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 お金だけ払って忙しくて行けなくなっているオリジナルなYOGAの教室なら、辞めてしまって正解です。布施の実践が成果に繋がるのは伝統YOGAだけです。なぜなら、伝統YOGAは受講者の世俗的なニーズの実現や自分にとって得か損かを打算的に判断して実践するプログラムではないからです。

「瞑想」の次第は 自分の適性YOGA を成就するための 修道徳目です。ですから、瞑想を摂受して下さる方に感謝の気持ちを込めて「ありがとうございます」を言いましょう。自分の瞑想の所作が どのような神変を発動させるかなどは どうでも良いことです。

 たとえば、眼が弱いなら眼を、耳が弱いなら耳を、喉が弱いなら喉を、適切に治療する医師が名医なのです。眼が弱い人にも、耳が弱い人にも、喉が弱い人にも、同じ運動をさせるのが YOGAの指導ではありません。まずは、個人的な業(カルマ)の障りを止滅させる実践を教えましょう。

「布施」の実践は 自分の適性YOGA を成就するための修道徳目です。ですから、布施を摂受して下さる方に感謝の気持ちを込めて「ありがとうございます」を言いましょう。自分が施した金銭や宝物がどのように使われるかなどはどうでも良いことです。

「精進」の覚悟は 自分の適性YOGA を成就するための修道徳目です。ですから、精進を摂受して下さる方に感謝の気持ちを込めて「ありがとうございます」を言いましょう。自分の精進の継続が どのような成果を生むかなどはどうでも良いことです。

「忍耐」は 自分の適性YOGA を成就するための修道徳目です。ですから、忍耐を摂受して下さる方に感謝の気持ちを込めて「ありがとうございます」を言いましょう。自分の忍耐の実践が どのように実を結ぶかなどは どうでも良いことです。

「持戒」の誓願は 自分の適性YOGA を成就するための修道徳目です。ですから、持戒を摂受して下さる方に感謝の気持ちを込めて「ありがとうございます」を言いましょう。自分の持戒の円満が どのように扱われるかなどはどうでも良いことです。

六度を実践せずに解脱しないなら、あなたは永遠に苦しみの世界に生きて死ぬことになる哀れなカルマを背負う存在です。😆永遠に苦しみの世界に生まれておめでとうございます。死んでご愁傷様です。👏 自分がおめでたくも ご愁傷様でもないと思う人は 伝統YOGAを実践する覚悟を決めて下さい。

仏教YOGA は、六度の実践が すべて完成して悉地が得られます。つまり、残念なことに 布施や持戒を実践せずに、ムドラーやマントラや瞑想を実践しても 仏陀の悟りは 得られません。😆

「智慧」の完成は 自分の適性YOGA を成就するための 修道徳目です。ですから、智慧を摂受して下さる方に感謝の気持ちを込めて「ありがとうございます」を言いましょう。自分の般若波羅蜜が どのような仏果を得るかなどは どうでも良いことです。