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New York, New York ⑩

心は常にニューヨーク。そう思えば、大体のことは我慢出来る。皇居や代々木公園はセントラルパーク。5番街は銀座で、東京駅はグランド・セントラル・ターミナルかな。そう言えば、シェイクシャックもある。

・・・。

4月の頭に、突然、仕事を辞めた。

12月に13年続けた仕事を辞めた。しばらくはゆっくりしようと思っていたけれど、ご縁があり小さな病院で働くことになった。医療関係の仕事は初めてだし、私は有資格者ではないから看護助手としてバックヤードをメインに働いた。はじめは、知らないことばかりで必死だった。楽しと言えるまでの余裕はなく、けれどとても面白かった。興味深かった。注射器のメモリが書いてある部分をシリンジと呼ぶことを初めて知った。院内処方だったので、あの患者さんはこの症状だからきっとこの薬を処方だな・・・というのが見えてくると、また面白かった。

ただ、たった3ヶ月でちょっとで辞めてしまった。

人間関係が嫌だったわけではない。スタッフ同士は仲がいいし、こじんまりしたクリニックだったので風通しもよかった。ただ、少しずつ、病院の方針と私のあいだにズレを感じていたのは事実。初めての業界なので、こんなもんかなぁと自分を誤摩化していたが、それが積み重なった結果、ある日突然、出勤することが嫌になった。「生理的に無理です」と。

お給料の計算が間違っていたこと。お給料日が遅れたにもかかわらず何の連絡もなく、こちらから問わなければ何の説明もなかったこと。院長が、嫌いなスタッフを辞めさせようシフトを減らしていったこと。それを他のスタッフに漏らすこととか、看護師の悪口を私に言って来たこととか。それで1時間半も残業させられたこと。もちろん、タイムカードを切った後に。他にもある。病院に対するいい口コミを投稿するように言われたこと。そのサクラ行為に対して「愛社精神があれば当然だ」、「業務命令だから」、「みんなにもするように言っておいて」、「一週間以内に投稿して」、「どこでもやってる」と言われたこと。

これらを我慢して働く理由が、私には見つけられなかった。そういうやり方のクリニックが存在することは仕方ないとして、けれど、私は自分を曲げてまでそこに居たくなかった。私のスタイルではない。ここはニューヨークのクリニックだと思っても、意に反したことは出来なかったから。わたしはわたしを信じ、そして離れることを決意した。

Jane Doe、35歳。これからの人生どうしましょ。妥協?しないよ。

ねぇ、どうか。心に愛を、自由を。

ニューヨーク。我が心のニューヨーク。呼んでいる、呼ばれている。わたしの名前を呼んでいるね、あなた。

その第一歩として、2週間〜一ヶ月ほど滞在を考えている。知人の知人から一部屋借りようとしたけれど、うまく交渉出来ず一泊120ドルと言われてしまった。無職のわたしにはなかなかキツい・・・かも。取りあえず、一泊55ドルの女性専用ドミトリーを見つけた。これからシーズンだから、値上がりするかなぁ。まぁ、まずはその辺りから行動出来るといいな。

先日、少しだけお話ししたお姉さんがいる。

行く末が不安な最近のわたしは、何事にも積極的になれなくなっていた。貯金で暮らしているし、息をしているだけで、家賃も携帯代も食費もかかる。そんな豪勢な生活は出来ないもの、今はね。けれど、そのお姉さんの話に背中を押された。

お姉さんは何度もインドに行っていて、しかも都市部ではなくジャングルのようなところで自給自足を行っていたとか。そのなかで、全財産と荷物、パスポートをタクシーに置き忘れ無一文になったことがあると教えてくれた。結論として、それらは全て運がよく出て来たのだけれど、なくしたとき、「よし、わたしはこの太鼓で物乞いをして生きていく」と覚悟をしたそう。そのとき身につけていたのは一枚の布と太鼓だけだったから、と。

生きる覚悟。

あぁ、生きる覚悟。私はあるだろうか。ないな。自信ないな。けれどそれを身につければどこだって生きていける。身につけるものなのかな?それすら分からない。けれど恥とかもうそんなことどうでもよくて、もっと野性的な、人間の本質的なところ。命とか、生きるとか、そう言うこと。大事なこと。人間がヒトである証拠、動物的な勘・・・野性味・・・。

よし。タフに、行こうか。

今夜も、わたしの心はニューヨークに。


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