ロンドンへ行くために香港へいったことのある人の話
ロンドンに行くのに、日本から行くよりも、香港から日本経由で行く方が安かった時代がある。香港返還前の話である。
僕の父も、香港発、日本経由でロンドンに行ったことのある人間である。結婚後のことだが、ロンドンからちょっと離れた街に友人が住んでおり、友人と渡英したのだそう。その反動か分からないが、母は最近父を置いて伯母とよく旅行に出かけている。人生、どこかでバランスがとれているものだなと思う。
香港にちなんで、紹介したい本がある。
星野博美さんの『転がる香港に苔は生えない』(文春文庫)という著作がある。中国変換前の香港に生きる人々の様子を描いた本である。印象に残っている場面があるので、一部引用する。
詳しい時期を聞きそびれてしまったが、もしかしたら、父が乗った飛行機も星野さんの頭上を飛んでいたのかもしれない。少なくとも、アパートに住む住人や猫の頭の上は飛んでいたはずだ。
香港返還という歴史と父の思い出と本の一節が重なる。世界はそこに昔からあり、過去と現在が途切れなく続いていることを実感する。
今だって、経由便の方が直行便の方が安くなることはままある。というより、直行便の方が高いことの方が多い。
世界の繋がり方やその時のあり方が変われば、最適なルートも変わる。かつては上空を飛べた国の上を通れなくなり、遠回りせざるを得なくなることもある。
ロンドンに行くためにまずは香港に行く、というのはどうだろうか。時間がもったいないと思う人もいるかもしれない。ついでに香港に行く理由ができてラッキーと思う人もいるだろう。
遠回りが思いもよらない出会いをもたらすこともある。そのためには、効率の悪さを受け入れることも必要かもしれない。
今の香港に住む人の頭の上を、どれくらいの飛行機が飛んでいるのかを僕は知らない。もし飛行機があまり飛ばない時代になったら、飛行機が通るたびに人々はみな空を見上げるのかもしれない。
多くの飛行機が飛ぶようになった街があれば、そこにはまた空を見上げない「通」と見上げる「通になれないもの」がいることだろう。
この本を読むたびに、父の思い出話を聞くたびに、いつか自分も空を見上げる人と見上げない人のいる街の景色になってみたい。
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