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愛の証明

私たちの恋は、簡単なものではない。法的な部分も関わってくるし、誰をも傷つけていないわけではない。それでも惹かれ合う。惹かれているはず。お互いに。それはわたしの望みかも知れないし、どこか信じたくて、確信したくて。

昨日、恋人に問うてみた。

「愛はどうしたら証明出来るだろう?あなたがわたしの愛を感じる瞬間はどんな時だろう?」

と。すると彼はこう答えた。

「献身こそが、愛だと思う。キリストは人々の罪を背負い張り付けになった。キリスト教の根本は愛、なんだよ。けれど仏教は異なる。仏教の究極の姿は煩悩の滅却。それは憎しみなど全ての感情から解き放たれること。けれどね、それは愛することすら手放すと言うことなんだ」

献身・・・何をも求めず、この身を捧げること。執着せず、相手に尽くすこと。自信・・・ないなぁ。そしてもう一つの答えはこうだった。一つ、エピソードがある。

彼が真夜中に体調を悪くした。たまたま私は目覚めそんな連絡を交わし、飛び起きてタクシーに乗り込んだ。恵比寿方面まで。どうぞ神様、彼を助けて。わたしが着くまで、どうぞ彼の意識が保たれていますように。倒れていませんように、と。するとタクシーの途中で帰路の彼の姿を見つけた。彼に追いつき、

「大丈夫?」

と駆け寄る。具合が悪いながらも少し落ち着いたようだった。安堵・・・安心・・・。すると彼は突然、こんなことを言った。

「・・・すっぴん」

そりゃそうだ。わたしは先ほどまで寝ていたのだから。そんなことおかまいなしで、とにかく彼を見つけなければと飛び出して来たのだから。素肌・・・初めてさらしてしまった。私は素肌の状態、素顔の状態が好きではないから羞恥心でいっぱいだったけれど、夜の灯りの下では目立たないかなと思いつつ、頬を手で覆った。

このことが、彼の胸を打ったのだろうか。一ヶ月ほど前のことだけれど、とても印象的だったらしい。我が身を省みず家を飛び出しタクシーを走らせたことが、献身的な姿に映ったのだろう。そう、わたしはいつだってあなたに真面目なの。体現したいんだ。わたしはあなたのものだよって。そして叶うことならばあなたから望まれたい。

ねぇ、愛の証明を、どう伝えよう。

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