フレッシュ魔法おじさん AROUND☆FIFTY!!――3

 魔法少女化に慣れるための練習を熟した後、文雄は無事定時に帰宅することができた。
 身長が三〇cmほど上がったり下がったりして、やや目の回る思いはしたものの、概ね文雄の身体には悪影響は感じられない。
 とりあえず、祝いに家族全員分のケーキ……そして、犬用のジャーキーを買って、夕食時に打ち明けることにした。

「え、転職っ!?」
「そんないきなり……」
「あぁ、ウン。急な話だけど、もう次の職場も決まっていてね……」

 驚きの顔を見せる妻、田中 章江とその娘、田中 節奈の顔は、どちらもスマホに向かっていた。
 片やインスタ、片やラインに上げるのだろう。パシャリパシャリと粗方片付け終えた食卓に響くのは、何とも虚しいものである。
 それでも、写真に上げるだけの価値を認めて貰えたのだと自分を褒めそやしつつ、文雄は話を続ける。

「次の職場は、給与が前よりいいところでね……今日、職場を見てきたけど、皆いい人だったよ」
「良かったじゃない、あなた。ヘッドハンティングなの?」
「そんなところかな……ハハ」
「お父さん、いかにもパッとしないのにね」
「ハハハ……」

 節奈からの容赦ない一言に胸を抉られながら、文雄は苦笑いを浮かべる。
 とはいえ、所謂栄転に目くじらを立てる者もなく、和やかな時間が過ぎる。
 そうして自分もケーキを味わおうと思っていたところに、がたり、と椅子が鳴った。

「……話は終わり、でいいよね」
「段? ケーキ食べないの?」
「部屋に持っていく。模試が近いんだ」

 長男、田中 段がケーキとマグカップを持って席を立つ。
 その眉間には皺が寄っており、文雄の話を歓迎していないとは言わないまでも、「興味がない」とは顔からありありと伝わってきた。
 高校に入ってから、ずっとこの調子である。反抗期というよりは冷戦期と言うべき距離感に、文雄は言葉もなく顔で背を追うばかりであった。

「おめでとう、父さん。おやすみ」
「……あぁ、おやすみ」

 文雄には怒鳴りつけることも出来る。章江を通じて、コミュニケーションを取るようにも出来る。
 そうしなかったのは、単にそれをする度胸がなかっただけである。
 文雄は部下の教育は何度もしてきたし、うまくいったこともうまくいかなかったこともあった。
 それらは仕事だからと割り切ることができたが、家族に「うまくいかなかったが、仕方がない」とは言えなかったのである。
 家族には成功して欲しい。その努力を妨げたくない。そんな文雄の不器用さが、この冷戦期を保存し続けていた。

「……感じワルいの」
「受験、そろそろだものね」
「ハハハ……はぁ」

 ため息をつきながら、自分用に買ってきたチーズケーキを口に運ぶ。
 悩みの分だけ、生温さが上がっていた。

***

「……おはうございます!」
「あぁ、お早うございます! 早かったですね」

 翌朝七時〇〇分、文雄が魔法少女相談事務所にやってくると、ジャージ姿の夜部と鉢合わせた。
 夜部はどうやら自宅が近場らしく、ここまで軽く走って来ているとのこと。
 その軽やかな動きは、文雄より歳上にも関わらず若々しさを感じさせる。

「はー、鍛えてるんですねェ……」
「いやいや、これも魔法おじさんになったことの賜物です」
「魔法おじさんの……?」
「えぇ。そうでなかったら、こんなに上手くはいきませんよ」

 夜部曰く、魔法そのものはおじさんの時にも使えるらしい。
 その出力は魔法少女化時と比べると大幅に弱まるものの、肉体の調整にはうってつけなのだそうだ。
 彼はお蔭でこの二年間、関節の痛みには悩まされなくなったという。

「とは言っても、魔法少女の時でも筋肉は使うので、筋肉痛は来るんですけどね」
「あ、それはあるんですね」
「身体にとっていいことは残るみたいですよ」
「筋肉痛はいいことなのか……」

 都合がいいのか悪いのか、理解に苦しみながらも二人は事務所の「更衣室」に入る。
 ロッカーが並んでいる訳ではなく、箪笥やクローゼットが置かれている衣裳部屋と言って差し支えない場所だ。
 殆どが浦戸の作ったものらしく、今からこれを着るのかと思うと、文雄は僅かに目眩を覚えた。

「じゃぁ、着替えちゃいましょうか」
「え、えぇ……」

 スーツをクローゼットにしまい、お互い下着姿で万年筆と腕時計を握りしめる。
 魔法少女化に必要なものは、自らの大切な物と幸福な思い出、そして自分を超絶可愛い魔法少女だと思うこと。
 想像力がウチュ~の技術で増幅され、エントロピーを超越することにより、魔法おじさんは魔法少女になるのである——!!
 
「「——変・身——!!」」

 光輝と共に、二人の加齢臭が花の香気へと変化するッ!
 肉が、骨が、神経が魔法で満たされ、僅かな快感と共に変形する!
 それは宇宙の奇跡ッ! 世界が許した希望の証——魔法おじさんの魔法少女化現象ッ!!
 その間僅か一秒ッ!! 二人のおじさんは、一糸纏わぬ少女達へと変化していたのであるッ!!

「……なんというか。慣れないですね、コレ……」
「ふふふっ、最初はみんな、そんな感じですよ。……上も隠すのは意識しておいてくださいね?」
「お、っと……ハハハ、すいません。まだ女の子に慣れてなくて……」

 自らの薄い胸に触れながら、しみじみと文雄——否、魔法少女チャロ☆アイトは独りごちる。
 夜部もとい魔法少女トル☆マリンは意外と大きいおっぱいを抱えながら、朗らかに女性物の下着を纏った。

「さ、浦戸さんが衣装を作るまでの仮コスチュームを決めてしまいましょう! この辺りはフリーサイズですから!」
「えっと、どんなものがいいんです?」
「そうですね、どんな人向けの魔法少女に扮するか次第ですが……」

 丁寧にジャンル分けされた衣装から、マリンは万年筆とチャロとを見比べて選別する。
 こういう時に浦戸がいれば楽なのだろうが、生憎と彼は今日休日なのだ。
 魔法少女ラピス☆ラズリは来客対応が主な仕事であり、水木がおやすみである。

「こんなのはどうです? 紫色のドレス」
「おお……」

 マリンが持ってきたそれは、マリンの着ているものと似たタイプの、フリルが多く飾られたドレスであった。
 ドレスとしては上等なものに思えるが、自分が着るにはやや子どもっぽく、女の子らしく感じられる。
 つまりキツい。
 
「も、もう少し手心というか……」
「あぁ、そうですね。ちょっと中性的にしましょうか!」

 明るい調子で再びマリンが探す間、チャロは用意された下着を手に取る。
 「まずは慣らしで」と渡されたスポーツブラ一式は、普段着ている下着と比べればやや窮屈そうなくらいで、視覚的な抵抗感は薄い。
 それでも、中身がおじさんであるチャロが着るには、覚悟の要るものであった。

「……ええいっ!」

 ままよ、と言わんばかりに勢い良く、チャロは袖を通す。
 思った以上にぴっちりと締めるその感覚に慣れなさを感じ——ついでに、股の間のモノがない感触も——違和感を覚えつつも、どうにか薄い胸肉と尻肉を合わせることが出来た。

「あ、ありました! これならどうです?」
「……あぁ、これなら、なんとか」

 手渡されたのは、薄紫の花が飾られた、シャツワンピースとジーンズの装いであった。
 見かけはひらひらとした装いではあるものの、これならば着心地の違和感は感じないだろう。
 気遣いと洒落っ気が感じられる、夜部——マリンらしいコーディネートであった。

「えぇと、どうでしょう?」
「お似合いですよ! これなら、浦戸さんに渋い顔されないで済みますね!」

 いい仕事をした、とばかりに頷くマリンは、既に春色のドレスに着替えている。
 これもメイド・イン・浦戸らしく、トル☆マリン用のクローゼットには同じようなドレスが複数かかっていた。
 
「さ、では早速お仕事へ行きましょうか!」
「あ、朝礼とかはないんですね」
「結構出勤時間がバラバラですし、必要なことはラインでやり取りしてますからねぇ」

 商社とはまた違った働き方に触れながら、チャロとマリンは装いを新たに外へ出る。
 冬の風がスカートに吹き込むのが辛いが、不思議と身体はおじさんの時よりも軽く、暖かいものである。

「朝は近くの駅周りで、清掃活動をするんです」
「清掃活動……?」
「えぇ。ゴミ掃除は大事ですよ」

 そう言いながら、二人がやって来たのは事務所から最寄りの駅であった。
 時刻は丁度八時。社会人達が思い思いに、仕事勤めに向かう時間帯である。
 そんな中、マリンは持ってきたほうきとちりとりで、彼らの邪魔にならないように掃除を始めた。

「こんにちは!」
「あぁ、こんにちはマリンちゃん」
「今日もお仕事、がんばってくださいね!」
「うん、ありがとうね……」

 時々、すれ違う人々にマリンは声をかけていく。
 老若男女反応は様々だが、彼女の笑顔を見て怒り出す輩はなく、皆挨拶を返したり雑談を交えたりして仕事に向かっていた。

「……これも、お仕事の一部ですか?」
「そうですよ! 皆さんに笑顔で挨拶するだけでも、結構違いますから!」
「成程……」

 言われてみれば、マリンと会話した人々は、皆少し顔を明るくして仕事に向かっていく。
 特に男性が顕著ではあるが、働く女性にも相応に効果があるらしいことは見て取れた。
 疲れていた顔が、ほんの少し安心した顔になって前を進むさまは、新人のチャロでさえ目を見張るものがある。

「これ、魔法も使ってるんですよ」
「魔法も? どうやってです?」
「皆さんが幸せになりますように、って気持ちを込めて挨拶してるんです」

 マリン曰く、魔法少女が想いを込めるというのは、普通のそれとは大きく意味が異なるものである。
 普通ならば態度や言葉からしか感じられないそれだが、魔法を介せばよりダイレクトに好意が伝わるのだ。
 その肯定感が心の明るさを生むのだ、とマリンは丁寧に説明する。

「会釈をするだけでも効果はありますから、ゆっくり試してみてくださいね」
「はい……やってみます!」

 言われて、チャロは熱心に頷く。
 ついこの間までは、彼らと同じように電車に乗り、会社へと向かっていたのだ。
 辛い満員電車で押し潰される苦しみも、朝から晩までの激務に憂うため息も、彼は全て体験している。
 故にこそ、そんな彼らに対する共感は、魔法少女の中でもチャロが一番大きかったのである。
 彼らに声をかけてあげたい。彼らの背を押してあげたい気持ちが、俄然強くなった。

「……こ、こんにちはっ!」
「え。あ、ど、どうも……」

 だからこそ緊張を振り払い、チャロは声をかけていく。
 概ね一四〇cmの身体は、道行くスーツの青年と比べるとあまりにも小さい。
 だが、それに怖気づくことなく、チャロは彼らを見上げながら、頬を赤らめて言った。
 
「あの……いつも満員電車で、大変だと思うけど……!」

 チャロにも恥じらいはある。こんなことを言っていい立場なのかと、逡巡はする。
 しかしそれ以上に、彼に元気を分けてあげたいと強く想う。
 そんな想いが、チャロの言葉に魔法の熱を与えた。

「お仕事、頑張って! 応援、してるから……!」
「……あ、ありがとう」

 青年は顔を赤くしながら、会釈をして去っていく。
 すごすごとした丸めた背ではない。ぴんと張った、力強い背中であった。
 初めて出来た喜びと、彼の幸福を祈る想いが、青年の背を暖めているような気がした。

「いい感じですよっ! この調子で、どんどんご挨拶しちゃいましょう!」
「は、はい……っ!」

 チャロとマリン、二人の魔法少女は駅を綺麗にしながら、道行く人に声をかけていく。
 その日ツイッターで「二人の美少女が応援してくれる駅があるらしい」と広まっていったことは、彼らは知る由もないことである。

***

「チャロさんは、優しい人ですね」
「えっ?」

 場所を移しながら昼頃まで掃除を行ったチャロ達は、昼休憩ということで近くの定食屋へ来ていた。
 社会人に混じって魔法少女が食事を摂るのは些か奇異な光景ではあるが、元々この店はマリンの行きつけであり、あまり不躾な視線は感じない。
 そんな居心地のいい店でおすすめの、焼肉定食の味噌汁を啜りながら、マリンはチャロを評する。

「今まで皆、最初は必ず一緒に清掃をやりましたけど、一番魔法を込めて声をかけてたのはチャロさんでしたよ」
「えっと……そういうのはわかるものなんですか?」
「えぇ。道行く人の顔を見れば、だいたいね」
「あ、魔法じゃないんですね」
「魔法じゃないんですよぅ」

 明るさが違うのだと、マリンは語る。
 魔法にかかる力の強さは、どれだけ強い想いを込めたかに影響されるのだ。
 そういう意味では、誰よりもサラリーマン達に共感が強いチャロにも、思い当たる節がある。

「あの時はもう、がむしゃらに応援しなきゃ、って思って……久しぶりに、若い頃みたいに応援しちゃいまして」
「もしかしたら、魔法少女化の影響かもしれませんね」
「魔法少女化の?」
「えぇ。魔法少女になると、普段より衝動に突き動かされやすくなるんです」

 曰く、それこそが魔法少女の副作用なのだとマリンは語る。
 魔法の源、想像力は心の力。それが増幅され、現実に影響を及ぼすまでに至ったなら、当然自分の身体にも影響はあるのだ。
 ウチュ~の技術で悪影響は抑えられているものの、ちょっとした生理的欲求にも弱くなってしまうのだと、焼肉を勢い良く頬張りながらマリンが体現していた。

「なので、チャロさんが応援したいと思う気持ちが、相乗効果を引き起こしていたんでしょうね」
「……魔法って、スゴいんですね」
「スゴいんですよぅ」

 しみじみとその力を噛み締めながら、チャロはかつ丼を口に運ぶ。
 たまごとカツはほのかに甘い舌触りで、口に噛み締めることではじめて、その出汁と肉汁を差し出してくれる。
 米はからりと炊き上げられていて、甘さを飛ばしているが故に具の濃厚さを口に残さず、次の一口を促していった。

「この仕事は新人さんと私がやるんですが、結構反応は人それぞれなんですよね」
「そうなんですか?」
「えぇ。例えばチャロさんは頑張ってくれたけど、須藤君なんかすごく面倒臭がって」
「あぁー……なんというか、独特な人ですもんねぇ」
「こんなの非効率だー、って言ってね。やる時は結構楽しそうなんですが」

 ぶつくさと言いながら挨拶をこなす須藤の姿が目に浮かび、チャロは少し吹き出す。
 マリンも陰口を叩くというよりは、思い出話に花を咲かせる趣で続けた。

「それである日、効率的な方法を見つけた、って言い出して……何したと思います?」
「え? ……何か、モノを開発したとか? 技術畑って言ってましたし……」
「ギター担いで、ゲリラライブ始めたんですよ」
「えっ」
「曲も歌も自作で、タイトルは“社畜のための応援歌”って」
「なにそれすごい」
「すごいでしょう」

 マリンが取り出したガラケーには、その動画がしっかりと撮られていた。
 あの不敵な笑みを浮かべたハイパー☆ジーンが、駅のホームにまで響かせるように熱唱する様は、チャロの予想を遥かに上回るものである。
 その歌の内容は少し過激で、めちゃくちゃではあったが、その分だけ彼の想いが込められていた。

『満員電車はクソッタレ! 上司にペコペコクソッタレ!
 今日もクソな毎日を 電車に乗って グルグルグルグル
 あーぁ もうやんなるな あーぁ もうやだやだやだ!
 頭ン中バカになっちまう 俺は無価値なゴミクズだ!
 
 そんなおまえらに歌ってやるよ とっておきのプレゼント
 魔法を込めた応援歌 社畜のための応援歌!

 ちょっとやるだけやってみな! めんどくせぇけどやってみな!
 失敗しても無価値じゃない! おまえに叫ぶ ぜったいぜったい!
 こーんな 可愛い美少女が こーんだけ おまえに歌う応援歌
 こんなの歌われるおまえが 無価値なゴミクズなわけがない!

 そんなおまえらに歌ってやるよ とっておきのプレゼント
 魔法を込めた応援歌 社畜のための応援歌!!』
 

 滅茶苦茶である。韻の踏み方もろくに知らない、如何にも素人の考えた歌である。
 しかし、そんな滅茶苦茶さに対して、それを補って余りある熱を感じさせる歌であった。
 一人一人だけではなく、全体に届くように歌われたそれは、正に彼の言う「効率的なやり方」なのだろう。

「傾いてますよね、彼」
「かぶいてる、ですか」
「えぇ。やり方に囚われなくて、見ていて面白い」

 普通ならば、須藤の行動をなんと呼ぶだろう。
 破天荒か、子供っぽいか、はたまたろくでなしか。
 まず間違いなく、普通の人はやらない行動を、須藤は躊躇いもなくやりきったのである。

「それぞれ色んなやり方があって、その度に発見があるから、私は新人さんとやるのが好きなんです」

 そんな動画を眺めて出る言葉がこれであることこそ、マリンの——その内にいる夜部邦彦という人物像が伺える。
 彼は人をよく見ている。それは政治家という活動で培われた技術であり、真摯さを養う精神の賜物だ。
 チャロはその精神に尊敬の念を覚えた。生きていく上で尊敬した人は数多いが、一日でその座に就ける人は、長い人生だけあってそうはいないものである。

「——ま、一曲歌った後、無許可でやってたとバレて怒られたんですけどね、彼!」
「えっ」
「いやー、ホント面白かったです! パンツ丸出しで逃げ回ったときの方が、皆生き生きとしてる辺り彼ホントスゴいなぁって!」
「えぇ……」

 だが、政治家のご多分に漏れず、夜部邦彦という人物も清と濁を併せ呑む気質らしい。
 けらけらと笑うマリンの顔を眺めながら、チャロは「この人だけは敵に回すまい」と誓うのであった。
 味噌汁は冷えても旨く、胃袋に染み入る味であった。

【つづく】


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