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天正16年(1588)8月22日は北条氏直が惣無事令に応じ家康の斡旋で叔父の北条氏規を上京させ秀吉との和議をはからせた日。この段階で秀吉に従う決断ができていれば小田原攻めはあったでしょうか。先延ばししていて思わぬトラブルが起きて取り返しがつかないパターンに嵌まったように見えます。

同じ系列に2度引っ掛かった教訓事例

慶長19年(1614)12月23日は大坂冬の陣の和議により徳川方が大坂城の堀の取り壊しを始めた日。3日前に成立した和議の条件に従った。名将言行録の逸話では大坂城は力攻めでなく調停して2度目でなければ落ちないと秀吉が自慢したことを世間は忘れ自分は覚えていただけと家康は語っている。