を抜くと、ただの二枚の白紙にすぎなかった。

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