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毎日投稿が途切れた日

2023年7月3日、月曜日。

私の【note毎日更新】がとまりました。

265日、つぶやく日もありましたが、よく続いたなぁ。

限界までピーンと張った弦がついにプツン!と切れてしまったような感覚、ではありません。

私自身で、張り詰めた弦をブチイッと引きちぎったのです。

もう、いいや。切っちゃえ、と。

このあと順番に書いていきますが、7月3日、この日はいろんなことがありました。

「自分の行動のすべてが間違ってる」そんな気持ちでいっぱいで、湧き上がる感情のすべてがネガティブになってしまって。

この日ばかりは、noteを恨みました。

noteを続けたら「何かが見える」と思っていた。でも何も見えない、何も起こらない。むしろ悪化しているじゃないか。

時間を犠牲にしてnoteを書いてきた。ひとり時間があればnoteを書いた。何かが見えると思ったから。

noteを書く時間を優先しているせいで、娘がさみしい思いをしている。結果的に娘へ愛情を注ぐ時間が足りず、次女は学校へ行けなくなったんだ。

自分の成長ばかり追いかけて、自分のしたいことばかりを優先して。私は親になりきれていない、ただのわがままな大人。

noteなんて、やめてやる。noteなんて書かなければよかった。

「私のせい」が、いつのまにか「noteのせい」に。

そして一週間。

「やっぱり、noteを恨むのはおかしいよね」

ようやく、冷静になれた気がします。

ふぅ。それでは、7月3日に私の身に起きたことを、書いていきますね。


1.ママ友から「パートをやめた方がいい」と言われた

「パートやめたら?」

何気ないママ友の一言が、私の胸に刺さりました。

「子どもと向き合う時間は今しかないよ。」

不登校のお子さん(中学生)を持つママ友だからこそ言える、重みがありました。

今ならなんとかなるかも、そんな親切心あってこそのアドバイス。でも

あまりに直球で、ショックでした。

そう、私は今とても悩んでいるんです。パートを続けるかどうか。本音は続けたいです、ものすごく続けたい。やめたくない。

でも、私がパートに行く日は、次女は学校に行けない。ママと離れられないから。

反対に、私がパートのない日は次女に付き添えるので、次女は学校で授業を受けられます。給食だって食べる日もあるんです。

「ママ(私)と一緒なら、登校できるんでしょ?授業も受けられる。だったらとことん一緒にいてあげなよ。パートなんていつでもできるじゃん。」

確かにその通り。

反論の余地はまったくありません。

でも、完璧なんです。パート先の条件、勤務時間も給与も、通勤時間も仕事内容も。こんな職場はもう二度と見つからないかもしれない。

手放すのが惜しい。それに、職場のみなさんに迷惑をかけてしまう。

私がパートを続けることで、次女が学校で過ごす機会を奪ってしまうのか?見て見ぬふりをしてきたモヤモヤが、くっきりと形になって私の前に現れた瞬間でした。


2.網膜、ついにはがれた

この日、ショックなことがもう一つありました。

右目の網膜に穴が開いていることが分かったのです。

2年前からはがれそうになっていたのですが、ついにこの時が来てしまった。

右目の様子がちょっとおかしいと感じていましたが、まさか穴が開いていたとは。

痛みもないし、目が見えなくなったワケでもないので、自覚症状はほとんどありませんでした。

レーザーによる処置が必要らしいのですが、ひとまず一か月様子をみることに。

あぁ、もう少し早めに受診していればよかったのかな。悔やむ気持ちはありますが、パートとライターの掛け持ち、おまけに毎日noteをしていた私。

たいした自覚症状もないのに眼科を受診する発想なんて少しもなかったんです。


3.「家でのパソコン作業をやめなさい」と義母に言われた

網膜に穴があいたことを同居する義母に伝えると、またもや仕事に対する否定を受けてしまいました。

「家でやっているパソコンの仕事、もうやめたら?」

義母はずっと気になっていたそうです。私がパソコンばかりしていて、子どもたちの相手を全然していないと。

これも、次女の学校行きしぶりの原因の一端じゃないかと。

私の網膜に穴が空いたことで、義母の不満がいっきに噴出したようです。

同じ部屋にいても、ママはパソコン、子どもたちはテレビ。それじゃダメだよと。

ママの目に負担がかかるだけじゃなくて、子どもたちの成長にも影響があるはずだと。

義母のいう家でのパソコン作業とは、ライターの仕事です。note更新も混ざっているのでしょうけど。

納期に追われている私の姿を間近でみている義母。「子どもをほったらかして仕事ばかりしている」そう言われても反論できません。


ふたつの仕事を否定されたうえに、目の病気が発覚。

つまり、私が『一生懸命頑張っている!』と信じてやってきたことが、子どもの成長をさまたげ、自身の健康を脅かしていたのです。

例えるなら、私は自信のないボクサー。世界王者に挑むもパンチにキックされ、おまけに投げとばされた感じ。ノックアウトです。あれ?ボクシングってキックしていいんだっけ?

唯一、誰からも否定されなかったのはnote。

そりゃそうですよね。私がnoteクリエイターの「れんこん」であることを現実に知る人はいないのですから(※二人の娘以外)。

誰からも否定されなかったnoteの更新を途切れさせることで、自分自身で「れんこん」を否定しました。

その時の心境は、冒頭に書いた通りです。


正解がほしい

毎日投稿をやめて、せいせいしている自分がいます。

でも、書きたい!と思う自分もいました。

そして今、子どもをほったらかしてnote書いてます。

結局私は、自分のやりたいことを、誰にも干渉されずに、自分のペースでやりたいんです。

次女が小学校にあがって、いよいよまとまったひとり時間が過ごせると思っていたのに。

ひとりになりたい。

仕事も続けたい。

母親は子どもに人生すべて捧げなきゃいいけないの?

正解なんてないのだけど、こんな時はやっぱり正解がほしい。

誰かの意見をそのまま飲み込んでしまいたくなるんです。

いつかこのnoteを読んで、7月3日に起きたことを笑いたいな。

久しぶりのnote、書きたいことを書けてスッキリしました。

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また書きます!

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