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もやもやする。 after 参院選

今回の参院選、18歳を迎えた友人は自ら投票に行っていたが、僕はまだ17歳なので選挙権はなかった。
しかし親が「あなたの選んだ候補者/政党に票を入れる」と言ってくれたので、僕も自分に選挙権があると仮定して選挙について考えた。

今回の東京選挙区は6人の枠に34人が立候補の大混戦。初めから誰が当選しそうかは、分かっていた。どうせ有名政党の支持を受けている6人。それも自民、公明、立民などの、多くの人が聞き覚えのある候補者たちだろう、と。僕自身はそうした候補者に票を入れる気にならず、当選しなさそうだけれど、応援したい、と思えるような候補者を選んだ。

結果、その候補者は(予想通り)当選しなかった。
初めから分かってはいたはずなのだが、実際落選となると、なんだか気分が晴れないように感じた。前から応援していた訳でもなければ、全候補者を見比べたとき始めて目にし、前日になってやっと決めた候補者なのに。

初めて選挙に(間接的に)参加した今回、それは死票となり、あってもなくても意味のない一枚になったという無力感。これが自分の中で大きい気がする。多分この気持ちは(落選することになる)誰に入れようが変わらなかったはずだ。初めからわかっていたはずなのに、この気持ちはなんだろう。


今回、東京選挙区で一番多く票を獲得したのは自民党から出馬した朝日氏だった。しかし、死票を全て合わせていくと朝日氏の獲得票数をすぐに上回る。



民主主義とはなんなのか。「死票が多いのが小選挙区制の問題です」と小学生の頃から習ってきたが、これほど実感を伴ったことはなかった。

選挙制は本当に難しい。死票は絶対に出るし、どんなシステムが最も公平か決めることは、何年かかっても無理だ。

だからこそ、民主主義は投票箱が舞台なのではない、という発想に活路を見出したくなる。
参院選当日、「民主主義ってなんだ。」という記事を載せたが、やはり民主主義は「票の戦い」ではないはずだ。

今、僕の思う民主主義とは、むしろ「投票」という行為そのものからはすこし離れたところにある。

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