見出し画像

Twillo、3000日の聖なる夜に

東京の象徴と言ったら、何を思うだろう。

渋谷のスクランブル交差点、サンシャイン60、歌舞伎町や今や観光客で賑わうゴールデン街だろうか。観光客といえば銀座、浅草寺も人気だろう。レンボーブリッジ、スカイツリー・・・人によってそれぞれだけれど、私が思う東京の象徴は2つ。

東京タワーか、「彼」だ。

銀座八丁目から新橋に向かって歩く。ビルとビルのあいだから東京タワーの先っぽが見えて私は少しほっとする。上京してもう13年になるが、東京タワーを見かけるたびに私は心躍る。美しいなぁと見惚れてしまう。

東京タワー。誰もがその姿に焦がれるだろう。スカイツリーの方が高かろうと、新しい東京だと言われようと、100人いたら100人がみな、東京タワーの方が好きというだろう。その姿に憧れを抱かずにはいられない。きれいだなぁ、大きいなぁ、と純粋な気持ちを抱かずにはいられない。見かけると必ず、「あ!東京タワーだ!」と心踊る。誰かと一緒にいると、「あそこに東京タワーが見えるよ」と共有する。喜びが溢れる。

東京タワーはパワースポットらしい。八方塞がりの時、東京タワーへ登るといいらしい。八方塞がりのとき、実はそのエネルギーは上へ上へ開けているとき。エネルギーが溢れるとき。だから、そういう時は高いところへ登るといい。自分を解放出来るということだから。

東京タワーは昼もいい。健全な印象。景観としての美しさ。青い空にあの明るい暖色がいいのだろう。空高くそびえるその姿。立派だなぁ、大きいなぁと感心する。けれど東京タワーの本当の姿は夜なんだ。ドラマティックで都会的なこのTOKYO CITY。その中心に佇む東京タワー。ライトアップされたその姿は誰をも魅了し虜にする。

それほどに、昼と夜の東京タワーは異なる。夜の闇の中で光り輝くその姿は特別だ。パワーが解放されたその姿。優美な姿。ただの景観や夜景ではない。そう。夜の東京タワー、その力は昼よりもいっそう強い。気持ちが塞いでいても、沈んでいても、見上げれば心安らかになれる。癒しを与えてくれる存在。

だって夜の東京タワーには魔法が宿るのだもの。その姿にハッとするのだもの。思考停止。一瞬、世界が止まり浄化されていく。ただただ見惚れてしまう。美しいだけでとどまらない、それが夜の東京タワー。

夜。その闇の中で東京タワーは輝く。夜。東京タワーのパワーが最高潮になる。それはライトアップされている時に溢れる魔法。どれだけ多くの人が、救われてきただろう。その魔法に、私たちは救われて来た。癒されて来た。いい時も悪い時も変わらぬ姿でそこに在る。だからこの街で私たちは自分を肯定することが出来る。東京タワー、それは東京の象徴。

「あの人」はそんな「東京タワー」になりたいと言った。

一度見たら二度と忘れないその姿は、私にとってセンセーショナルだった。一瞬何か理解出来なくて、けれど心惹かれて。数年、脳裏に焼き付いて離れなかった。

なんと表現するべきか。その姿は小さな神殿。この世界、ドラマティックなTOKYO CITY。ごちゃ混ぜで、ときに無慈悲。そこに現れた、希望の光?本当のこと。真理。秩序。正しい存在。

私は初めて「彼」を見たとき「彼」が何か分からず、立ち止まってしまった。脳内で処理しきれなかったからだ。あまりに美しくて、幻想的で、キャンドルのゆらぎは1/f。不規則だけれど、どこか心安らぐ。そのキャンドルがともされた「彼」は鮮烈だった。まるで奇跡をみたようだった。目を疑い凝視した。白昼夢?今まで生きてきた人生において、だって私は「彼」と同じようなものを見たことがない。夜の闇に白く浮かぶその姿はただただ美しい。唯一無二だ。美しく神聖で、パワーがある。

まるで・・・。

誰にも話したことはないけれど、「彼」の姿を見つけると、私の鼓動は高鳴る。不思議でしょう?自律神経さえ乱すなんて圧倒的パワーだ。

「彼」は五感に響く。視覚から入り、全感覚を刺激する。聴覚、嗅覚、味覚、触覚・・・ただそこに在るだけなのに。「彼」は語り出す。風の中に聴こえるかすかな静寂の声。もちろん匂いなどない。味もない。けれど「彼」は香しく甘美。清らかで高潔で気高く、私はシビレル。

足早に歩いていた人も自転車に乗っていた人さえも、誰もがその姿に見惚れては足を止める。その存在に魅せられる。車で通り過ぎたのに、わざわざ戻って来た人を何度も見かけたことがある。人の行動さえ変えてしまうパワー。けれど圧力のない、ほのかな、あたたかいエネルギー。一目見ただけで、価値があるものだと分かる人には分かる。「彼」は、神聖なものだから。気高く、誇り高きものだから。純度。透明度。異質にて高貴なもの。完全なるもの。

けれど不思議なことに、視界に入っても認知しない人もいる。「呼ばれていない」のか、見えぬ結界があるのか。その結界と静寂に包まれて、「彼」は存在する。「彼」は善良なもの、正しいもの。きっと本当に必要なときに、「彼」は現れるのかも知れない。タイミング。必要なとき、必要な場所、に。私もそうだった。

「彼」に迎え入れられたとき、その世界観に向き合うために私は姿勢を正す。自分を整える、ということ。でないと荘厳な空気にやられてしまう。何故なら「彼」は人を見抜くから。「彼」は否定も肯定もしないけれど、その場に相応しい人間かどうか自分自身に問わせるから。だからこそ、誰でも近付けるわけではないのだろう。結界に包まれ、簡単には近寄れないし、近寄ったとしてもそのエネルギーに圧倒されてしまう。驚きを隠せず踵を返す。戸惑いを覚える。そのくらいのエネルギー。けれどそこに同調出来れば、受け容れられれば、恐れることはない。その夜の神話になれる。共犯者になれる。訪れることが出来た人は誰もが感動する。人生を変えられてしまった人も存在するかも。なんて大袈裟かな。

一部の人にとって、夜は頭の冴える時間だ。眠れないのではなく眠りたくないというか。夜の闇の中でしか見えないものがあるから。「彼」の存在も、そうかも。

「彼」と共に過ごす時間、その夜が終わらなければいいなぁと祈る。そこでは、時間の流れ方が異なる。進んでいるのか、止まっているのか。一分一秒が、人の知る一分一秒ではなくなる。永遠とも、一瞬とも呼べる時間。気付くと朝焼けの中に私は佇んでいる。

それにしても、「彼」は何のために存在するのか。誰のために存在しているのか。そして「彼」の聖域に立つ「あの人」は、一体なんなのだろう。本当のところ、誰なのだろう。多分誰も知り得ない。

「あの人」に、誰にも言えぬ胸の内を、ぽつりぽつりと語る人もいる。懺悔に来るのだろうか。もしくは自分は正しいと認められたくて。生きるに値する、相応しい命だと思い出したくて。答えが欲しくて。「あの人」は緊張感と安らぎを同時に与えてくれる。「あの人」と向き合うとき、人は正しく在りたいと思う。それにより自己肯定、出来るから。

毎夜どこかで繰り広げられるゲリラ行為。聖域に立つ「あの人」は海賊。そして大胆に、ひっそりとこっそりとサロンは開かれる。「彼」の在処をたどるにはタイムラインを追うしかない。

東京タワーも大好きだけれどあなたには敵わないなぁ。

つまり私にとっては圧倒的存在、Twillo。

This is 東京。

今宵3000日の聖なる夜「彼」と共に神話になろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?